言えないよ、ジャパン。
おそばが好きだ。冬は格別である。
渋谷で働きはや数年。幾度迫りくる物価高の波のなか、特に「はやい。やすい。うまい」の立ち食いそばには大変お世話になっている。まさに大海の小舟、海上のオアシス。疲れたときほどあたたかいごはん。その一杯は活力の源である。
その日もお昼休みはうきうきそばタイム、馴染みのお蕎麦屋さんへ足を運んだ。
すると、入り口の自動券売機にはスーツケースを横に外国の方がふたり並び立ち、慣れない日本円とメニューを見比べながらアーイェーウーイェーつぶやいている。
いいよね。
いいよね、こういう海外旅行でのまごつきってさ。なんなら、このままカツ丼セットとカツ丼頼んじゃいそうないきおい。知らない文化のなかにいると、失敗すらワクワクのあの感じ。困りながらも、みるからにたのしそうなふたりである。
旅行のたのしみを邪魔したくないのと、なにより私はそこそこの人見知り。知らぬが仏、旅はほっとけ。そう。ふだんならば声はかけない。
だが、少しできつつある後ろの行列も相まって、迷いながらもやんわりとキャナイヘルプユーに動いた。
「ハロー!ディスイズそば。フェーマスじゃぱにーずヌードル。テイスト?グッド!デリシャス。これ、うまい!そう。イエー。うん。おーけー、オーケー。ナイストリップ!」
やんわりスタートだったのに、持ちうる装備が日本語6:いきおい3:中学英語の残り香1しかなかったので、なんとなくいきおいがついてしまった。でも、カツ丼セットとカツ丼のダブルパンチは回避できたはずだ。
「Wow!OK.Thank you!(意訳)」
「ばい!」
続けて自分の注文。いつもの天そばをポチッとして吐き出された食券片手に店の奥へ進む。
いやぁ、とくとく徳々。ちょっといいことしたなぁ……とか思いながら、食券を差し出し「おそばで」とお願いして、水を汲んでから席に着く。
ものの数分も経たないうちに「どうぞ〜!」と、ほどよい熱さのおそばにわかめ、ねぎ、そしてかき揚げの黄金トリオが登場。イヨッ!と言いたくなるような湯気の立ちぐあいに、そろそろ冬だねぇ〜と眼鏡くもらせどんぶりを受け取る。はぁ……いい。冬は立ち食いそばの旬。好きですおそば、おそば大好きです。
はぁ〜。いい香り。七味は、ねぎにかける派なのだ。ねぎの辛味と七味の辛味をゆっくりおつゆに浸しながらいただくのがいい。カリッと揚がったかき揚げも、食べ進めると同時にいい具合にだんだんしなしなしてきて、一杯で何度もたのしめるのがよきなのだ。ついつい語尾がなのだるのだ。人の数だけマイスタイル、立ち食いそばはそんな懐の深さも魅力なのだ。
ふぅ。
「ごちそうさまでした〜」
先ほどのやり取りを一部始終のうち一部だけ見ていたのだろう。厨房のおばちゃんが元気よく返してくる。
「センキューね!」
思わずほほ笑み返し、気分よくお店をあとにする。
入り口近くでスーツケースのふたりと目が合い、ニコニコと手を振ってくれる。こちらも控えめに手を振ってのれんをくぐった。
+
それからちょっと顔なじみになったおばちゃんは、見かけるたびに声をかけてくれた。
といっても、回転の早い立ち食いそばである。必要最低限のやりとりとあいさつはおそばの受け取りとごちそうさまのタイミングくらいだが、なによりすごいのはおばちゃんの進化だ。
「はい、センキューね!」からはじまり、
「グッドトリップね!」
「ハバナイスデイ!」
「センキューベリマッチ、またね!」
と、独自のバリエーションを交えて日々進化している。
先日など「いつもありがとうね(意訳)」的なことを英語でスラスラっと伝えられ、思わずわたしはニッコリで切り返し、無言のまま店をあとにした。
闊達なおばちゃんの声を背中に受けながら、ウィンと自動ドアが開き、のれんをくぐる。
それと同時に、今日も俺のなかの郷ひろみがいきおい歌い出すのだ。
ごめんおばちゃん。アイムジャパニーズ。
おわり。