見出し画像

"I'm proud of you."オブセッション(前編)

"be proud of ~"で、「誰々を誇りに思う」。中学だか高校で覚える英語の表現だ。このような言い方を習得したところで、使う場面なんかあるの?と疑問に思う。「誰々が誇らしい」、なんて思ったり言ったりしますか?僕はあまりない。

「夜から映画ラジオ」の何回か前のエピソードで話した「天使にラブ・ソングを2」に、このセリフが登場する。この映画、ローリン・ヒル演じる女子高生のリタが、母親に反対されながら高校で合唱に取り組む、という話だ。シングルマザーの母親は「歌なんて役に立たなさそうなことは許さんッ!」と、風当たりが強い。なんやかんやあってリタはこっそり合唱コンクールに出場するのだが、客席にはそこにいるはずのない母親が…

リタの高校は優勝、楽屋に彼女の母親が来て"You're incredible. I'm proud of you.(すばらしいわ あなたは私の誇りよ)"と言う。ここの描写、僕はすごく違和感があって。「誇りに思う」ってさ、リタのソロが上手かったから?それとも優勝したから?僕の目には、リタがすごいことをやったから"I'm proud of you."って言ってるように映ったのだ。

あなた、こないだまで反対してなかったでしたっけ?もしソロがなかったり、それほど上手くなかったり、優勝しなかったら言わないセリフなんじゃないの?なんかやだなあ、とザラザラした気持ちになる。

ライトなサクセスストーリーのこのセリフだけを切り取ってめくじらを立てたいわけじゃないんだけどね、この構図には既視感があるのだ。「すごいことをやって、認められて、それを誰かが(多くの場合親が)誇りに思うというようなことを言う」というパターン。ためしに「I'm proud of you、セリフ」というワードで検索すると、結構出てくる。

もしかして、このセリフがちょいちょい出てくる背景には「特別な何者かであると認められたい」という、人々の切実な願望や苦しみがあるんじゃないか、って思うのだ。それはアメリカでなのか日本でなのか、あるいは世界中でなのかわからないけど。親子関係のこのあたりのこじれが、映画のテーマになっていることも少なくない。

目立った成果がなくても、特別でなくても、その人そのまんまを認めていればいいんじゃないだろうか。自分だったら、誰かに「誇りに思う」なんて言われたいって思わないなあ。なんで自分が誰かの誇りになるのか。条件付きの称賛や愛情めいていて、正直居心地が悪い。
(後編につづく)

いいなと思ったら応援しよう!