見出し画像

散文日記「オタクファッションと仏教の関係性について」

・前にマツコ・デラックスが「どうしてオタクたちは示し合わせたかのようにオタクファッションになってしまうのか理解ができない」と仰っていた。確かにトレンドの服が洗練されて似通ってしまうのは頷けるが、一見理論が存在しないように見えるオタクたちのダサい服が似通っていくのは不思議な現象だ。

・では何故か。元オタクファッションだった僕から言わせてもらえば、「ダサい服の傾向がある一点に収斂されていくメカニズム」がそこには存在するのだ。これはあくまで仮説に過ぎない為、この理論を裏付けるもしくは覆す研究論文があればご教示いただけると幸いだ。以下に記してみる。

①小6までお母さんに服を買ってもらう。お母さんが服を買う時、発想の源泉に「子供服」という記号が植え付けられているため、子供服の延長のような妙なラインや妙なイラストが描かれた服をチョイスする。尚、それをマーケティング調査から既に理解しているイオングループは戦略的にそういう服を充実させ、全国のお母さんの購買意欲を刺激させる。

②中学校に進学し「カッコいい着こなし」という柄にもないことを意識し始める。しかしその野望はとても中途半端なものであり、予め深掘りして研究するほどではない。また、彼らは目が肥えていない為、「カッコいい」の定義がコロコロコミックや家庭科で作ったナップザックのレイヤーに留まっている。

③善は急げと向かう先はRight-onかしまむらである。そこで服を物色し始めるが、彼らには“コーディネート”という概念がない為、服の組み合わせを一切考えない。スポーツが苦手なのでチーム全体を俯瞰して見れないのだ。彼らは専ら1着の服単体を品定めし、良し悪しを判定する。

④そして大人っぽい「カッコいい着こなし」をするのに彼らは持ち合わせの一本槍の知識で臨む。それは「羽織る」という行為だ。小学生と中学生以降のファッションを比較して導き出した答えだ。シャツ1で乗り切っていた小学生にとって、前ボタンを留めずにインナーを見せながらアウターを着るという服装の立体化は彼らにとってコペルニクス的転回である。

⑤しかし先述の通りコーディネートの概念がないため、彼らは単体でとにかく主張が強いチェック柄のワイシャツを手に取ってしまう。尚、これもRight-on側にしては周知の事実である。戦略MAPの通りにチェックシャツを売っている。

⑥最後に、元々家にあるお母さんが買ってきた柄物のインナーと合わせることでオタクファッションが完成する。

・一度オタクファッションが完成してしまったらもうあとは抜け出すのは困難だ。整形した顔が不自然でさらにそれを整形によって補おうとしても、より不自然さが加速するのと同じで、完成したオタクファッションをどう足し引きしてもオタクファッション沼から這い上がるどころか、混沌化が加速するだけなのである。英字プリントのインナーに変えてみたり、アウターをテロテロのカーディガンに変えてみたり、腰にチェーンを付けてみたりするが全ては裏目にしか出ないのだ。オタクファッションは輪廻転生の世界なのだ。

・ちなみに僕がこの輪廻から抜け出せたのは、当時持っていた服を全部捨てて、新たにユニクロでマネキン買いしたからなのだ。抜け出す方法はリセットしかない。一旦ゼロベースに戻して完全に足を洗ってからじゃないと再スタートは不可能なのだ。人生と同じである。更生するには過去を清算し、罪を償い、煩悩を消し去り生まれ変わるしかないのだ。まさに仏教の教えなのである。

・ちなみに「真・女神転生」というゲームに登場するミロク菩薩がマツコに似ていると昔話題になった。そう考えると悟りの境地にいるマツコがオタクファッションを理解できないのも無理はない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?