新宿の銭湯 放屁と資本主義
新宿の銭湯によく通っている。
その銭湯はかなり大きい作りで、露天風呂の周りのスペースに沢山の椅子が置いてある。そこはいわゆる外気浴スペースで、サウナあがりの男たちが、ほてった身体を投げ出して気持ち良さそうにしている。
先日僕もそこの外気浴スペースで、意識を朦朧とさせながら歌舞伎町の空をぼんやり眺めていた。
すると隣の50代くらいの男性が大きな放屁をした。
その放屁は一回では留まらず、何回も連続でなされた。それはもう心配になるくらいに。
僕はどうしてか、その放屁からアメリカの国家を連想した。
それ程けたたましい放屁であった。
そこで寝そべっていた10人弱の男たちは、屁から逃げる様に散り散りとなった。
中には舌打ちをしている者もいた。
でも僕は何故だか、その場から離れられなかった。
離れるタイミングを逃していた事もあったが、離れたら負け。という意識が僕の中に芽生えていた。
僕は匂いを我慢しながら、その放屁男を横目で観察した。
頭は禿げ上がっていて、腹部は不健康のお手本の様に膨らんでいた。
しかし、それを恥じたり隠したりしている様な雰囲気はなかった。
むしろ「50歳なんてこんなもんだろ。健康法なんてくだらねぇ」と訴える様な図々しさがあった。
観察の内に
彼はわざと放屁をしたな。という確信が芽生えて来た。そう思われる何かが彼にはあった。
(ここからは僕の妄想・願いだけど)
彼は社会にや世間に対して放屁をかましてやったのだどの思う。天に唾を吐く様に。
そしてヤラせなさをぶっ飛ばしてやったのだ。
そう思うと、何故だか嬉しい気持ちになった。
僕も(メタファーとしての)放屁をかましてやろうと思う。
ぶっぶっぶっ