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「自分を知る」に向き合うこと
「会いに行けるセンセイ」という活動をしている現役教員で、一般社団法人ハンズオンの代表理事もしている複業的な働き方をしているのざたんです。
7月の終わりに、イベントを複数実施してきました。
他にも、はたらくことについてや、自己対話について、イベントをしているうちに感じたことがあります。
『私たちは自分のことがわかっていない』
自分が何がしたいのか。自分はどのような状態で、何に興味を持っているのか。知っているようで、意外と言葉(表現)ができていない。そんな課題を学校の中でも、社会に出てからも個々に抱えている問題なのだと。
社会の中で生活していると、常に「選ぶ」ことにさらされている。例えば、朝ごはんにパンを食べる・ごはんを食べるでも選んでいる。食べる・食べないも選んでいる。選んでいるのだが「自分が選んだ」という実感のないまま、いや、選んだことを考えないまま選んでいる。何かのせいや、誰かのせいにして、自分の判断ではないと思考を止めている。そんな印象がある。
『なんとなく』からはじめていい
選んだ理由は「なんとなく」でもいい。しかし、「なんとなく」でも自分が選んだのである。情報が溢れ、常に処理し続けなければいけない社会であるので、そんなことを考えたくないのかもしれない。そんなことまで考えていたらシンドイのかもしれない。
そんな時代だからこそ、ちょっと進みをゆっくりにして、自分とむきあう時間が大切なのだと感じている。「みんなのまなぶば」を実施しているのも、考えなくても別に困らないものを、あえて時間をかけて、複数の人たちと、ただあてもなく考える機会が大切だと感じているから。ゆっくりとした時間の中で、自分の考えと向き合うことで、「自分」という輪郭が見えてくる。
自己表現=メディア
モノゴトを伝えるものが「メディア」だと捉えると、
自分のことを外に伝えるもの=メディア
という構図が見えてくる。メディア情報リテラシーについて学校に届けたいという方と出会い、そこに共感して、みんなのまなぶばを実施していることの意味が、よりハッキリしてきた。自己表現がメディアなのだと。それを発信するにも、受け取るにもリテラシーを育むことが大切なのだと。
学校の授業を受けるのも、自分で学ぶにも、生徒自身が「自分のことを知る」ということからはじめたらいいんだと。その作業は誰でもできることであって、終わりのない作業でもある。いまの自分と向き合って、足りてる・足りていないを感じ取って、そして「次、私はどうする?」に向き合うこと。教育現場と呼ばれるところに不足していると感じています。
「自分を知る」に向き合うこと。まずは、そこからはじめませんか?それをするだけで、思っていることができるようになるので。
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