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フリーレンは独身

世の中には産後に家族が不仲になるという問題がある。
もちろん、子供ではなく両親の仲。

ちなみに今は日本の半分の子供が、「家族と居ても楽しくない」と答える。
これは韓国でも同じ現象が起こっている。
なぜこんな事が起こっているのかという前提はさておき、核家族で育った自分もそうだったように、これからの子供たちにとって、つまらない家族との空間以外の逃げ場を何処に求めるのが良いのかという事をたまに考える。

イギリスでは両親が離婚して片親の元に育てられている子供の方が多い。
北欧諸国では結婚と出生を結びつけていないので、婚外子によるシングルマザーを支援する絶大なコミニティーが国により運営されている。
なので、離婚した家庭で育つ事は意外と問題視されておらず、むしろ問題なのは、そういう仲が悪い親の間で育てられた子供への悪影響の方。
論理的思考が出来ない発育段階の子供は、言語外の空気や感覚にとても敏感。(シュタイナーの臨界期)

出産は生と死の間を彷徨う体験は、身体的感覚を一気に呼び起こしてくれる。
かたや、男性はしばらくしてすぐに近代へ適応。
ロジック、マーケティング、お金に成功。
男らしく、とにかく稼いでこないとダメ。

で、定年退職後に会社辞めてのんびり過ごせると思っていたら、案外退屈。
で、友達はいないので身内家族が家にいないと在宅孤独死。

タワマンで孤独死って、本当に皮肉すぎる。
だから所詮、男の寿命は定年退職まで。
そしたら、定年退職まであるならいい方だよ!!
と、カフェのおばさんが言っていた。笑

そういえば、Youtubeショートを見てると、
若い男女の結婚後の価値観の違いとか、結婚した後はケンカばかりとか、やけに犬猿の仲を強調した生々しいドラマがよく流れてくる。
事実をリアルに切り取り、社会に問題を投げかけるドキュメンタリータイプはテレビでも映画でも数字が取りにくいので、必然的に数字、共感を取れるタイプのものを扱うが、あまりに多すぎる気がする。。

男女が分かり合うという考えはいつから出たか。
フェミニズムが最初に叫ばれたのは1960年代アメリカで公民憲法が置かれた時代。
法のもとに平等を置けば解決できるのか。
最近のLGBTQ法案可決の流れを見てくれ。
システムは結局システムでしかない。


さて、燃え尽き症候群にさえもなれず、人生退屈に生きてしまうのは何故だろう。

必要なのは目標?やりがい?人生のゴール?内発的動機づけ?キャリアプランとか?
んーー。どれもなんかアホすぎる。


一つ上の目線を持っていないと人間はすぐ無能になる。
これはそう。
管理職、役職者は社長を、社長は社会全体を、社会全体を考える人は世界を見ないといけない。


未規定のカオスに向かう感覚という概念をシュタイナー教育の文脈で捉える場合、主に0〜7歳までの「第1の7年間」に関連しているとされている。
音楽などの知覚もこの期間に養われる。

そして、子どもはまだ完全に物理的な現実や社会的なルールに囚われていないので、感覚が非常に純粋で、世界を直接的かつラベリングをしない状態で経験する。

まだ言語や論理的な思考で世界を分析する段階にないので、感覚的な世界に対して非常に開かれており、全体としての世界を直感的に感じ取る。

ただし、未規定の世界に開かれる感覚は、成長とともに徐々に特定の形に規定されていくため、この初期段階が感覚を育む重要な期間とされてる。

なので、この感覚を目標とかやりがいなどにラベリングしてしまった途端に、この感覚が非常に硬くて狭いものになってしまっているのだと思う。

つまり、日本人はキツネに騙されなくなったからつまんなくなった?

なぜキツネに騙されなくなったか

経済社会が変えた対人関係
情報社会が変えた自然の捉え方
近代社会が変えた伝統と人間の関係

経済的発展を遂げた社会は物だけではなく情報も人間関係も子供でさへ、全てを貨幣化させる。

情報が溢れて、ブランド、権威性、
説得には何かとエビデンスが必要とされる。
数字で見えるものが正しい。
どんなものでも測定できる物差しが必要な現代。
ただ、全ての事象はエビデンスで説明できないし、
最近は「人は生物学的に〜」など、科学的根拠をよく見聞するが、人間はゲノムだけで生きている訳ではない。
バカな親に産まれた子はバカみたいな。
生まれ育った環境は確かに重要。
ただ、絶対その限りではない事を知っておく。

近代になり、情報、産業のアップデートが頻繁に行われるようになると、徐々に地域の暮らし、共同体の在り方、人間の価値観、今まで当たり前だったものが、常識では受け入れられないものになっていく。

例えば、マクドナルドミミズ肉説。
料理も作った事ない爺さんや兄ちゃん姉ちゃんが作るハンバーグってなんなの?って事で、
今までになかった生活様式が現れた途端、それを恐れた人達が作った噂話。
こういうのは神経症からくる不安により作り出させる。

コロナ渦でおきた5G人間操作説とかも。
そもそも、そういう風潮する人は、5Gってそもそも何で何に使われているかも分かっていない事が多い。

昔の馴染みと話をしても、
自社がどこどこの大きな企業と合併するとか、
どこぞの投資家から数億の資金を調達したとか、
どこかに新しいお店を出すとか、

そういう話ばっかり。

いや、たしかに凄いし生きてく上で大事なんだけど、
なんかそれよりも、最近キツネに騙されて、、
とかの話の方が面白くないですか?

社会を代表するヒエラルキーのようなもの(地位、名誉、収入、知名度)に向かえば向かうほど、自我が遠心から中心へ狭まっていく。

「自我」については、ある僧侶の言葉があるらしい。

「我々は自我が肥大をしています。自我肥大すると世界が狭くなります。傲慢になることで世界が狭くなる。すると例えば大いなる大自然のような「大いなる」世界を失っていくのです。昔は台風がくるのは風神・雷神が来たとか言ったわけでしょう?そういう世界を失って、世界が狭くなった。」

自我を保とうと恒常的に働くホメオスタシスが
非常に硬くて狭いものになった。
だからキツネにも騙されなくなった。

面白いか面白くないか。
お笑いではなく興味。
興味は期待。

期待値とか企業価値とか、数字や貨幣に換算された途端、急にときめきをなくしてしまうのは何故だろう。