しがみついても仕方ない
noteを書くのは昨年のおじいちゃん代理の命日以来ですね。なかなか書く気が起きないと言いますか、自分の価値観や考えを人に押し付けてるような気がして苦手なのです。それでも、やはり自分について書かないと相手には伝わらないので、少し自分の価値観について書いていこうと思います。話し言葉でかつ乱文になると思いますがご容赦頂ければ幸いです。
人間関係は変化するもの
昔は同窓生や同級生、フォローしている人の縁を切るのが怖いと思っていましたが、自分が変わるチャンスを失っていると感じるようになりました。そして、年月や経験などを経て自分も相手も変わるものだから、今いる人たちにしがみつく理由は、少なくとも私にはそこまでないと思うようになりました。
相互フォローしても人が感じてるものと自分の感じてるものは違うし、変化していくものだから、必ずしも恒久的に相互である必要はないよねという考えです。
恋人以前に一人のヒトである
私には4年近く付き合ってる異性の恋人と、10年近く思い続けてる同性の片想い相手がいます。
「あれ?一途じゃないの?」と思われる方もいると思いますが、同意のうえで交際しています。
ハッキリ言うと、私は異性に性的魅力を感じることがなく、恋人は私の物悲しい容姿に物足りなさを感じていますが、お互いに性的嗜好を理解し、どのような人物が好きか把握するという形で過ごしています。
「それってお互いに好きなの?妥協してるだけじゃない!」と思う人もいるでしょう。思考回路が似通っていて、かつ話し合いができる環境であれば、別に気にするほどでもないかなと私は考えています。それに、ヒトという動物である以上、ほかに魅力的なものがあれば目移りするものだと思いますし、相手の趣味嗜好を否定してまで寄り添うくらいなら、ちゃんと把握したうえで一人のヒトとして尊重したいと私は思います。
できる限り言語化する
上記二つに限らずなんでもそうですが、自分が感じたことについて誰かに話して具体化してもらうという事をしています。直観と感覚で何となくわかっていても、理論的に説明できないものはオカルトみたいなものだと感じていて、言語化して自分の感覚が理論上存在するのか知りたいと思っています。
また、自分の中に起きた感情もできる限り殺さず、どういう理由でその感情になったか納得したうえで吐き出しています。思考を通した時点で感情ではないと思うかもしれませんが、勢い任せに話して相手を泣かせたこともあるので、感情の客観視は私の中で外せなくなってます。
感性を理性で割っても
理性で飲み込もうとすると自分の感情を押し通すタイミングを逃すので、今回こうして思考回路を曝け出す機会を作りました。基本的な考えは書けたかなと思う反面、感情をさらけ出すのは結構難しいなと感じました。
いくら理性で割ることが出来ると言っても、割り切れない思いなんて幾らでもありますからね。今後、感情を言語化して曝け出す機会があったとしても、非現実的だというわかりきった指摘は来てほしくないなと思います。
また何か書きたいことがあって、気が向いたらnote記事にしますので、その時はよろしくお願いします。ほな。