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私はどこでも眠ることができる。電車の中でも、飛行機の長時間フライトでも、空港でも、友達の家でも、知らない国のホテルでも、テントでも眠ることができる。それは健康的なのだろうか、と考える。自分の枕でないと眠れない人の方が、眠る場所を大切にしているような気がする。私は、自分の布団でなくても、枕が変わっても、掛け布団がなくても、リクライニングシートの上でも変わらない。夏にクーラーをかけながら羽毛布団で眠るのも良い。けれどそれはbetter to haveであって、必ず必要なわけではない。
絶対に必要なものとはどんなものだろう。
なくてはならないもの、たこ焼きのたこのようなコアになるもの。手紙を出す時の封筒のような、シドにとってのナンシーのような、あるいはジャックが登るべき豆の木のような存在。
たこ焼きのたこがイカになってしまったら台無しだろうか?ナンシーが死んだ後もしシドだけになったとして、新しい出会いがあることは野暮だろうか。ジャックがブドウのつるを登ったってかまわない。こだわるにはあまりにも些細で、捨て去るのは惜しいものたち。あなたの代わりはいないと言うのは残酷だ。それはあなたはどうでもいいと言われるよりどうしようもない。
たこ焼きのたこの代打でイカになれればよかったのに、と思うことがあまりにも多すぎませんか?
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