師匠との対話していると「なぜ、わからない事をわからないままにしておかず、自分の知っている(経験した)”もの”と思おうとしてしまうのか?」という話が度々出てくる。
先日も師匠は、あるSNS でこのような投稿をしていた。
先日、togetterで面白い記事を発見した。
まさに、師匠の言っている事と同じである。
赤い何かを見たら、「赤い何か」と、そのまま置いておかずに、その時自分が知っている(経験している)“りんご”に回収してしまう。
他の何かかも知れないという想像や観察をせずに、過去の経験の中で語ってしまう。
師匠は
と言っている。
そして
罠です。
罠にかかってはいけません(笑)
「わからない」をわからないまま、ぼんやりと眺め、その場に留まってじっくり観察(聴く)する事で、そのうち何となくわかってくるものなんしょうね。