novice_shaman

シャーマン修行2年目の”見習いシャーマン”と、特定の師匠を持たず、独学と自然から学んだ野生的に育った”野良シャーマン”師匠の振り返り日記。 日々起こる世界の“出来事”を日常的に起こっている”出来事”とのフラクタル性を探り、可視化する。 師匠は言う「大半は”コント”だから…」

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シャーマン修行2年目の”見習いシャーマン”と、特定の師匠を持たず、独学と自然から学んだ野生的に育った”野良シャーマン”師匠の振り返り日記。 日々起こる世界の“出来事”を日常的に起こっている”出来事”とのフラクタル性を探り、可視化する。 師匠は言う「大半は”コント”だから…」

最近の記事

ルビンの壺

よぉ〜く見る。 よぉ〜く観察する。 「自分の見えている世界とは違った“世界”があるかもしれない」という目で見てみる。 手がかりは“目の前”にある。 一見、手がかりと思えないものが手がかりだったりする。 「手がかりではない」と思っている間は、それは“手がかり”には決してなってくれない。 アブダクション ルビンの壺

    • 「どうしてあの時、咄嗟に口から”あんな言葉”が出たんだろう」

      何でも“あり”の夢の世界の出来事が突然、現実の世界で起こってしまう。 夢の中であれば、そのままいたって普通の事として捉えられる「不思議」な出来事も、コンセンサスの取れない“ありえない”出来事は、現実の世界では非常に受け入れ難く、出来れば周縁化したい出来事、いわば“語りえぬ不都合な出来事”として、「なかったもの」として収めたい。 思いがけず口から出てしまった言葉を「間違い」として処理するのではなく、「どうしてあの時、咄嗟に口から”あんな言葉”が出たんだろう」と、何ら問題のな

      • 指月

        ある日の師匠のメッセージ

        • The other side

          ”極”に立つことは決して悪い事ではないのかもしれない。 ”極”に立つ事は、自分の現在位置を知る手がかりとなる。 ”極”に立つと向こう岸からの言葉が批判的・攻撃的な言葉に聞こえる事がある。 批判的・攻撃的な言葉は、言い換えれば自分の現在位置(アイデンティティ)を示している事に繋がる。 向こう岸からの言葉を批判的・攻撃的な言葉として認識する”私”は、一体何を大切にしているのだろう。 なぜ、批判的・攻撃的に聞こえるのか?にフォーカスすると、 自分の現在位置が次第に見えてきてこちらか

          「心理的安全性を高める」

          先日、師匠が「なるほどっ!」と、膝を”ポンッ”と思わず叩いてしまうような投稿をされていた。

          「心理的安全性を高める」

          【明晰さとは】

          師匠との対話していると「なぜ、わからない事をわからないままにしておかず、自分の知っている(経験した)”もの”と思おうとしてしまうのか?」という話が度々出てくる。 先日も師匠は、あるSNS でこのような投稿をしていた。 先日、togetterで面白い記事を発見した。 まさに、師匠の言っている事と同じである。 赤い何かを見たら、「赤い何か」と、そのまま置いておかずに、その時自分が知っている(経験している)“りんご”に回収してしまう。 他の何かかも知れないという想像や観察を

          【明晰さとは】