Rina Ellingham

Rina Ellingham

最近の記事

やめないことを続けるとき

もう書けないと思っても書くのをやめなければ、書けないなりにも何かを書いている状態が続く。それを維持するために書いているようなところはある。口に出せなくても言葉として残れば、その時何を思ったのか鮮明になる。思い出すことがなくても、読み返してみれば「こんなこと思ってたんだ」と当時の自分を知ることができる。口に出した言葉は後から読み返せない。出した途端に流れてきた情景のことばかり覚えていて、何を言ったか忘れているようなことも多い。 2日くらいまともに寝れてないので今日は寝たい。そも

    • まだ75回しか投稿してないらしい

      おかしい、もっとたくさん書いてると思っていたけれど、まだ100回も投稿していないらしい。 これは続けることがいかに大切かを思い知る。 最近は羊肉の入った辛い麻婆豆腐が食べたい。

      • 7/29

        早く元気になりたいなあ!

        • 7/28 最果ての海

          歩くだけでどんどん汗が出てくる。毎日そんなことばかり考えているから気がついたら夕方になっていてやっと歩ける、みたいな日々。暑いのに大きな着ぐるみのキャラクターと記念写真を撮りたい。隣のひとが泣いてると泣かない映画館みたいに、着ぐるみの方が全然暑いので隣にいる私が比較的涼しく感じられるのではないかと。今年はお店のかき氷を食べてみたい。

        やめないことを続けるとき

          7/24

          日付の数字は時間に当てはめても不自然さがない。1月1日から12月31日まで、すべて時間であってもおかしくない数列だ。反対に、時間は日付にできないものもある。4:32とか。 一瞬目を瞑っただけでもう日が暮れてしまっていたりする。やっと鼻から呼吸ができるくらいになってきたけれど、三半規管は冷やしてお腹は温めておいた方が調子がいい。パソコンが信じられないくらい熱くなったりするから、保冷剤で冷やしたりする、家の中なのに。秋が来るのなんてまだまだ先。秋口まで誰にも回されないガチャガチ

          7/23

          暑くて溶けてしまいそうになる連日、家の中をどれだけ涼しくしても、外に出たら暑さは誰にも止められない。家の中は24度にしてると腰やお腹が冷えてしまうからそこだけカイロを貼る。もう体の温度がめちゃくちゃである。めちゃくちゃだけれど、お腹は冷やすと体に悪い、けれども首や頭は冷やさないと暑くて眠れない。こんな気温なのはどうかしている。こんなに暑いのに、おかしなくらい地球温暖化には触れないのも変だ。暑くて頭が沸騰しているのかもしれない。こんな日は足元からびしょびしょになってもいい様な格

          7/22 どこまでもいっしょ

          どこでもいっしょというゲームが、今年で発売から25周年を迎える。何回か書いたかもしれないが、私はこのゲームをこよなく愛している。 いわゆる会話ゲームで、たまごっちのように小さいポータブルゲーム機と、プレイステーションを使って遊ぶ。主人公はトロという名の中で、なんやかんやあり共に生活をするようになるところから物語はスタートする。トロには夢がある。それは人間になること。そのためにたくさんの人間の言葉を覚えさせてほしいと言うので、しりとりをしたり言葉を教えたり、あいさつなんかも教え

          7/22 どこまでもいっしょ

          7/21

          一日中メガネで過ごすと、家の中なのに自分の解像度が下がって違う場所で過ごしているような錯覚を覚える。目がしょぼしょぼで喉が痛いので、それだけで気持ちが萎んで病人のような気持ちになる。 大阪で食べた冷凍みかんがとてもおいしかった。冷やされただけでもっと甘さが凝縮されて美味しく感じるみかん。今日は満月、明るい月も外に出てみるくらいの体力を戻したい。きっとできる。 冷凍みかんが車内販売で売られていることがあった。今は新幹線の中でもグリーン車でしか見られない光景だから、そこで冷凍

          7/20 夢の跡で育む

          どうにもならないくらい昼夜逆転だった生活を立て直すために新幹線に乗った。目的は好きなアーティストのライブ最終公演に行くために。 曲目もアンコールも増えていて、1時間くらい伸びていた。大きな画面と鳴り響く音響装置で聞けるライブは、行けるうちに行けるだけ言っておきたいと思った。一人で2回参加したライブは初めてだったけれど、ちゃんと楽しめた。よいよい。買うと思ってなかったキーホルダーを買ってホテルに帰る。 ピーナッツくんのことを知ったのは、刀ピークリスマスというクリスマスにされ

          7/20 夢の跡で育む

          7/19

          夏の京都はイヤホンをせずノイズを最大限聞こえるようにして歩くべき土地だ。商店街の真ん中にはお神輿をしまう為の倉庫が縦長にそびえ立ち、そこから年に一度出された御神木のような大きさのお神輿たちが担ぎ出される。担いだこともないけれど、ここを歩けたらいいなと思うような軽快なステップで。 熱波みたいな風が流れて気がついたら祇園にいた。縁がある友人たちがいなければ絶対に辿り着かないような夜が一人でいると起きる。一人で旅をする意味を考えながら歩く。歩いて歩いていったら烏丸にいて、辺りはしん

          7/15

          私はどこでも眠ることができる。電車の中でも、飛行機の長時間フライトでも、空港でも、友達の家でも、知らない国のホテルでも、テントでも眠ることができる。それは健康的なのだろうか、と考える。自分の枕でないと眠れない人の方が、眠る場所を大切にしているような気がする。私は、自分の布団でなくても、枕が変わっても、掛け布団がなくても、リクライニングシートの上でも変わらない。夏にクーラーをかけながら羽毛布団で眠るのも良い。けれどそれはbetter to haveであって、必ず必要なわけではな

          7/14

          海開きの日だったので家の近くの海まで歩いて行った。いつもは何もない浜辺は、どこまでも海の家が立ち並び音楽が鳴り響いている。ライフセーバーの男の人は「浜辺で音楽を鳴らすのはやめてください」と案内しているが、海の家からの音楽は流していてもいいらしい。 海の家からはヨットが数台見え、浜辺には小さい日陰をつくるテントがいくつか並んでいる。テントは風にたなびいて少し崩れたりしている。海は静かに波打っていて、いつもの三倍くらい人がいる中でマンゴージュースを飲む。ままならない状況であっても

          7/12

          お灸をしてくれる整体に行った。最近ずっと朝方に眠る生活をしていたので、なんとなくどこか本格的に壊れる前に行ったほうがいいと思ったからだ。体はいろいろメンテナンスが必要だったが、ひとまず調子が戻って今順調に眠い。家中が豚汁の匂いに包まれていてもう眠りにつきそう。豚汁の香りは眠りに誘う何かを含む。今日は朝方強い雷の音がした。雷だったか隣の家のシャッターを開けると音だったのかもしれないが、とにかくすごい音がした。好きなVtuberのどうぶつの森動画を見ながら寝たからか、夢の中でどう

          7/12

          ささくれができたと思い親指を眺めたけれど、そこには傷ひとつない甘皮があるだけだった。 眠る時、枕元に駆け寄ってくれる猫がいた。聡明で思慮深く、愛に満ち満ちた年老いた人。伴侶はこういう人でなくちゃという気風に満ちた人。今は老人ホームで幸せに暮らしている。あの子がいないと眠れないような日がある。それでもどこかで幸せに暮らしてくれていると思うと、それだけで救われる思いがある。自分の隣だけがベストな領域ではない。実にたくさんのことを教えてくれた。いつかまた一緒に暮らせたらいいなという

          7/11

          一年で10回会うということは、10年で100回しか会えないということだよね、と人が話す声が聞こえた。 100回会ううち何度同じ話をして、そのうち何度か食事をして、夜空を一緒に見上げることは何度あるだろう。 忘れられないと思っていたことから離れて、もう思い出せなかったことがぽろぽろとこぼれ落ちる。忘れられないことは川に流されひらひらと。ただそこにあったことだけを覚えている。いくつまで覚えているのだろう。いくつまでも思い出せるだろう。 宝箱の中に入れてどこに行くのも持っていきたい

          飛行場で見る夢たち

          大きくても小さくても飛行場で自分の乗る飛行機を待っている時間は良い。夜であれば夜の、昼であれば昼の良さを携えている。パスポートさえあればいい。あとはビザ機能のついたデビッドカードがあれば当座生きていける。誰も知らない街に行くということは、その行為だけで大層意味があるように思える。知っている人たちばかりに囲まれていると、自分がどこにいるのかわからなくなるような蟻地獄に飲まれていくような感覚がある。それは遠い場所にいくことを誰にも知らせず、目的も行き先も自分ただ一人しか知らないよ

          飛行場で見る夢たち