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4/8 ピカピカのセーター

半年に一回くらい、なんだかよく分からないけれど無性に買い物に行きたくなる時が来る。目に入るもの全てが必要になるかもしれない、という気持ちになり、いつかまた欲しいと思った時にはもう手に入らなくなっていることに耐えられないことを想像する。この世のものは大概が無限じゃないし、人気なコスメや香水はいつだって限定販売のポップがついていたりする。次に行った時に買おうではもう2度と出逢えないような無数の可能性たちとの逢瀬。買い物はたまに、私を海賊のように強欲してくれる。
洋服もバッグも靴も多くは持っていない。ずっと使っている革のリュックは使い古しだけれどまた使えるように修理に出している所だし、気に入ってずっと履いているスニーカーの底にできた穴には内緒で養生テープをくっつけてまだ履いている。デパートやショッピングモールにだって年中行くわけじゃないし、洋服は決まった型の気に入ったブランドか古着が多い。変化を求めているようで選り好みをしている。美容院は10年以上同じところに通い続けているので、もしその人が引退したらどうしようとたまに考える。その時は私よりもうんと若い人が私の髪を切るようになるのだろうか。

今朝初めて入ったコーヒーショップは、店内が古民家のようでそうでないようなリノベーションをされていて、アイスで頼んだカフェラテが久しぶりに唸るほど美味しかった。冷たいのにあんなにコーヒーの味がするなんてちょっと感激だ。晴れているような曇っているような愚鈍な天気で、帰りは海辺で足を投げ出して歩いてきた。足が砂浜にはまるような、蟻地獄に飲まれていくようなあの感覚。泳げないのに海や海辺が好きだ。昔はよく湖の近くに住みたいと呟いていた。日本ならやはり琵琶湖だろうか。

今日はずっと応援している人が作っている服屋がポップアップをやっていたので遊びに行った。私はその人のものを作る姿勢や一貫したこだわりの貫き方に大層助けられてきた。日本ではもうほとんど動かせる人のいない織物の機械を動かせる職人を探したり、自分で一から綿花を育てたり。普通ではコストがかかりすぎて選ばれないような方を彼女は進んで選ぶ。最初は真っ白なTシャツのみを提供していたそのブランドは、今やさまざまなコラボレーションや開発を経て染められたTシャツや長袖も出し始めていた。続けること、彼女がものづくりを続けてくれているから出会い続けられる。やめないことが一番の薬になると坂口恭平はよく呟いているけれど、やめないで続ければ何か起きるかもしれない。何も起きなくても、続けていくことで癒される何かが生まれてくるのかもしれない。春だから余計にそんな風に思う。春だからいつもよりももっと白いトレーナーを着たくなるし、浮れた帽子だって被りたくなる。必要ならダンスだってしたい。いつもよりも浮かれポンチでいたい。だって春だから。


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