【家族という名の宗教団体】
どんな形であれ、動物として生まれた以上、母親と父親を直系とする家族の構成メンバーとして生きる。自立することが出来るまではこの家族の一員として面倒を見てもらう。それがセオリーであり、一般的である。
ただ、この家族という枠には認知されない宗教的な思考や決まりがある。些細なことで言えば子供の頃の門限。A君の家は門限が18時であるが、Bさんの家では門限はない。各家庭によってルールが異なり、他人と違うことを認識するのだ。
もとより日本人は同質であることを好む。みんながしてるから。みんながしてないから。というようなマジョリティに属することを意識せず好む。しかし、この家族という一種の宗教団体においてはこの同質を好むという思想を大きく取り入れないのである。「よそはよそ、うちはうち」なんというクソみたいな言葉にどれだけの子供が貶されたであろうか。では、なぜ同質を好む日本人が家族という枠の中ではオリジナルを貫くのであろうか?
考えてみて欲しい。親が嫌っているものは自然と嫌わなければならないというような考えに陥っていないであろうか?僕の私の両親がお笑いを好まずニュースなどに興味があるので大人になった今、政事や経済などの情報は充分にあるが、飲み会などのノリについてこれない人。反対も然り。
アイデンティティを確立させようとする時期に多くの時間を共にする家族はこれほどの大きな影響を与えてしまうのだ。特に両親というのは自分の子供に自分の理想を押し付けようとしてしまう。したがって自分のクローンのような居心地の良いペットを育ててしまうのだ。それが良いことなのか悪いことなのかはない。ただ、偏った思想を持った子供が大人になったとき、社会と適合ことで大きなストレスを感じることは間違いない。
宗教や家族内のルールが悪いとは全く思わない。
ただ、本当に必要なのはすべての物事を新鮮に疑いながら取り付かれぬように判断する能力であると考える。
ちなみに私の両親は同族経営を嫌う。
故に同族経営の企業を調べたりするときに何とも言えない敵対心のようなものが芽生えてしまう。
この気持ち悪さから今回の投稿に至った。
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