ブログの僕と現実の僕 ~上海短期同棲生活を経て~
最近ブログの更新が止まっていました。
理由はただ一つ。
ネタがなかったからです。
最近の僕の生活はあまりにも平和に満ちていました。
というのも僕は先日語った素人女性童貞喪失計画に付き合ってくれた女性が「私の家に住んでも良いよ」と誘ってくれたため、僕はここ2週間ほど彼女と共に同棲していました。
彼女とはとても性格や生活習慣が合い、毎晩のように酒を飲み交わし、休みがあれば近場へ旅行に出かけるなど充実した日々を過ごしていました。
杭州にある西湖の夜景を観ながら、酒を飲み交わしたあの日、「日本の味が食べたい」と言われ一緒に台湾混ぜそばを作ったあの日、カラオケで朝まで歌い明かしたあの日。
僕にとってどれも新鮮でかけがえの無い体験でした
しかし僕はこれらの出来事をブログに書くことはできませんでした。
なぜなら僕がブログに書くのは全て僕が「ブログに書いたら面白くなる」と感じた事柄です。
挑戦談や失敗談、誰もが驚くであろう体験。
これらのコンテンツが僕のブログの大半を占めています。
この一週間僕はそんな経験をすることはありませんでした。
だからといって僕はこの一週間退屈した日々を過ごしていた訳ではありませんでした。
気が合う人との何気ない会話の瞬間や小旅行を通じ新しい街を見た瞬間は何物にも換えがたいものであったと思います。
僕はこれらの瞬間を自分にとって不必要な時間と捉え切り捨てることはできません。
時よりブログに書く話が無いことに恐れをなし、何か新しいことをしようと考えることもありましたが、現在の生活に不満は無かったためわざわざ新しい物語を作ることはしませんでした。
僕はこれまで目に見えるものにばかり囚われていました。
中国で奇抜なことをして有名になるだとか、驚くような体験をして飲み会やブログのネタにするだとか。
いつしか僕の行動基準は「ネタになるかどうか」に変わっていき、ふとやりたいと思ったことがあっても「あれはネタにならないからやめよう」という思考が浮かび自由な活動ができずにいました。
元々自分の思ったことを自由に書くために始めたブログが僕の自由を奪っていたのです。
面白いことがあったからブログに書くのではなく、ブログのために無理になにかウケることをする。
確かに僕は自分がウケると思ったことをして他人を笑わせたりするのが大好きです。
しかし僕は常にそうしたことしていたい訳ではないし、他人にウケることが必ずしも自分の楽しいことに当てはまるという訳でもありません。
例えばいま貴重品の入ったバッグをどこかで盗まれれば、後で話のネタにすることができますが、実際僕はバッグを盗まれても楽しくありません。
ブログの中にいる自分は常にネタを求めていますが、実際の僕は必ずしもそうではないのです。
毎日バナナ配りたいわけではないし、毎日怪しい場所に行きたい訳でもないし、毎日ゲイとセックスしたい訳ではありません。
僕はただ自分の生活が楽しくあって欲しいだけなのです。
「楽しい」とは必ずしもネタになることだけではありません。
何もせずダラダラ過ごす時間や友人と意味も無く酒を交わす時間、そんな時間も僕にとっては楽しい時間の一つなのです。
ネタになる行動だけを重視してそうでない時間を無意味と切り捨てる人生はあまりにも現金で魅力に欠けていると僕は思います。
時には動き時には休む そんな人間味のある生活を僕は大切にすべきではないでしょうか。
紆余曲折ありましたが、僕の上海旅はこれにて一度終了します。
次の目的地は南京。さて次はどんな旅になるのでしょうか。
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