シラユキ
「自分が自分自身の主治医」になる。双極性障害について学んだこと。
1.道しるべ 自分が双極の診断を受けた時、どうしていいかわからなかった。 ショックだったし、病気のことをあまりにも知らなさ過ぎた。 当事者会に参加するようになって、同じ思いをしている人にたびたび出会う。 若い頃、子宮内膜症と言われて戸惑った。診察室でパンフレットを渡され、帰宅して何度も目を通した。 当時はインターネットなんて普及していなかったから、情報を集めるのが大変だった。 今は簡単に知りたい情報にアクセス出来る。ただ玉石混淆だ。 正しく有益な情報に早くたどり
また穴が開いちまった 必死に塞ごうと手を伸ばす 掴むのは酒か博打か女か さあ、刺激で麻痺させてくれ “しらふ”の状態に耐えられないのさ ◆ 先生は避けろと言うけど つい覗き込んでしまうの 穴から手がにゅっと伸びて 引き摺り込まれそうになる 這い出せない場所にふたりぼっち
最小単位が「ふたり」だったらいいのに
【世界双極性障害デーとは】 “双極性障害に対する理解を深め、社会的スティグマ(社会的に立場の弱い人々に対する差別や偏見)をなくすことを目的とされており、双極性障害を患っていたとされるファン・ゴッホの誕生日が3月30日だったことにちなんで制定されました” ★ そもそも偏見とはどういう心の働きでしょう。「好意的ではない先入観」と言い換えることが出来ないでしょうか? 「障害※」と聞くと、いわゆる健常者は身構えるかも知れません。健常者と障害者、その境界線は一体どこにあるのでし
ブレーキの壊れた車に乗っている 脳は衝動を抑えられない 何度衝突しても 理性は大破した体の前で立ち尽くす 沈みゆく船に乗っている バケツでいくら掻き出しても 溢れる水に溺れかける 足のつかない場所で泳げやしないのに 孤独を誰かと分かち合えるはずもない 眠れない夜に出会う眠れない誰かの 力なく放つ蛍のような光は 白んでゆく朝のあわいに溶けてしまう ストックのポカリスエットを開けた 熱があるみたい 体はSOSを出すけれど 心の救難信号の出し方をまだ知らない 生きることが何
月曜の朝にエンジンがかからないのは、週末の予定をこなしたものの休息が取れていないから。 今週のタスクが山積みなのを目の当たりにして腰が重くなる。 午前中に用事を済ませようと思ったら、最初の予定が早く終わり二軒目のお店が開いていない。 朝食がまだなのでいつものカフェでクロックムッシュと紅茶のモーニングを注文した。 ガラガラかと思いきや店内は混雑している。やさしいBGMと喫煙室から漂う煙と至近距離に座る知らない誰かの会話と。それが今は心地よかった。 部屋で一人きりの時、
ちょうど下弦の月。夜ふかししないと会えない月。顔を伏せるようにして沈んでゆく。月と地球は元々ひとつだったという話が好き。いつまでも追いかけっこしているみたい。いつか水平線にのぼる月を見てみたい。Fly me to the moon.
幼い頃、両親との関係が私の心に風穴を開けた。 父が突然いなくなったこと、母がアルコールの問題を抱えていたこと。 それを自分のせいだと思い込んでいた。 人には二面性があるということを子どものうちに理解出来るはずもない。 だから見捨てられるのがこわくていい子でいようとした。 大人になるとその穴を何かで埋めようとして承認欲求をこじらせた。 今もそれが消えたわけではない。たださみしさを「認識する」ことは出来ているみたいだ。 占星学では、私は身近な人と同一化しやすいところ
何していいかわからない夜がある
♠️ カウンターでロックグラスを傾けると氷が音を立てて耳を撫でた。 今夜は満月だとお前が言った意味を考えている。 このくらいじゃ酔わないはずなのに頭がクラクラした。 なあ、終電なんか気にするなよ。 🖤 じゃあ一杯だけと言ってカシスソーダを頼んだ。 あなたの声を聞いていると体がフワフワする。 駆け引きなんて出来ないの。 距離を縮めるにはどうしたらいい? ♠️ シーツの冷たさから逃れるようにお前の感触を求めた。 すがるような瞳が絡みつく。 俺の形に沿って
午前2時を過ぎた。母がまだ帰って来ない。 切り盛りしているスナックはとっくに店じまいの時間だ。何かあったのかも。 売上金を引ったくられるとか、店で客に乱暴されるとか、タクシーで事故に遭うとか。 不安が不安を呼んで眠れるはずがなかった。 午前4時を過ぎるとさすがに心配で店に電話をかけた。しつこくベルを鳴らすと酔い潰れていた母が応答した。 どちらが保護者がわからない。明け方に家路に着いた母のいびきが聞こえるとやっと安堵出来た。 学校に行く前に玄関から一枚ずつ脱ぎ捨てら
東京の人はよく並ぶ。大晦日の朝、近所では年越し蕎麦を求めて行列が出来ている。 蕎麦を食べるのは好きだけど、自分で茹でるのは苦手だ。時間通りに茹でているのにふにゃふにゃになるし、大きな鍋やザルで洗い物が山になる。 蕎麦はもうインスタントでいいやと思った。年越し蕎麦の習慣も「みんながやってるから何となく」でしかない。 おせちやお雑煮に至ってはそれぞれの家庭で受け継がれる味があるだろう。ある年のお正月、かつての姑と義姉の静かなバトルに巻き込まれた。鶏肉VS豚肉。うま煮の話であ
火葬場へは駅からタクシーで行った。前日に買っておいた花は水に浸けておいたがもう萎れかけている。 「お父様、今夜持たないかも知れません」 二日ほど前に看護師から電話があった。すぐに病院へ向かったが間に合わなかった。 享年七十歳。父は胃がんだった。 不思議と涙が出なくて自分でも冷たいと思った。それよりも、ひっくり返った虫の死骸のように硬くなって動かない父のなきがらを目の前にしてこう思った。 「どこ行ったの?」 私には父がそこにいると感じられなかった。 火葬
お母さんが仕事で毎晩家を空けるので、学校から帰ってご飯を食べ終わる時間が苦痛だった。 自分でお皿を洗って明日の分のお米を研ぐ。その間にお母さんは鏡の前で化粧をしたり派手な服に着替えたりしている。 夕暮れが近づくと人は本能的に物悲しくなるものだ。獣に襲われる心配があった太古の名残りらしいけど、現代人も一人でいるのが心細くて灯りのある場所に集まるのだろう。 お母さんが仕事に出ると、電気を消してしんと静まり返った部屋に一人きりになる。怖がりの私はそれが嫌で仕方なかった。 け
影も自分の一部。
胃が痛くて眠れない。理由はよくわからない。雪に埋もれてしまいたい。久々の低迷。