
一度目の教師を辞めた話②〜部活〜
こんにちは。今年度から二度目の教員をしていますnowakoと申します。
今回は①の続きです。
2022年11月。久々の2連休で足を止めてしまって、アドレナリンの無限放出が終わってしまった。
朝、布団の中で心臓がぎゅーーっとなって、心も身体も緊張して苦しくなる。ドキドキ、ゾクゾクしてとてつもない恐怖感に包まれるようになりました。
秋ごろ、通常の過重労働(過重が通常とは?)に加え、部活の生徒との関係が上手くいっていない現状がありました。
秋に始まったことではなく、春からの積み重ねでしたが、「生徒はこんなに頑張ってるのに先生たちのやる気がない」と言われてしまったものでした。
顧問は私ともう1人、年下の男性で、彼の方が先にこの部の顧問になり私はその年度からその部に配属されました。自分のやっていた大好きなスポーツだったので、私は決してやる気がなかった訳ではないし、もう1人もスポーツ人間だったので、やる気がない訳ではありませんでした。
ただ、私は英語科、彼は数学科で、放課後に講習や補習があったこと、彼は結構大変なクラスで担任1年目で様々な対応に常に追われるような感じで、部活には最後に顔を出すくらいしかできていませんでした。
「大人に見てもらってる」感に飢えた生徒たちの不安と不満が溜まってしまっていました。
前々から外部コーチを探してもいたのですが、見つからずに秋になっていました。これも、生徒からすると「コーチを見つけてくれない」というフラストレーションになっていました。
部活を頑張りたい生徒には単純に行けなくて申し訳なかったですし、子供だから自分目線でしか物事を考えられないのは仕方ないので、生徒は悪くないのですが、
部活に顧問が行けない現状を作っている学校にモヤモヤした思いを持ちました。
ただ、後に、部活の保護者からも「子供は一生懸命やりたいのに顧問のやる気がない」と言われてしまったことはダメージが大きかったです。
部活に来ていないといっても、職員室で休憩しているわけでもないし、何なら休みを返上して、こちらとしては身を粉にしてできる限りやっているつもりだったのに、何にも伝わっていないのが辛かったです。
別に感謝されたり認められるためにやっているわけではなかったけれど、何とか生徒のためにと体力を振り絞って頑張っていたのが何にも届いていなかったのかと分かると、頑張ることが虚しく意味のないことに思えてしまいました。
早起きをして、授業準備もできず1日部活に使ってきた何日もの消えていった休日は何だったのだろうと思いました。
肯定してくれとは言わないけれど、せめて否定はしないでほしかった。
やっぱり人間って所詮、誰かに承認されないと辛いと感じるんですね。誰かのためにと思ってやってきたことが報われないのはなかなかしんどいものです。
せめて、頑張りと何かが比例してほしかった。
また、それとは少し別件で、秋は次期部長やキャプテンを決める時期でした。様々なプロセスを踏み、限られた時間で話すべき人と話し、役職を決めました。
が、役職の配置自体は間違いではなかったと信じているのですが、部長になりたかったのになれなかった生徒の対応に苦戦しました。
両親が来校し、ひたすら非難され、「全然部活に来ない顧問にうちの子がどれだけ部長に憧れていたかが分かるか。子育てしたことないから分からないだろうが、親は子のために命だって惜しくない。」と言われました。
頑張ってる娘たちと一緒に汗を流せと怒られました。でも、学校の教員って本当にそこまでしないといけないのでしょうか。
私はスポーツが好きなので、今の学校でも着替えて体育館に行きますが、スポーツに興味がなく部活に行くだけでも億劫な同僚もいます。
たまたま配属された部活で、好きでもないのに一緒に汗を流せって、なかなか苦行じゃないでしょうか。
話は戻り、その生徒は担任のクラスの生徒で、実際に落ち込んで学校に来られなかった週があったりと、こちらも不安になりました。間違っていのだろうか?自分が大好きなスポーツで、私はそのスポーツが同じく大好きな女の子を傷つけてしまったのか?
自分が間違っていたのかと心配になりましたが、もう1人の顧問がその所はしっかり芯を持っていてくれたので、支えられました。
こちらも心身が万全じゃなかったので、朝、遅刻の電話を入れたい気持ちになりましたが、
「あの生徒が頑張って来たのに私がいなかったらダメだ」と自分を奮い立たせることができました。
何が正解か分からない中、出てくる一つ一つの事に対処していたらこの件は落ち着きを見せましたが、その途端、私のHPがさらにガクンと落ちました。
という感じで「出来事」としてしんどかったのは部活のことが挙げられますが、部活がしんどくて辞めたのではなく、一つの原因にすぎません。
それまでの人生で、幸いにも努力はすべて報われるものだと信じることができていました。他人のためにしたことは何かしらの形でこちらに返ってきました。
でも自分のためでない努力が全て報われるわけではなく、報われない時の虚しさを知ってから、無理して頑張りすぎる必要はないというマインドセットに変わった気がします。
実は今日、部活を休んでしまいました。別に行けなくはなかったのですが、風邪気味で年明けの1週間を駆け抜けたこともあり、今の部は土曜は大人が5人もいるので、任せてしまおうと思いました。
この今日1回、無理に奮い立たせたところで、それが感謝される訳でもないし、いなくて困る訳でもないので、頑張る必要はないかなと。
午後に入っていた別の仕事に専念するため、午前は家で休みました。
自分を守るために休みを選択できるようになったのは、前回の学校を辞めるに至ってしまったことから学んだことだと思います。
→③に続く