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突き飛ばされた心の置き所

ずっと死んだつもりで生きていた。
それには理由があるけれど、いまは書かない。

そこに、ものすごく圧倒的に自分勝手な気持ちで踏み込んできた異性の気の合う友人があらわれ、あなたは生きる価値がある、と条件なしに肯定してくれた。

本当に勇気がわき、力がよみがえり、本来の自分のよいところを思い出し、生きようと思った。

このハチャメチャな友人の味方でありたいと、今も思う。
だけど、なにせこの友人は無軌道な激情の人で、しかも他者評価が軸だから、簡単に気持ちはうつろい、もう、私には飽きたようで手ひどく私の不器用さを糾弾して突き飛ばすように去り、最後に私の名前を間違えたメールをくれた。
あんなに「いつも応援している」「大切な人」といっていたのに。

私は、友人に美しいものを、たくさん、見せたかった。友人がみつけた良いものを、たくさん、みせてもらいたかった。

別に愛はなくていい友人関係なのに、まるで失恋したよう。
美しさを感じるたびにさびしく、伝える人がいなくなった言葉を飲み込む。

それでも、私は生きようと思わせてもらえたことを一生感謝していくと思うのだけど、会うことは、もう、ないかもしれない。
なにせ、あの人はサイコパスだ。興味がなくなり、利用価値がない人に関わることはないだろう。

ただ、友人に美しいものを届けようとした文章を書く私が、形を保てないほど傷を負ってしまい、落ち着きなく感情が混乱している。

人の心は本当に出来事の移り変わりの、後、の方が複雑怪奇な分岐をする。生き返らないほうがよかったのだろうか?そんなことはない。

私のことなのに、わけがわからない。

ただ、人に会う、ということの濁流たるや。
岸辺から眺めると柔らかな清流なのに

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