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フリーレン面白い

学生の子に会うと、就活なんかを相談されるような歳になった。
就活に関しては、明らかに聞く相手を間違っているよとだけ先に伝えている。

察するに欲しいアドバイスは、
どの業界が伸びているかとか、業界の裏事情とか、稼げる職業は何か、とかなのか、、

業界の裏話、履歴書のストーリー作り、小手先を挙げればキリがないし、実体験からいうと、20代のうちに1〜2年のスパンで5回ぐらい転職をするとかのアドバイスになってしまう。


ただ、今若い人の意識が「収入」から「社会問題」に意識が若干向き始めてる。
海外にでない限り、今後自身が歩んでいく<社会>の現実を知る事は就活を励む事と同じぐらい大事なのではないかという個人的に強く思うので、社会について知見を語る事にしてみた。

<社会>とは?


こちらであえて定義すると、社会とはルールや法、決まりに従わないと罰を受ける界隈のことを社会と呼んでいる。

学校ではホームルームではみんなと同じように話を聞きましょう。
会社では協調性を大事にしましょう。
日報とかなんか知らないけど誰も真面目にやってないがとりあえず決まりだから書かされるクソくだらないルーティンも決まりだからやりましょう。

で、もしその決まりを守らないと周りから叱られたり罰を受けたりしますよね。

罰とは、管理してる側から怒られたり、周りから疎外されたり、ひどい時には仕事がなくなり金銭的(生活面)に脅かされる状況に追いやられるなども含む。

狭い社会(学校や会社、ニッチな業界)で生きていればいるほど、その影響はさらに大きくなり、罰を受けるとその界隈で生きづらく、もしくは生きていけなくなる。
(日本には古くから村八分という制度がありまーす)

ただし、社会で生きていればその恩恵をたくさん受けることもある。

普通に生きていればあり得ないぐらい価値のあるように思えてしまう人脈や情報や物も、その環境にいるだけで享受出来てしまう時もある。
だから、決まりもルールもみんな大事に守る。

そこのルールを守り、生きてるだけでエレベーター式にみんな上がっていける。
こんな良いことはない。

だから、人はポジション取りを始める。

これがとても重要。

ポジション取りが始まると、人間は損得勘定で動き、人間ではなく人間的になる。

日本は最近"沈みゆく泥舟""インチキ先進国"と揶揄される事が多い。
あらゆる経済的指標を見ても、かつての高度成長期を経たアジアNo.1の経済先進国ではなくなっている事は、どのSNSでも騒がれている事。
12年前は1ドル80円で今は160円(円安)
昨年は世界第3位の経済大国もインドに抜かれ4位へ降格。(斜陽国家)
タイの中心地と日本の物価もまぁ変わらなくなってきた。。
実質経済もすでに終わっている事は肌感でも分かるはず。

で、昔はポジション取りの椅子取りゲームに勝ち上がっていけば、そりなりの将来が約束されていた。
けど、こんな国がグズグズのカオスの中で、損得勘定で椅子取りゲームして生きている場合じゃないでしょ。

でも、資本主義の枠組みの中では金を稼がないといけない。
だから"勝つために"ロジックを学ぶ。

効率化、合理化経済にマジで適応する。
合理化された人間関係は繋がりや友愛を失っていき、人は損得勘定に生きるようになるんです。

さて、人間であるか人間的であるかの重要性は、70年代にユルゲンハーバーマスという人が「人間の将来とバイオエシックス」という書籍で投げかけている事。

ポジション取りを始めると、人間は浅ましくなり平気で人を蹴落とし、自分の立場が侵されないような振る舞い、言動や態度を取るようになり、損得勘定に従う。

テクノロジカルな将来には、デジタルヒューマンのような電脳化されたAIが人間よりもはるかに人間に近いと感じるようになる。

そしてこれはどうしようもないという事。
文明の発展と共に、人間が本来持つ身体的機能(友情や愛情など)は劣化する。

具体例を挙げるなら、
クラスにイジメられてる子がいても、その子を助けると今度は自分が周りのクズたちに嫌われてポジションが危ぶまれるかもしれないから、何もする事が出来ない。
これととてもよく似ている事が至る所で起こる。

同性異性関係なく、見知らぬ酔っ払いが駅や道に倒れていたら、水を買ったり声をかけたりしてあげた事はありますか??

かくして、本来の人間が持つ心体的繋がりを排する動きが強まり、仮に助けたいと思っても助けれなくなり、個々の連帯が取れなくなる。
結果、人は日本のシステムや法や決まり、掟、ルール、制度に頼るようになる。
(最悪、バツの悪い宗教に頼るようになる。)

じゃあ今の日本のシステム。
年金?社会保障?正規雇用?生活保護?

はぁ。
こんなシステムに頼る事が出来ますか?
無理ですよね?
というか、システムに頼り切った社会が良い社会の在り方だと肯定して生きていけるかどうか。
これは個人の価値観の問題だけど、、

90年代にジャックヤングは「過剰包摂社会」と名付けて、システムに包摂された人達はどう言う行動を取るかを提唱している。

平たく言えば、革新を起こそうとすればするほど、安心快適便利を脅かす存在に対して、「はい。お前ルール守ってねぇ!」って足の引っ張り合いを始めたり、
昔と違い身分も能力もぱっと見の違いが分からないので、俺の方がお前よりも劣っていない!と証明する為に、人々は妻競り合いを始める。

マジでそうなってるでしょ。

繰り返しになるが、システムに頼ると人は社会に依存、適応しだす。
で、社会にマジガチで適応してる人間は人間的なクソミソに成り下がってつまらない奴になる。

特に男。なんか最近なんかキモい奴が爆増してない?

youtubeでは、インセルにミソジニーがDV?セクハラ?薬飲まして淫行?とか
関連動画を見れば、マスクした若干身バレ防止みたいのをしてるやつが美女の落とし方?マッチングアプリの必勝法?とかのサムネで動画を出してる。

なんだこれ。。


恋愛コンテンツ市場は大きいから、ビジネスとして使われてしまうのは分かっているけども中身をみれば、
初日はカフェで警戒心を解け?
沼らせるなら一発目からヤレ?
デートしたら2〜3回目でセックスでしょ?

おいおいおい、、
日本人のこいつらマジで言ってるのか。。
ビジネスとはいえ、マジで死んだ方がいいと思いませんかこんなの?


ヴィルナーゾンバルトによれば、資本主義の枠組みではエンタメと消費が結びつくように、出会いもエンタメとして人々は消費をする様になる。

これは多少仕方がないとは思っている。
社会は変えるものではなく変わるもの。

だから、経営者になる事を選ばない限り、男でも女でもLGBTQでも、自分がこいつは友人だと思えるやつは守り、思えない人間はどんどん切り捨てていくのがいい。

国民全員、会社にいる人全員が同じバックグラウンドや理想を持ってるなんて幻想はもうありえませんので、人間的な人間を自分の人生から排除していく。
もしくは適応しているふりに留めるのが、適切な対応です。


という、もはや就活は関係ない話を自分よりも7つも下の子にして、終始ドン引きされた出来事でした。