窓の外


見てしまった。隣のクラスの男にチョコを渡す八木さんを。屈託のない笑顔が嫌と言うほど僕の目に焼きついた。

1時間目が始まる前のことだった。僕は今日、少しだけ胸に期待を抱いていつもより早く登校した。なのに。どうして。ため息を付きながら僕は自分の席に座る。確かに落語研究会の発表会以来、八木さんとはあまり話していない。八木さんは度々図書室にやってくるけど、図書委員の仕事を放り出してあの子とおしゃべりするわけにはいかないもの。

「おっはよー!!あれ、元気ないけどどうした?」

戸高の元気いっぱいの声が耳に触る。

「そうそう、これ!」

彼はピンクの包装紙に赤いリボンが結ばれたハート型の箱を見せびらかしてきた。

「どうしたの、それ」

「これねー、ねおにもらったんだよ!!今日、バレンタインだろ?毎日一緒に学校通ってるから、朝もらった。」

「….へー」

「いやぁ、これは他の女の子からは貰えないなぁ。毎年、毎年、靴箱がチョコでいっぱいでさー、でも今年は俺の!俺のねおの心のこもったチョコがあるからなぁ…あ、森先生来た。また後でな。」

朝礼のため担任の森先生が入って来た。ちょうどよかった。これ以上は戸高と話すのは耐えられない。窓の外で枯れ葉が風に吹かれて舞っていた。

その日の昼休み。僕は初めて図書委員の仕事をさぼった。いや、正しくは適当に理由をつけて先輩に代わってもらった。僕の担当は水曜日。八木さんはいつも水曜日の昼休みに図書館へとやってくる。多分今日も来るだろう。だけど、僕は八木さんと顔を合わせたくなかった。僕は教室でお弁当を食べずに屋上へと向かった。空でも見て気持ちを紛らわせようと思った。しかし、屋上への扉は鍵がかかっていた。仕方なく教室へと戻って席につく。薄汚れた窓から見る空は少し曇りがちでいつ雨が降り出してもおかしくなさそうだ。

やっと授業が終わって放課後。僕はまっすぐうちに帰ろうとした。すると教室の外に八木さんがいるではないか。

「あ!見つけた…田中く」

僕は彼女を無視して歩みを早めた。僕はなんて心が狭いんだろう。もはや歩くと言うより走っている。後ろであの子が何か言っている。でも聞こえない。聞きたくない。靴箱までやっとたどり着いた。靴箱を開けると、コロンと小さなチョコが一つ飛び出して来た。

「これ食べて元気出せ!!戸高みこ太郎。」

なんなんだよあいつは。あいつにはとっても可愛い彼女がいて、バレンタインにチョコだって貰える。でも僕は…僕は…。どれだけ僕のことをコケにしたら気が済むんだ。はらわたが煮え繰り返りそうになって、チョコを投げ捨てようとしたその時、

僕の手を誰かが掴んだ。

振り返ると八木さんがいた。

「食べ物、粗末にしたらあかんで。おばあちゃんが言ってたもん」

八木さんは僕の目を真っ直ぐな目で見つめて来た。

「これ食べて元気出せ、戸高みこ太郎…あはは、戸高くんらしいわ。今日もみきがチョコ配ろうとしたら断ってくるんよ。今年はねおの以外食べない!って」

「え、配る…?」

「うん。落語ってなぁ、やっぱりお客様が大事やんかぁ。だからバレンタインはご縁を作る大チャンスやねん。これを機に落語研究会の定期公演に来てくれる人増えてくれへんかなぁって。そしたら落語研究会に入ってくれる人も中にはおるかもやん?」

「え、じゃあ…」

「じゃあ?まぁええわ。今日田中くん探しても探しても全然見つかれへんねんもん。昼休みはなぜか図書室におらんかったし。きょうどしたん?」

「いやぁ…えっと…」

「あ、そんなことより。忘れたらあかん。こればっかりは忘れたらあかんわ。」

八木さんはカバンの中をゴソゴソと探っている。

「はい!!」

彼女はピンクのリボンのシールが貼られた茶色の紙袋を差し出した。

「え、これって…」

「はっぴぃばれんたいん!やで」

「あ、ありがとう!」

「田中くんって手作りは大丈夫なタイプ?」

「え、え、あ、まぁ…うん」

「よかったぁ。フォンダンショコラ。口に合うとええんやけど」

「美味しくいただきます!」

「あ、手作りな、みくおくんだけやで。他の子には店で売ってるの適当に詰めて渡してん」

「え、それって」

「じゃ、みくおくん、また明日ねー」

回れ右をして帰っていく八木さんの頬が少し赤かったのは僕の気のせいだろうか。外では雪が舞い始めていた。

翌日、僕は腹痛で学校を休んだ。



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