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名誉ある賞が喜べない理由

さてさて。入社して少しばかり立ちました。

私がこの会社の一員になろうと思ったのは

世界のどんな人たちにも価値を届けるというマクロな視点を持ちつつ
「一人一人が自分らしく生きられるように」
というミクロな視野まで揃えていて、それでいて妥協しない人たちが集まっていたから。

そんなことを目指す会社の人たちだから
全員が
「自分が、自分らしく」ということにも妥協してないのよ。

芯が強いのよ。

それを実感した出来事が、
全社員が見れる媒体で”社長賞”をいただいた方が「社長賞が喜べない」って呟いてたこと。

こんな名誉ある賞に対しても「自分はこう思った」と物申せること。
そして、全社員がその主張に関心を持って受け入れること。
皆が「自分らしく」を貫いて、そしてそれを受け入れる柔軟さがあるからだと思う。

そして、その主張を聞いた私は何を思ったかというと・・・
いやいや。
社長賞取るって、努力や成果が評価されたすんばらしいものじゃないですか。私なんて、その表彰される姿を見て「いつか私もここに立てるくらいの貢献をしていきたい」と思い始めていたのに。
なんでなんで、と私の頭の中ははてなでいっぱい。

けれど、その理由を深ぼったらとても納得できちゃったのです。

その理由は、自分の頑張りを身近で見ていない”社長”から表彰されてもなんだか腑に落ちない、というもの。

ふむ。なるほど。


世の中、「頑張りを正当に認めてくれない」「頑張っても報われない」
と悩む人も多いけれど。たとえ「頑張りを認められた」としても、それが「その頑張りを知らない人」からであれば、人の承認欲が満たされることはないのか。

たしかに、
たとえば、仕事をめちゃくちゃがんばったとして、
その過程を見てない母親に褒められるよりも、
間近で見ていた上司に褒められる方が何倍も嬉しいな。

母親のことは人としても尊敬するし、大好きなのだけど。

きっと
その人を尊敬しているかどうかは、承認欲求という感情を満たす人かどうかということにはあまり関係ないのだと思う。

そんなことに気付かされた出来事でした。
これから、誰かのことを褒める・認めるという行為をするときには
本人が納得できるような背景や理由を言語化することを忘れずにいたいです。


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