フリーレンやばい
昨今は発達障害の時代。
本屋に行けば、I型のあなたの生き方や生きにくい人へのグレーゾーン(発達障害)の人の歩き方、HSP(繊細さん)の本、などなどetc
人の病を生む、社会の病は、<社会>の特異性から発生し、異常値が出た場合、病とみなされる。
つまり、人の病は社会の病と相関としてみられる。
これは哲学者のフーコーの発想。
人間が作る言葉で綴られたルール、規則、縛りによる社会の合理化。
大量の書類に決まりに社会規範、覚えなければいけないどうでもいい事が多すぎて、脳の占有キャパシティが支配されてしまう。
効率化、生産主義になり、使えない奴ははい切り捨てて、ポジション取りによる、人間を道具として扱う人間の人間による人間ゴミ化。
この違和感はとても重要。
違和感ですらなくなった時、人間は人間的になる。
正直、加速度的に社会が進歩していけば、そこからふるいにかけられてしまう人がいる事は想像することはできる。
そもそも精神病的な概念は敗戦後の日本近代化に伴い、統合失調症と呼ばれる人が急激に増えた
統合失調症(分裂病)の時代
↓
双極性障害の時代
↓
自閉症スペクトル(自己愛、HSP、ADHDにまとめられる)発達障害の時代←現在
統合失調(分裂病)が始まったのは、敗戦後に都市部周辺から重工業化が進み、人が都会に住むようになってから。
定住化による大規模なコミニティーを維持する為、生産性を高める為、言葉によるルールや社会的行動規範を必要とせざるを得ない状況になる。
つまり、これは言葉に拘ると出てくる病。
言葉に閉じ込められる事で発生する。
例えば、"ダブルバインド"で有名なグレゴリーベイトソンの精神の生態学に書いてある事例。
よくある話。
母親が子に「自立してほしい」というメッセージを言葉で伝えるが、ご飯を作ったり洗濯をしたりと、行動では逆の「依存してほしい」というメッセージを送る。
このような矛盾したメッセージを受けた子は、
どう行動してもどちらかのメッセージに反することになり、結果的に混乱し、ストレスを感じる。
つまり、身体から発するオーラと言葉が違うと、
子供が言葉にリテラルにへばり付くようになる。
そうすると文脈が読めなくなって、言葉が妄想の引き金になる。
''言葉なんてなければ私達はずっと一緒にいれたよね"
そしたら、80年代に日本の共同体(横の繋がり、ご近所界隈、隣に住んでる変な面白いおじさんとの繋がりなど)が崩壊して統合失調が激減。
代わりに出てきたのが躁鬱(そううつ)。
躁鬱というのは、何もかも自責化してしまう事。
ミスした自分が悪い。出来ないのは自分のせい。自分を見つめ直さないといけない。
といって、気分が憂鬱になったり、たまに躁(ハイな)状態になったりを繰り返す双極性の時代になっていく。
言われますよね?
あなた方が社会にでたら自己責任です。
自責論が強い日本は特にこの傾向がある。
社会様の迷惑にならないよう、行動規範を守り、他人を気遣った行動を心掛けて生きていきなさい!的なね。
そしてミスったらあなたのせいだから。
はぁーーー病む。
そしたら、ある変なやつらが出てきた。
物忘れはひどく、協調性がなくて、ルールも時間も守りません。
ただ、サバン症候群と呼ばれる、ある方面についてやたら記憶している変なやつ。
って流れで、ADHDが出てきて、いわゆる発達障害の時代へ。
発達障害の中身はもう書かないけど、都市部の重工業化が進み、社会が複雑性を増す中で、システムを回す側、もしくはシステムから見て、障壁にならないような人間にしか受け入れられないよう、明らかになってきてしまっている。
さて、2010年代頃は、発達障害は悪い事だという風に捉えられてきたが、昨今はかなり研究が進んでいるらしく、特に、ADHD系の人は世界に1割以上存在しているらしい。
じゃあなんでそんなに多いのか?何か理由があるのでは?という事で調べられていた研究がかなり進んできているらしい。
結論から言うと、必要だから存在しているという仮説。
る遊牧民時代の人類、狩猟採集段階でADHDと似た行動取る狩猟方法があったらしい。
"レヴィウォーク"と呼ばれ、例えば、採集エリアが1.2.3...とあるとすると、9割の狩猟人が一箇所を満遍なく調べるところを、気まぐれに一箇所だけ集中して調べてるかと思えば、ふらっと不規則にどこか違うところを探しにいってしまう採集方法を取るタイプがいた。
どちらが多く獲物や木の実を採集してくるか。
結果はなんと、レヴィウォークをする狩猟方法が最も成果を上げるという事が最新のコンピュータ
シュミレーションでわかったそう。
周りを気にしない。過集中。
代わりに発生する注意障害、忘れ物やルールをまもらないなどの協調性を欠くADHDの人達。
Googleとか、もうそんな感じ。
SNSでも、我こそは、生きづらさを語るADHDですという人。何なんでしょうこれ。
ADHDが羨まれるようにでもなるんでしょうね。
発達障害は神経症的マイノリティ。