見出し画像

関心領域

味付けはわざと甘め。でも野心的な良い映画だと思う。画(え)が素晴らしい。構図といい、表現といい、役者も、演技も、小道具も、大道具も、脚本も、何度も見直したい。

『関心領域』という題名は原題をそのまま訳しただけだけど、映画鑑賞後にはなんか違う気がするようになった。interestをどういう意味で使ってるのか、一度、原作を読んでみたいな。

巷で言われてるような、怖さをウリにした映画ではないように見える。一見、ナチスで働く、良い暮らしをしたいヘスお父さんが、一生懸命に仕事を頑張る話し。

『怖い恐い』と感想をあげてる人達は感受性が発達した方々だから怖く感じるのであって、自分のような鈍い連中には、この世の地獄が描写されてるとは、事前のCMでも観てなきゃ気付きもしない。ただ嫌な音が流れ退屈なだけだ。しばらくこんな状態が続いて、違和感は感じるものの、冒頭は眠かった。

ただその認識も、劇中で何が行われているのか理解が追いついて来ると完全にひっくり返される事になる。

左遷が決まったヘスお父さん

この映画を観て、思い出したTwitterがあった。

新型コロナウイルスのワクチンを打った父親が急死し、夜中に父親を思い「お父さんに会いたいよー、お父さんに会いたいよー」と、子供が夜泣きしてる、その音声を記録した呟きだった。  

へんな3年間だったよな

優雅な暮らし

アウシュヴィッツの映画とか観て思った事はないかな?『こんな命令に従うくらいなら転職とか考えなかったのかな?』とか。

しかしながらその行為で社会的な尊敬を受け、家族に優雅な暮らしと誇りを与えられるなら、人間は不都合な部分からは目を背け、人間性を捨ててでも、その仕事に一生懸命励むんじゃないのだろうか。  

正しいか間違ってるかの確固たる基準を、人間は自分の中に持っていない。外からの反応、自分への評価で測る。だから周囲から認められ、褒められ、社会的地位か上がっていけば、行為のおぞましさに慄く事無く、そのまま突っ走る人間も出てくる。身の回りで何人か思い浮かぶだろう?

…百万人を敵に回し、『お前等間違ってる』と呟ける人は全体の3%もいない。

この映画では、人の、時代とは関係ない普遍的な残酷さを描いているというより、無自覚、無思考な、『自分の正義』が無い人間達の恐ろしさを描いているように思う。何が悪なのか、自分独りで判断も出来ない、人間という生き物を。

残虐な描写は音以外一切カットし、あえて平坦な日常の描写に力を入れるのは、この話しが特別な事ではないと力説したいからだ。

過去が証明してるように、人という生き物は社会が容認すれば、人間の革でランプシェードや本くらい普通に作ってしまう。上が劣等人種の判を押せば、大半は無批判に丸呑みで受け入れてしまうのだ。

我々も寝室から火を眺め、足元に山程死体が埋もれているのを知りながら、その上で悠々と贅沢を享受している。チョコを旦那にリクエストしながら。
 
この場合、悪いのは、邪悪なのは誰なのだろうか?ヘス?ヒトラー?本当にそうなのか?テレビに踊らされる現代人達にも、なんとなく彼等、彼女等が重なってこないだろうか?テレビも怖いが、その怖ろしいテレビを作っているのは、テレビに踊らされている市民自身だ。

人を狂わす悪魔は、その狂わされる人自身が作っているという事実。怖いのはこの点だと思う。

現代もルドルフ・ヘスには事欠かないっつーか、人間とは皆、どこかヘスなんだろう。つまり、ヘスは我々自身の事だ。だから最後、ヘスは嘔吐できない。

今だからこそ公開する意味がある映画だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?