短編小説「12人の女たち」第一章
「12人の女たち」
第一章
「睡眠薬と彼女が買ってくれたカーサ・スベルカソー(シャルドネ)」
みひろからは大体いきなり連絡がくる。その頃僕は中島らも著の古本を目当てにあづさ書店へいこうとしていたのだけれど、寒さに億劫で腰が重かった。
彼女はエステだかマッサージだかの美容関係の仕事をしていて、ぼくの住むマンションから程近い店舗へ出張でくることがよくあるのだ。だからその日も日が暮れてカラスも晩飯の時くらいに唐突に連絡を寄越してきた。
「チーズケーキいる?」
みひろの第一声は何度か復習してきたみたいに慎重にはっきりと言う。僕はその日別に誕生日でもなかったし、前もった予定を決めているわけでもなかったのだけれど特に断る理由もなかったし、チーズケーキは嫌いじゃないのでありがたく貰うことにした。
「いる。」
「いま家?」
「家。」
家じゃなかったらどこかまでチーズケーキを配達してくれたのだろうか。もしも家以外の場所に呼び出せばデートできるチャンスだったのだけれど、そんなことは大抵後から思い付く。それに自分の家に女の子がくることはどこかにデートにいくより幾分ラッキーなことじゃないか。僕は急いでインスタントコーヒーを淹れる準備を用意した。急な来客であっても、なにかもてなさなきゃ気が済まないはぼくのたちだ。ぼくは自分の舌を満足させられる程には珈琲を淹れられるので出来ればハンドドリップで淹れたかったのだがあいにく豆を切らしていた。多少なりともカッコつけられるタイミングを逃したが、まあいいやとあっけからんと切り替えられるのもぼくのたちだ。
ものの10分くらいで彼女は来た。玄関の鍵は空けていたけれど勝手に開けて入ってくるようなことはしない性格なのでわざわざ玄関の前まで着てから電話を鳴らしてくれた。インターフォンの電池が切れていたのをほったらかしにしていた。
簡単に「やあ」とか「よう」とか挨拶をかわしてから適当に入ってきて持ち物や上着なんかをソファーに置いた。仕事帰りにしてはやたら持ち物が多いなと思ったらお菓子やらなんやらがテーブルにどっさり並べられた。これだけみたら保育所のお遊戯会の帰りみたいだ。湯が沸いたので彼女と適当に話をしながらコーヒーソーサーに目分量でいれたインスタントに湯を注ぎ、混ぜ溶くものが無かったので箸を突っ込んでぶっきらぼうにかき混ぜた。
「はい、コーヒー。」
僕のイニシャルの入ったお気に入りのアルミ性のマグに注いだのを彼女の座ってる前に置いた。
「ありがとう。はい、チーズケーキ。」
一度開けた形跡のある長方形の箱がおもむろにテーブルに置かれので礼を言い早速手にとってみると軽かった。丸くて掌に収まるくらいの洒落たチーズケーキが1つ入っていた。箱の大きさからして3つか4つは入っていてもおかしくはないのだが、どこを探してもチーズケーキは1つだった。なんかの間違いなんじゃないかと思ったけど確かに彼女はチーズケーキを持ってきてくれたし、チーズケーキがそんなにあっても腐らせてしまうのがオチだし、彼女も自分で持ってきたスナック菓子やチョコレートなんかを適当につまんでいたので僕もそのたったひとつのチーズケーキにかぶりついた。チーズケーキの味を細かくは思い出せないのだけれど、それはチーズケーキというより細かに設定された企業戦略の元にチーズケーキと名付けられた生まれたタルトみたいな洋菓子だった。それともタルト生地をベースにしたチーズケーキなのか。もしくは彼女がチーズケーキだと思い込んでいるだけで全く別の商品名だったのかもしれない。とはいえ僕はその時甘いものを欲していたので便宜的に珈琲をのみつつもものの数十秒でその小さなチーズケーキをたいらげた。
彼女は美人でスタイルも良い。目鼻立ちが整っていて仕事柄化粧や身なりもスマートにこなしている。それでいて威圧的な要素はないし口角がもともとやや上がっているうえによく笑顔を見せてくれるので誰しもが好意的な印象を持つと思う。瞳は顔の大きさからしてやや大きくも感じられるが目の前にすると吸い込まれそうになるくらい綺麗で僕はそんな彼女の瞳が好きだった。そんな瞳でのぞきこまれると自分の汚い部分まで見透かされそうになり自分が生きていることを実感させてくれる。まさか毎晩目玉を取り出して漂白剤に漬け込んでいるのではないかと思う程に透き通っているのだ。彼女の瞳の色彩や透明感ほどの白ワインがあるなら農園に忍び込んで片っ端からその房をひっつまんでいくだろう。そういうわけでぼくも彼女と目が合うときは目はそらさない。一石二鳥だ。
彼女は男性遍歴について語りだす度に「私って恋愛体質なのよ」と困ったように頭をかいたり顔に手をやったりして言い訳っぽく言う節がある。実際にそういう体質があるのかもしれないがそれは大いに彼女の優れた容姿に起因している気もする。あえて僕からそんな風に彼女に言うことはないし、そもそも僕は彼女の容姿が好きだがそれについて口説いたことさえない。僕にとっても彼女にとってもそれは話すべき話題ではとっくにないからだ。ぼくらの関係にはこれといった始まりも終わりも無いような気がしていた。
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