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人の話の、おもしろい・つまらない

1年半近くラジオ配信みたいなことをやっていて、自然と自分や他人のトークについて関心を持つようになった。言っている内容とか、なぜそれを話すのかとか。とりわけ、「おもしろい」または「おもしろくない」理由について、しょっちゅう考えるようになった。

ひとつ分かったことは、人には、話しているようで話していないケースがあるということ。

なんのこっちゃ?文字通りである。よく喋るんだけど、いまいち違和感を感じる人がいる。やたらと情報だけを言うのだ。Zoomセッションでチャットで頻繁に発信するのに「ん?」となる場合もおなじ。いちいち情報のソースとなるURLを貼る癖のある人がいた。

いかにも自分が話している体なので、ぼーっとしていると「ただの違和感」止まりなんだけど、その正体は、考えたことや感じたことをその人が全く言っていない事実だった、ということがある。

高校生のとき、よく喋るクラスメートがいた。彼が口を開くと、ひとこと目はいつも「友達がさ・・・」だった。彼の友達が面白いことを言ったとかやったとか、いつもそんな話だった。僕は「こいつなんか変だな」と思っていたのだけど、その喋りが理由で彼のことを疎ましく思っている人がいることを知り、やっぱりなと納得した。彼が自分の話を全くしないのが変だったのだ。

「おもしろい」のは、語る人が考えていることや気持ちを発信するからなんだと思う。それが自分の感じるところと違うものであったとしても、何かしらサプライズがあれば、聞いた側の気持ちが動く。もちろん、「いやだな」と思うことも起こるわけだけど・・・。

このように分かったふうなことを言っているけど、ラジオみたいに発信する側になると、これがなかなか簡単なことではない。背景の説明もなしに、「めちゃくちゃ良かったんです!」とだけ言うのは乱暴だ。一方、説明だけに終始しても「で、あんたの言いたいことは?」となってしまうのである。

良いバランスを身に着けていきたいものである。



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