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30歳独身女、帰省終了、帰宅、両親の老い

夢の8連休が終わり先ほど実家から帰宅。
帰省といっても自宅から1時間半ほどに実家があるので、土曜の仕事終わりから実家へ行き月曜早朝に実家から出勤することもよくある。

他県に住む兄は私より一足先に帰省し、一足先に帰って行った。
母「あんたたちといくつになっても一緒に過ごせるのは私は幸せなんだけどさー、寂しいよねー私らが死んだら。」

兄が30代に突入してからじわりじわりと出てきていたが、今回の帰省では「結婚」「孫」というワードが何度も母の口から出た。
因みに私は秋頃「あんた(ずっと1人でいるなら)そろそろ思い切ってマンション買っちゃった方がいいんじゃないの」と言われて、あ、そろそろ私も本格的に心配されるようになったのかと気づいた。

私たち兄妹のことが大好きすぎるベタベタな母なので(過干渉から解放されたいのもあり私はあえて実家から通えない学校に初任校から勤めた)、いつまでも一緒にいられるのは本当に嬉しいらしいし、攻撃や嫌な感じで言ってくる訳ではない。

親の幸せのために結婚をする訳ではないが、少し帰省の度に複雑な思いになる年頃。。。

12/31は母と買い出しに行って2人でキッチンに立ち筑前煮を作ったりお雑煮の準備をしたりと、年末ならではの時間を過ごした。
母は大学のない島で生まれ育ったので、18歳で誰もが故郷を出る環境だった。だからこうして大人になってからも娘と料理ができるのが嬉しいらしい。


毎年年末か年始は両親と私の3人で旅行に行く。今年も1泊だけだが箱根に行った。1年間無事に守られたことに感謝して、少し高いホテルで素敵な食事とおもてなし、そして温泉で最高の休暇を過ごす。

ここ数年は、年々両親の老いを感じるようになった。
去年も一昨年も、実家から自分の家へ帰る時には「また来年も元気に旅行に行けるのだろうか、家族みんな揃って年を越せるだろうか」と真剣に不安になり、連休が終わる切なさと相まって涙が出てしまった。

両親は働いているが、この3月で退職をする。父66歳、母68歳。父は15年の単身赴任を終えて東京に戻ってくる。いよいよ両親の「老後」が本格的に始まる。
そう考えると寂しさや不安が押し寄せてくる。今まではまだ両親には「老後」という、次のライフステージがあったが、もうその次はいよいよ「死」。
両親は前へ進むのに、私は何も変わっていない。働いているし一人暮らしもしているけれど、子どもの頃から何も変わっていないように思う。

旅行へ行っても昔のようにあちこち周るのではなく、ゆっくりのんびり過ごす。それもそれで良い時間ではあるのだが、妙に寂しく、切なく感じてしまう。
老いは当たり前。受け入れるしかないが、みんなどうやって両親の老いや死を受け入れているのだろうか。

老後や死に向かって前に進む両親。私も結婚や子育てと、前に進めば少しは感じ方は変わるのかと、ふと思ってしまったりもする。
でも、昔から変わらず4人家族みんな揃ってお正月料理を食べてゆっくり過ごせることは幸せだなと思う。いつまで続けられるのか。来年もまたみんなで過ごせますようにと毎年祈るけれど、いつかは終わりが来るのがとてつもなく寂しい。 

そんなこんなで思いを巡らしながら電車に座り、自宅の最寄駅へ。1週間前、仕事納めをしてルンルンでキャリーを引っ張った道。いつもと変わらない駅前。非日常から一気に日常に戻された。


因みに結婚については、いつまでもこうしていられないと思うが、(両親といつか別れる)寂しさを埋める道具を探して結婚するのは違う。
私は人を愛せるのだろうか?最後に付き合った人とは2年半前くらいに別れた。仕事の大変さの中で、自分のことでいっぱいいっぱいで、他人を気にかける余裕がなくなってしまった。
読んでくださった方には異文化かもしれないが、私はクリスチャンなので何かと神という対象に祈る。
「あなたが与えてくださる結婚相手と出会うまでに、本当に人を愛することのできる者へと私を整えてください。」そのように祈ったと思う。

今年はいい出会いが与えられるといいなと思いつつ、明日からまた女子中高生たちとの日常生活へ。