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【ぼくの○○】#1 ぼくの人間関係
写真は今回全く関係ないメッツァで撮ったやつ。
2回めの投稿で言うのもあれだが、ぼくは友達が少ない。
いや、というか、
友達とか、親友とか。
そういうものの類の定義をよくわかっていない。
リアルのぼくを知っている人ならわかると思うが、
人前で話すのは苦手ではない方だし、
そこそこコミュニケーション力はある方なのでわりかし人の懐に入り込める性格ではある。
ただ、それは表向きの浅いコミュニケーションであって、
深い人間関係を構築することがどうにも苦手であるのだ。
人を家に呼んだことはないし、遊びに行ったりする時も現地集合現地解散派だし。
だから「うちで飲まない?」とか「今日はオールで!」ってのがよくあった20代の頃はほんと神経すり減らしてた。
長い時間相手の合いもしない話を聞かなければならないことがほんとストレス。
だから都心からえらい離れた場所を現自宅にした。絶対に電車があるうちに帰りますからという強い意志。
「なんで帰るの?ありえない」と人格否定する奴とはソッコーで距離を置く。
それくらいに人間関係を作ることがストレス。
そんな自分だが、30代になり障害を持つようになってから、
それまでの人間関係とは違う新しい人たちとエンカウントすることができた。
自分の障害が縁でつながっていた人たち。
彼らとは「生きづらさ」という共通点で繋がっている。
それが「キズの舐め合い」とか「ぬるま湯」とかで言い換えられてしまうこともあるけれど。
自分にとっては新しい世界、受け入れられた世界。
その中でもいろいろな方はいるけれども、気の合う人を見つけられ、適度な距離感を保つことができている。
まあこの先はきっと同じことにはなると思う。
今生きているのは自分の人生。他人の人生と併走していきたいとなったときにはそれ相応の動きをせねばならないわけだが、当分そんなつもりはない。
独走体制の自分も悪くない。休憩所でいろんな人とバカみたいに大笑いするだろうけど、そこからまだ一人で走り出す。
「そんな人生、寂しくない?」と多く言われるが、寂しいとかそういう感情はないの。むしろ自分一人を慈しんで人生を過ごすのだからそっちの方が楽しいなって思う。
僕にとって友達とか親友とかって、
その休憩所にいてくれて、「よしここまで来たなあよくがんばった。コーヒー飲む?カレー作る?マッサージしちゃる!ねえカラオケしようよ!!」っていってくれる人たちのこと。
僕の元気をチャージしてくれる栄養剤。
翼を授けてくれる。
そんな人たちがこの数年でできたことにすごく喜びを感じています。
ありがとう。
またあしたもがんばれるよ。
引き続きよろしくね、みんな。
今日の晩ご飯。
キャベツに明太バターをぶっかけた無限キャベツ。すげえうまい。
そしてだいぶ支離滅裂文章だったすごく申し訳ない。