【FF8考察】アルティミシアはスコールだった…?

世間がFF7Rに沸き立って一周してFF7Rすら少し前のゲームになってきた感が出てきた今、
ようやくFF8をクリアした。
色々な人の考察を読んでちょっと考えてみたところ、
スコール=アルティミシア、
スコアル説という意味不明な説を思いついたので書いてみる。
(半分冗談)

これ子供のころに友達から借りて、
僕「ジャンクションって何?」
友「わからん」
っていう状況から一切発展せず、
イフリート倒したあたりでもうよくわかんなくて、
すぐ返却したという思い出が。
それから約20年が経ち、
スイッチ版がセールになってたんで、
子どもの頃のリベンジを果たすべく購入。
てことでこれ20年越しのクリアです。

今になってようやくシステムやストーリー理解したけど、
これやっぱりネットもない時代の小学生には厳しいよ…。
普段はRPGは攻略サイト見ないでクリアする派だけど、
大人になった今でもFF8は多分見なかったらクリアできなかったと思う。

魔法の個数増やすと上昇値があがるとか、
GFのアビリティ覚える順番指定できるとか、
生命魔法生成が序盤の要とか、
攻略サイト見て初めてわかった。
そんなに説明文読み飛ばしてたつもりはないんだけど、
この辺はかなり不親切じゃない…?

その辺の不満はさておいて、
ストーリーは面白かった!

結構、というかかなり唐突な展開も多かったけど、
それもまた語り過ぎない美学ということで…。
今作では色んな謎がちりばめられている割には、
これはつまりこういうことでした!
っていうわかりやすい種明かしはあんまりなく、
セリフやシーンから
多分こういうことなんだろうなあ
っていうことがぼんやりとわかってくる、
かなり僕好みな作りでした。

ストーリー上一番衝撃だったのは、
GFの副作用で全員が子供のころの記憶をなくしていたことが明らかになるシーン。
これスコール達はあっさり受け入れていたけど、
個人的にはちょっとうすら寒さを感じるホラー展開だった。
であると同時に、FF8への興味関心が急上昇した転換点だった。

でEDまで終わった今、
この設定がFF8においてすごく重要なテーマなんじゃないかという気がしている。

そもそもこの設定、すごく面白い設定じゃないですか?
通常RPGの主人公たちって、
強くなることに代償がない。
まあ普通の生活とか、家族との時間とか、教育の機会?等々、
が奪われているともいえるかもしれないですけど、
だいたいRPGの世界は強さがすべて。
強くなって魔王倒せればそれでいいんです。

だけどスコール達は、
GFのおかげで常人離れした強さを手に入れたけど、
子どもの頃の記憶がなくなっている。
そしておそらく、子供のころだけでなく、
最近の重要な記憶もなくなっていく。(EDから、

本作で「記憶」は重要なテーマの一つだと思う。
何せラスボスは過去・現在・未来を一つにするという「時間圧縮」をすることが一つの目的だった。
時間圧縮がなんなのかはよくわからないが、
おそらく製作者にとっても明確な事象とか現象というよりかは、
結構雰囲気で作ったSFワードの一つな気がしている。
ただ、過去・現在・未来を一つにする、
ということから考えるに、
「記憶」という時間の連続性を否定するもの
だと捉えられる気はする。
そう、これGFの副作用と一緒なんですよね。

スコール達の孤児院時代が明らかになるシーンで、
スコール達は魔女を倒せれば記憶がなくなろうが気にしない、
みたいなスタンスだったが、
これって思想的にはどっちかっていうと魔女派なんですよね。
時間の連続性の肯定派、否定派の二項対立で考えると、
元々のスコール御一行と魔女は否定派なんじゃないかと。

ただスコールにも転換点があって、
それがリノアとの恋だった。
正直思春期のスコール君からあふれ出てくる恋愛脳全開のセリフや態度は、
見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだったけど、
これがあったおかげで、スコールは明確に魔女と戦う理由ができた。

それまでのスコールは、
他人に興味ないし、
自分で考えることも面倒だし、
いつ死ぬかもわからないSEEDとかいう傭兵だし、
多分過去にも未来にも興味ないっていう、
いわばよくいそうな厨二病な学生だった。

リノアとの恋はスコールの成長物語であると同時に、
リノアとの未来を強く願うという、
過去・未来の肯定への変容物語でもある
と思う。

当然、
過去があって、
現在があって、
未来があるのだから、
未来を否定することは過去を否定することだし、
過去を否定することは未来を否定することでもある。

リノアとの恋があって初めて、
時間圧縮という未来も過去も否定する行為を、
スコールが明確に拒否しなければならない理由が生まれた。

時間圧縮の目的はいまいちわからなかったが、
過去も未来も他人も、すべてを完全に否定したくなるというのはどんなときだろう、
ということを考えると、
アルティミシアは世界に、人間に、時間に、すべてに絶望していたのだと思う。
魔女として迫害され人間に絶望したのかもしれないし、
過去にも未来にも何も光がなかったのかもしれない。
そこまでではないだろうけど、
似た人間が一人、誰かいなかっただろうか…。

物語上はアルティミシアの正体をリノアだと考えるのは面白いし、
説得力もあると思う。

ただイデオロギオー上は、
アルティミシアはリノアと出会う前のスコールのなれの果てで、
昔のスコールのように人との関係性や過去、未来を否定する存在である、

とは考えられないだろうか。
それを倒すことで、スコールは愛する人との未来を守った。
過去の自分を倒すことで、過去・未来を肯定するというのはいささか矛盾している気もするが、
そう考えるとFF8はスコールの成長物語であるという側面がより一層強まり、複雑なストーリーがまあまあシンプルに見えてくる、気がしなくもない…。

最後に、
FF8は批判も多い作品ですが、
個人的にはすごく面白かったです。
少なくとも、
今日クリアしたばかりなのにこんな文章書いてみたくなるくらいにははまりました。笑

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