
Photo by
nana_hitori
生きるのは難しい いてほしい
死にたい人のnoteをみた。まるで「死ぬと言う自分、見参!!」くらい、文書で暴れている
ひとつ、思い出したことがある
子供がオーバードーズで救急に運ばれたとき、ただ、ああそうしたかったのか、と思いながら、私のわがままで救急を呼んでこめん、と思った。
私が泣いたり叫んだり動揺しなかったから?警察に疑われたのか、後日も聴取された。
死にたい気持ちを尊重できなくてごめん、でも、大変なのは承知で生きてほしいんだよ、君がいない世界は生きるに値しない、という私のワガママ。
死にたい気持ちを知っているのに、生きるのは大変なのに、引き止めるワガママ。
なんなんだろう。
死にたいとnoteで暴れる人は友人がいなくなったという。何かをわかってもらいたかったのかな。
誰も他人のわかってほしいことなど何もわからない。
でも、いてほしいから、医療が発達したり、自殺を罪とする宗教があったり、話をしたりするのかな。
子供が、あのときしたことなかったカラオケで友だちと歌うとか、あのとき知らなかったワサビを口にして慌てて水を飲むとか、あのとき考えもしなかった美容に興味もったり、生きていて暮らしている姿の全てが、痛みも喜びも、呼吸さえ、かわいらしく、大切。
生きるのが難しいことはわかっている
いてほしい。別にそばにいなくても、生きていて、もし、難しいけど生きていて良かった、みたいな瞬間がきたら、と願う
正しいとか間違いとか、ない。
生きるのが大変なことはわかっている