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弁論がすごくおもしろかったので分解する。

※こたけ正義感さんの60分漫談「弁論」のネタバレを含みます
※受忍限度の範囲を超えない方のみお読みください
※読み終えるのに最長3時間以上になりかねない可能性があります

すごいものを、観てしまった。

これだ。

まだ視聴していない人は、なにも言わずに↑を観よう。話はそれからである。

おかえりなさい。1時間ぶりですね。
ありがとうございます。
これでこの先、こころ置きなく書けます。ネタバレします。

「弁論」は弁護士芸人のこたけ正義感さんの60分漫談である。文字通り60分、こたけ正義感さんがしゃべり倒した公演の限定配信。2025/1/15まで無料で公開されている。
ある日Xのタイムラインに流れてくるやいなや、その後も知り合いの方やともだちの何人かがおもしろいと言っていた弁論。ふむふむそうかそうか……と、お昼休みにうかつにタップ。するとどうだろう。

60分、イッキ見であった。

画面にがっしりと捉えられ、止まらなくなった。
食い入るようにスマホを観ながら、めっちゃ心地よく笑った。
60分があっという間だった。

わたしはふだんお笑いをほとんど観ない。年に一回、年末にM-1グランプリを録画でみるくらいだ。こたけ正義感さんもはじめましてだった。ナイストゥミーチューのほんとにナイスだった。知ることができてうれしい。
法律の知識も経験もふつうだ。生活のなかで、たまに警察の方に助けてもらうことはあっても、幸い弁護士や検察のお世話になったことはない。たぶん、すごく一般的でニュートラルな目線の視聴者層だと思う。
もしかしたら、ここまで読んだ人の中にも「60分長い」とか「弁論とか弁護士とかなんか難しそう」とか、「お笑い別に」とか「こたけ正義感って誰?」とかで、まだ観てない人がいるかもしれない。
たしかに、なんかコンテンツ観てつまらなかったときのあの残念感は嫌だ。もしはじめましてだったらなおさら勇気がいる。わかる。

いいのか?

安心してください。おもしろいですよ。ぜんぜん長くない。感じない。安心して笑える。そして、笑い以上に満足度すごい。はじめましてで最高にたのしいです。
一般的でニュートラルなわたしの爆笑が証拠です。はい、採用します。

もし、万が一、ここまで来てもまだ観てない人がいたらここで乗車しましょう。ぜひ。頼む。
もう観た人はもう一度どうぞ。

おかえりなさい。2時間ぶりですね。
ありがとうございます。
いや、ぜんぜん2週目オーケーだったな。むしろ、強くてニューゲーム感まである。わかっててもおもしろい……。めっちゃ笑ったわ。

……うーん、なんでだろう?

なにがおもしろいのか。
なぜ、心地よく笑えたのか。
わたしは、何をおもしろいと思ったのか。

気になるな。……よし。

お待たせいたしました。
弁論がすごくおもしろかったので分解します。



なぜ飽きずにイッキ見できたのか

現代のエンタメのおとも、スマホはなんでもできるツールだ。まじでなんでもある。映画も観られる。マンガも読める。音楽も聴ける。
ないのは、集中力くらい。

スマホでエンタメを楽しむときついつい途中で止めてしまって、別のことをしちゃう。バラバラ、ダラダラと眺めているうちに「なにしてたんだっけ?」となり、時間だけ消えている。そういう経験、ありますよね?ね?

そう、現代はエンタメに集中するのが難しい。
人は誘惑に弱いのだ。そしてスマホは誘惑が多い。音楽はサビ冒頭の転調マシマシ、映画はショッキングな引き、マンガは数ページで誰か死ぬ。飽きないようにいろんな仕掛けが工夫されている。それでも集中できない。無理ゲーも致し方なしの時代である。

だからこそ、映画館で観る映画や舞台、「それ以外はできない環境」込みの体験は価値もコストも高い。

弁論を観てまず驚いたのは、お昼休みにスマホで〜という最も集中から遠そうなシチュで完全に没入してイッキ見したことだった。

観終わって、やっと久しぶりに呼吸したようなあの感覚。はぁーーー!!!観たぞ〜〜〜!!!!という満足感と高揚。これが味わえるのって、なかなかない。

なぜ、わたしは弁論にどっぷり入れ込んで60分イッキ見できたのか。
まずは、弁論を時間で分解するところから考えてみる。

短く区切りがあるから観やすい

筆者作成。各カテゴリなどは筆者独自のもの。

60分って長い。でも、弁論はそれをまったく感じないほどの没入だった。なぜ飽きずに観られたのだろうか。

漫談の内容を時間で分類し、分解してみたのが上記の図である。
時間でみてみると、袴田事件のパート以外はひとつの話題(コンテンツ)で3分〜長くて5分と、一つひとつが短く区切られていた。そして、その数分の話題ごとに笑いや情報などの重力がていねいに配置されていて、集中が途切れずに没入できる。
これをエッセイや書きものに置き換えると、各パラグラフごとにちゃんと引きがあって読まされてしまうやつ。コンテンツのお手本みたいなつくりで、すごい。これは観ちゃう。

全体をみてみても、導入〜ケンカ解決のプロのくだりまで、前半と中盤で細かく区切られている話題がつながっていき、慣れたところで終盤の袴田事件に入っていく構成になっている。ここまでくればもう離脱なく、エンタメに没入できる。
これ、ジョーズとかのスピルバーグ映画の手口に近い。さんざん引きつけられて振り回されたら、その先の終わりはなにがあっても観てしまうってスタイル。ひとりしゃべりでも、こういうのがつくれるのか……。すごい。

フリ、ボディ、オチがていねいである

「弁論」「法律」「弁護士」と、一見すると難しいそうな題材でもすんなりと入れる。入れた。なぜだろう?

カテゴリ、コンテンツで分解してみると、
フリ(導入)→ボディ(中身・エピソード)→オチの構成がめちゃくちゃていねいで、このおかげですんなり入れて脱落しないつくりになっていることがわかる。
フリは短く1分〜2分、そのなかで難しい言葉はしっかりと咀嚼したり、「これからこんな話しますよ〜」とちゃんと提示してくれる。わかりやすい。プレゼンの基本をど真ん中ストライクで打ち抜くようなていねいさ。しかもそこが笑いにつながってたりする。

例えば、公演冒頭のあいさつでも「難しいことは話さないので気楽に聞いてください」と言った直後に肖像権の話題をはじめる……といった具合。(その後にちゃんと肖像権について説明がある)
この落差的な笑いは随所にあって憎いつくりである。

さらに、カテゴリごと、話題ごとにこのフリ→ボディ→オチが組み立てられていて、公演全体でもフリ(導入〜ケンカ解決のプロ)→ボディ(袴田事件)→オチ(冤罪事件)と、複層的に効いてくるつくり。なにこれ、すごすごんか?

とにかく導入がすごい

冒頭、肖像権のくだりでの引き込みがすごい。ここで一気に入り込んでしまった。なぜだ?

単にしゃべりを受け取るではなく、舞台の上に連れて行かれるような感覚。それは確実に冒頭の肖像権の部分が生み出している。

導入かはの落差でひと笑いしたあと、「肖像権」という比較的知ってるワードで共感をとりつつ、舞台後方のカメラを起点に客席とコミュニケーションをとる。舞台との壁がなくなり、これで一気に舞台と漫談世界につながって、我がことのように感じながら聴き入る。これ、会場で観てた人の引き込まれ方えげつなかったろうな……。うらやましい。生で観たくなるやつだこれ。

冗長性の言葉がほとんどない

人は考えながら話すと、「あの」「その」「えっと」など、言葉自体に意味を持たない言葉が出てしまう。それらの冗長性を高める言葉が多いと、中身が薄まって集中しにくくなる。

弁論では、60分間に渡ってそういう言葉が圧倒的に少ない。確実にふだんから話し方を意識している人のそれだし、もしやこれ、発話と思考を切り分けて一度完全にテキスト化したものを発しているのではなかろうか。もしかしたら一言一句。

えっ、この文量を?

すごすぎる。


なぜ心地よく笑えたのか

弁論を観終わったとき、もちろん内容がおもしろいのはあるのだけど、新鮮だったのは心地よく笑えたな〜〜〜!!!感だった。この心地いい笑いと快感。それは、どこから生まれてきたのだろう?

引きつけられて没入する構成、仕組みは時間で分解することで発見できた。今度は、笑いを生み出していたのかを考えてみる。

エクスキューズが絶妙である

多様な価値観がある今、エンタメに触れているときにぶつかる壁がある。それは「これ、笑っていいんだっけ?」だ。これはとても難しい課題である。

世の中には、いろんな考え方も立ち位置も視点目線もあるから、一方立てれば他方が立たず。特に笑いは難しい。少し間違えると、傷つく人が生まれてしまう可能性があるからだ。

だから、わたしが笑っているのか、誰かを笑ってしまっているのか不安になるときがある。これが一度入ってしまうとコンテンツに没入はできない。

弁論は、ただでさえ法律という難しい話題を扱っているのに、それがない。または可能なかぎり少なくされている。
随所で、絶妙にエクスキューズを入れてくれるからである。

例えば、親を訴えるパート。
弁護士の同僚が親からまだ結婚しないのか?と言われて怒るところで、さらりと「価値観の善し悪しは別として」「親としては」とエクスキューズとこの立ち位置から見たらこうですよね〜を提示する。このおかげで「たしかになぁ〜〜〜」となりつつ、しかもそれが笑いにつながっていく。細かい一言ひとことの積み重ねのおかげで、心地よく笑える。このエクスキューズ力が異常にすごい。

また、裁判を中心に対立軸をつけて話していくことが多いところも、一方のことを話したら反対側から見える意見も話す……といった具合に納得感が生まれるように展開していくのも、笑後感の心地よさを醸成している。

なにこれ、すごすぎんか?もしこの人詐欺師だったら壺買ってるわ。弁護士になってくれてよかった。

伏線回収という快感

再掲。筆者作成のもの。

人は、伏線が回収されると快感になる。なぜかは知らないが、経験で知っている。「さっきのやつだ!!!」「あれだったのか!!!」「うわーーー!!!」となるたびにおもしろい。

弁論ではこの伏線回収の快感がもりもりで、終始たのしかった。伏線回収、最高です。

伏線回収がはじめて登場したのは不動産屋のパート。「あるわけないじゃーん」である。
しかし、ここはややウケだった。どちらかと言えばエピソードの強みがおもしろく、ハンコ押して帰ったのオチのほうに笑った気がしていた。
でも、ここで既にわたしは囚えられていたのだ……。あたまに「伏線が張られ回収される」というフレームが埋め込まれ、この後だんだんそれが増えていくたびに笑いが増していく……。そしてラストへ。最高です。

また、伏線回収の仕掛けがすごいなと思ったのは、袴田事件のパート。導入〜中盤のケンカ解決のプロのくだりまで、ちりばめられた伏線フラグを回収していくのはもちろんおもしろかったのだけど、伏線回収のおかげで絶妙に袴田事件自体に笑っているのではないという位置にいられた。ここにもエクスキューズ……!!!

実際の事件を取り扱う、そこをエンタメするという覚悟とすごみ。事件の詳細を話すところは、笑いを排除しつつ、引き込んで仕掛けで笑わせる。なにこの構成、すごすぎる……。

余談だけど、袴田事件のくだりをはじめるときの呼吸の変化、空気を変える一瞬の舞台中央のしぐさがこれまた最高にしびれました。そこだけ何度も観てしまう。あれ、すごいよね。ビビった。


おわりに

弁論を分解してみたら、ものすごく緻密に構成されたコンテンツ、かつ安全性を担保されたエンタメで心地よく笑えることがわかった。
根底にある司法へのリスペクト。それを保ちつつ、絶妙にエンタメ化する技術。消費するではなく、エンタメに昇華するってのは、こういうことなんだとバチコーンやられた気分です。なにこれ。あらためて、すごい。すんごいぞ……。
こんなのできるんだね……。すごすぎる。

以上を踏まえて、もう一度「弁論」を観てみようと思う。深呼吸して、また舞台に没入するぞ。
ここまで読んでくれた方は精鋭中の精鋭だと思うので、ぜひご一緒に。

また、「こんな見方もあるよ」とか「ここ伏線だったのでは?」があれば、ぜひコメントで教えてほしい。よろしくお願いいたしますね。

おかえりなさい。3時間ぶりですね。
ありがとうございます。

180分、どうだったでしょうか。

3回目ともなればさ、俯瞰的に観られるだろうと思いきや、やっぱり笑ってしまうとこは笑うー!!!なにこれー!!あとあと、えー、これ観れば観るだけで発見あるやん!えっ、実はあれ伏線だったのでは?いや、もしやこれ、ルート分岐ありえた公演?ABCのAだけボールド太字なの気になるー!!なぞ!!!!……などなど、考察の余地ありすぎやろーーーー!!!!!!

これ、夜更かしになりかねないですよ。


おわり。

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野やぎ
待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!

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