二留モラトリアム大学生、漂流中。
あと一週間で、四年間在籍していた大学から編入先の大学へ、東北から四国への遠い引っ越し。高校卒業からもう四年が経ち、22歳。三年生からの再スタート。
二留の末に漂着したのはコンピュータサイエンスから英文学への転向。それも決して積極的な決断ではないです。この大学を卒業することは僕の性格上、もう無理だろうという諦念の後に、消去法で残った微かなモチベーションが英文学だったという話。最初はもう大学を辞めてゲストハウスにでも就職するかワーホリに行こうと思ってました。
でも結局は両親との長い議論と、東南アジア旅の後、最後のチャンスとして大学編入で文転することに決めました。相変わらず、卒業後この職業に就きたいといった明確なビジョンなんて勿論ない。いまだ何をしたいのかわからないモラトリアム人間のままです。もし編入の面接でそこを深堀りされていたら困ってたな。小論もまるで主張のない、駄目なお手本のようなの書いたけど、多分TOEICのお陰で受かってた。
本当に人生思っていたようにはならないもんですね。人生設計なんてするだけ無駄です。特に自分のような、最低限の努力をできないタイプには。気分屋だし、形式的なことをこなせない。この人生の間中、好きなこと、やってて楽しいことしかしてこなかった。目的と手段が体感として繋がらない。やらないとツケが回ってくるなとか、理屈の上で達成すべき目的を認識していても、その手段が少しでもだるいとやることができない。
タイムマシンに乗って、今の現状を高校時代の自分に教えたらどんな反応をするだろうとか考える。中学だったら絶望するか、ブチ切れるか。高校だったら案外、自分の性格を鑑みれば納得しちゃうかもしれない。そういう傾向はずっとあったよねって。
部活後は勉強せず寝てても、中学校入って最初の定期テストで1位を取り、そのまま高校は県内一の進学校に難なく入れた過去の栄光。センスの上にトッピングで載せたくらいの努力で勝てる範囲なら、負けて悔しさも感じたけど、人並みの努力が必要になった瞬間にもういいやとなってしまう、やる気が出ない。理屈でこう思ってしまうとかじゃなく体感として動かない。贅沢で、舐め腐った話ですが。
どこかで努力とか目的感覚の歯車が動くきっかけとなる些細な経験があって、そこから上手くドミノが倒れていって、結果的に根本的な転換が起こっていたら、なんて考えてしまいます。勿論そんなに運良くはいかない。過去の文脈に囚われて、喪失感と虚しさから逃げられない。確かにあったはずの自分のポテンシャルは、全て蒸発し風化して、何も残っていないのかもしれないと。歪んだプライドと自意識という副産物だけは残して。
高校とこの四年間の大学生活では、そんな自分の性格と戦い、どうにか過去の光と文脈に縋りつこうとし続けた日々でした。それだって、やれるだけのことはやったんだねと客観的に言ってもらえるようなものでは決してないけど、少なくとも僕はここまでしかできなかった。そうとしか言えない。そしてここ2年くらいはもう落ち込んだりすることはなく、その根本的な性質と生きていくしかないんだろうという気持ちになっていました。
諦念と麻痺。これがある意味で大人になるということなんでしょうか。良いとか悪いとかは関係なく。
なんだか暗い話になってしまいました。何処に流れていくのやら、1年後も見えない人生ですが、とりあえずはしぶとく生き延びるしかないですね。
また次の大学生活が始まったら色々書きたいと思います。おやすみなさい。