どういう人が「主体的」?
「主体的な子」って高く評価されますよね。
どういう子なのでしょうか。
私は教員をしているので、「主体的だね」と
評価する側に(気づいたら。。。)
なっていました。
でも、いまだに確信が持てずに迷います。
「主体性」って何?
大学生のころ、大きな影響を受けたのが、
「主体的に行動するためには、
従属的にならなければならない」
という1970年代のヨーロッパで流行った
ミシェル・フーコーという哲学者の考えです。
一見、「能動的」なものとしか捉えようのない
「主体性」が、
「受動的」な性質を持っていることに
感銘を受けました。
色々と文脈をすっ飛ばしているので、
本当はこのようにまとめること自体
よろしくないのですが、
この考えの一部を拝借し、
誤解を恐れずに学校の文脈で言い換えると、
「子どもが主体的に行動していることは
言い換えると、
学校文化に従属的であること」と言えます。
「従属的」と言うとどこか悲観的ですが、
さらに言い換えると
「(その文化や文脈に)のっかっている」
ということです。
(ちなみに英語で主体的を表す語の一つである
subjectivityに含まれるsub-は、
「副」や「補助の」などを意味する接頭辞です。)
教師として子どもたちの前に立つときに、
私が意識的に作り出している文化や文脈のほかに、
私が無意識的に、
子どもたちにどんな文化や文脈を
「作ってしまっているのか」
ということに
なるべく気づけるようにしならなければならないと
主体性を勉強していく中で強く思いました。
ちなみに私は共通して、
「文化や文脈にのっかった上で、
自分から何かアクションを起こすこと」を
主体性の側面の一つとして捉えています。
皆様はいかがでしょうか?
どのように主体性をとらえていますか?
もしよければ、
主体性エピソード、お待ちしております。
子どもたちから、先生が想像していることの
ちょっぴり上の行動を見せるような主体性を
促すために、
まずは文化に従属(のっかること)ができるよう、
教師の側からそのプラットフォームを築いてあげる必要があると考えます。
どのようにしたらいいのかは、
多くの場合、「教師の技」と表現されるような
非言語的なものになりがちです。
それをなんとか、
言葉にしていきたいなと思っています。