名指揮者が次世代リーダーに伝えたかったこと。

TED.com

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書くを学び合うコミュニティ「sentence」に参加しています。
そのアドベントカレンダー9日目の記事になります。
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書くことそのものというより"言葉を扱う"という意味で、印象に残っているTED talksのお話をしようと思います。
Benjamin Zandarという指揮者が2008年に行った、"The transformative power of classical music"というプレゼンテーションです。

TEDはTechnology/Entertainment/Design をテーマにしたスピーチフォーラムで、非営利団体が運営しています。スピーチなどを通して素敵なアイデアを世界に広め、啓蒙し、人々をつなげる活動を行っています。
TED Talkはその看板イベントの一つで、"Ideas Worth Spreading"(人々に伝えるにふさわしいアイデア)というテーマのもと、研究者や企業家たちが5~20分程度でプレゼンします。フォーマットは自由で、音楽を演奏したり、ダンスを行ったりということも。

彼は、『音楽と情熱』という邦題の通り、当時70歳とは思えない迫力と茶目っ気、そしてあふれる情熱で会場の1,600人に及ぶ観衆を魅了しました。会場の様子をWebで無料配信してくれるTED talksではじめてこれを見た10年ほど前から大好きなコンテンツで、2018年12月時点で視聴回数が1,000万回を超えているメガヒットコンテンツとなっています。

彼の"IDEA worth spreading"は何だったのか

はじめて彼の動画を見た当時学生の私は、彼の”Idea worth Spreading”は「人気はないかもしれないけど、クラシック音楽は素晴らしいものだよ!」ということなんだと思っていました。

皆さんの多くは、1900年代にアフリカに行った靴のセールスマンの話を知っているでしょう。当地で靴が売れる見込みがあるかどうかを調べるために送り込まれた彼らから、マンチェスターの事務所に電報が返ってきました。
彼らの一人はこう書きました。「状況は絶望的。中止せよ。誰も靴を履いておらず」。もう一人は書きました。「素晴らしい商機あり。まだ誰も靴を履いていない」と。
専門家は、クラシック音楽を好きなのは人口の3パーセントだと言っている。そして、その数字を4パーセントに増やせれば満足だと言う。
ちょっと待った。こう言ってみたらどうだろう。
「みんなクラシック音楽が大好きなんだ! それに気づいてないだけなんだ!」っていうのは?

ジョークを交えながらもクラシック音楽のつらい現状を語ったあと、彼は「今日はみなさんと実験をしましょう。」といって、ステージに置かれたピアノでショパンの前奏曲第4番を弾き始めます。

Youtube

とある人が”a short and melancholy piece(短くも憂鬱な作品)”と評したこの曲。音楽素人の私でも、この曲が盛り上がりを誘うようなものでないことはわかります。単調なリズムを重ねながら、彼はこう言います。

私が弾き始めたら瞬間は、思ったでしょ。
「おおなんて美しい響きだ」って。
 しかし、途中でこんな言葉が頭に突然出てきませんでしたか?
 「来年の夏休みは 別なところに行きたいわ」なんて。

その後、コード進行の説明をしたり、情景の説明をしたりして、観客をクラシック音楽の世界に引き込んでいきます。

ドという音の役割は、その後に続くシという音を悲しく聞こえるようにすることです。ほらね?
今からもう一度同じ曲を弾きますが、頭の中にあなたの大切な人のことを思い浮かべながら聴いてくれればと思います。。大切だけど、もう会うことがかなわない人のことを。

最後にもう一度、同じ曲を弾きます。
私にとって、さっきまではただの連続したピアノ音だったのに、それが線になり、曲になり、情景になる。
これだけでも素晴らしい経験。だったんですが...

クラシック音楽=素晴らしい、で終わり?

伝えたいアイデアが"クラシック音楽の素晴らしさ"なら、「ほら!素晴らしいものになったでしょ?勉強して色々聞いてみてね」という顔をして、拍手を受けてそのままステージを降りればいいはずです。

しかし、プレゼンテーションは演奏が終わった後も続きました。

彼が結びとして選んだのは、こんなお話。
長くなりますが、意訳して引用します。

さて、最後に私の思いを述べます。これは、みなさんがこれから話す言葉を変えてしまうでしょう。みなさんの口から出る言葉すべてを。

私がアウシュビッツでわずかな生存者の一人から聞いた話です。彼女は15歳の時に、8歳の弟と一緒にアウシュビッツに連れて行かれました。「私たちは列車でアウシュビッツに行ったんですが、ふと見ると弟の靴がなくなっていたんです。そして私は言いました。『なんてバカなの、自分のこともちゃんと できないなんて!』って」姉が普通に弟にいう言葉ですよね。

不幸なことに、それが彼女が弟に言った最後の言葉になりました。弟とは二度と会えなかった。彼は生き残れなかったんです。

そこで、彼女はアウシュビッツを出た時に誓いを立てたんです。
「私はアウシュビッツから生きて戻ったとき 誓いを立てました。
それが最後の言葉になったとしたら耐えられないようなことをもう絶対に言わない、と」
 私たちはそれができるでしょうか? そんなことはない。私たちは自分を悪く言うし他人のこともも悪く言います。
でもそれは誰かの心に長く残ることもある。それを忘れないで。どうもありがとう。

今年改めてこのプレゼンを見返して、この話の意味と彼の本当の”アイデア”がやっと腹落ちしました。
彼は、クラシック音楽の素晴らしさの話をしていたのではなく、どんなにつらい状況であろうとも人を導くリーダーはどんな人か、という話をし、そしてそれを自ら体現していたんだと。

口と手から出る言葉に責任を持ち、体現すること

TEDカンファレンスという次世代のリーダーが集う場で、会場のみなに彼が伝えたかったこと。それは、
・現状がいかに劣勢だろうとビジョンを信じ抜くこと
・最後の対話になったとしても後悔のないことを話すこと
・口で伝えるだけではなく、自ら体現すること

これを、3%しかクラシック愛好家がいないとしても100%みながクラシックを愛することができると信じ抜く指揮者として、実験と称して3つすべてをTEDの場で実現したリーダーとして、改めてBenjamin Zandarを尊敬します。

そして、言葉や書くことについて考えるとき、本当にその内容を自分が心から信じきれているか、体現できているか、改めて自分に問いかけたいなと。

それが最後の言葉になったとしたら耐えられないようなことを、もう絶対に言わない

改めて口に出して読んでみると、こんなに難しいことはないなと感じます。今日一日を振り返って、少しでも会話をしたあらゆる人(家族や友人、立ち寄ったカフェの店員さん、対面/オンライン含めて仕事で会話したパートナーさん、などなど)に対して、これを守れているかまったく自信はありません。。
しかし、それでも諦めずにできると信じて挑戦し続けることが大切なんだと。全世界の人がクラシック音楽を心の底で愛している(そして時には内戦で傷ついた子供の心も癒やしうる)と信じて活動するBenjamin Zanderのように。

書いたり話したりする機会はそこら中にあり、SNSやブログ、音声メディアを通じて多くの人にその内容を届けることも簡単な時代になりました。noteを読んだり書いたりする人のなかには、数年後・数十年後にリーダーとなる人もたくさんいることと思います。

ぜひ一緒に挑戦してみませんか。
それが最後の言葉になったとしたら耐えられないようなことを、もう絶対に言わない・書かない、と。そして、書いた世界を実現するために、自らが体現し、先導するリーダーになると。

Life is for Sharing. それではまた.


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志/のぞみ
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