ゴドーを待ちながら (著)サミュエル・ベケット 「ゴドー」と「指値」
「読めば、投資の幅が拡がるかもしれない小説」
私が都合よく小説の内容を脳内変換して、株式投資(トレード)に関連する暗喩が含まれる作品を紹介していきます。
投資機会 小説
「ゴドー」と「指値」
”待つ”ことは、投資家、トレーダーにとって最も重要な技術のひとつです。本当に難しいことであることは皆さん理解していると思います。待てずに買ってしまう、売ってしまう、投げてしまう、最終的にはやめてしまうことすらあります。
ほとんどの場合、投資家やトレーダーは株式を保有している企業が成長し、株価が上昇していくことを期待しているはずです(空売り等の例外は除きます)。銘柄の選定基準は人それぞれであるにせよ、それなりの時間と資金を投入しているわけですから、どうしても株価が気になってしまいます。気になってしまうと大抵うまくいきません。少しの値動きに敏感に反応してしまうからです。敏感になればなるほど、我慢ができなくなり本来決めていたルールを破る確率が高くなってしまします。
また、熱心にチャート分析やテクニカル分析をして、ここまで下がれば買いたいという株価を算定したとします。
例)
現在の株価:1,200円
買いたい株価:900円
900円で指値注文(指定した株価以下で約定する注文)をいれ期待していても、数ヶ月後に期待通り株価が落ちてくるわけではありません。その後、ようやく株価が1,000円を切ったときあなたならどうしますか? 1,000円切れば御の字、誤差誤差と考えて、指値注文を解除して成行で即買うこともできます。
いや、絶対に900円以下の株価にならないと買わない、もしここから上がったとしてもそれは仕方がない、そう考えて当初の意志を貫くのか? 当然ですが、株価がどのように推移していくのかは誰もわかりません。ですから、利益をあげるという意味では、どちらが正解かはわかりません。
購入したい株価になるまで”待つ”かどうかは自由ですし、待っている間にどう思うかも個人の問題です。さて、この戯曲『ゴドーを待ちながら』はそのタイトル通り、”待つ”作品です。この”待つ”という行為にスポット当てた素晴らしい作品ですので、”待つ”とはどういうことか? そのヒントが隠れているかもしれません。
あらすじ
田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは…暴君ポッツォとその召使いラッキー、そして伝言をたずさえた男の子!不条理演劇の最高傑作として名高い、ノーベル文学賞作家ベケットを代表する傑作戯曲。
引用元:「BOOK」データベースより
興味深いところ
一定水準の小説や物語を知っている人であれば、この作品は有名で話題にあがることがあります。私も読書好きの知人から教えてもらいました。当初、その内容を聞いたときに「それは面白いのか?」という疑問が浮かびました。同時に「それは面白いな」とも思いました。不思議な印象があったのを覚えています。
不条理演劇は人の不合理性や無意味で不毛なものを表現していますので、私の直感は概ね正しかったのかもしれません。『ゴドーを待ちながら』は戯曲ですので、行動や表情、感情は(カッコ内)で表現されています。その(カッコ内)の説明がまたいっそう滑稽な空気感を増幅されるのに一翼を担っています。
基本的にエストラゴンとヴラジーミルの会話形式で話は展開され、その掛け合いについて自分なりの解釈を促しているようです。”待つ”ということはどういうことなのか? この二人の会話は不毛だな、ゴドーはいつくるのか? そうやって読者も参加することで、作品に深く入り込めるような気がしてきます。
二人のキャラクターも掴みどころがありませんが、とぼけたところに愛着が湧いてきます。どちらか一方というよりは、二人セットでいい関係性です。
紹介文
ヴラジーミル 書きつけといたはずだ。(いろいろなくずで超満員のあちこちのポケットを探る)
エストラゴン いったい、どの土曜なんだ。それに、きょうは土曜かね? むしろ、日曜じゃないかな? いや、月曜か? それとも、金曜?
ヴラジーミル (気も転倒して、まるで、あたりの景色に曜日が書きこんであるかのように、自分のまわりを眺める)そんなはずはない。
エストラゴン それとも、木曜。
ヴラジーミル どうしよう?
エストラゴン もしきのう、むだ足をさせてしまっていたら、きょうは来ないってことさ。
引用元:(著)サミュエル・ベケット (作品名)ゴドーを待ちながら (白水社)
うろ覚えですが、司馬遼太郎の『国盗り物語』で斎藤道三が”待つこと”自体が行動であり、その重要性を説いていました。投資やトレードにおいて、短期であろうが長期であろうが、”待つこと”の連続です。待っている間に何をすべきか? 何もしないのもいいでしょう。
『ゴドーを待ちながら』のエストラゴンとヴラジーミル の二人は、待つ時間の中で度々沈黙が訪れます。沈黙は深い思考の渦であるかのように、読者に問いかけてきます。私は、作品の中で入り込んで次の展開を待ちます。読み終えた後、作品を抜け出した現実世界でも何かを”待つ”という行為について考えることがあります。
これは、投資だけの範疇に止まらない普遍的でありながら、人生においても重要なスキルに違いありません。
著者紹介
サミュエル・ベケット
1906‐89。アイルランド出身の劇作家・小説家。1927年、ダブリンのトリニティ・カレッジを首席で卒業。28年にパリ高等師範学校に英語講師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。うつ病治療のためロンドンの精神病院に通うが、37年の終わりにパリに移住し、マルセル・デュシャンと出会う。ナチス占領下は、英国特殊作戦執行部の一員としてレジスタンス運動に参加。『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』の小説三部作を手がけるかたわら、52年には『ゴドーを待ちながら』を刊行(53年に初演)。ヌーヴォー・ロマンの先駆者、アンチ・テアトルの旗手として活躍し、69年にノーベル文学賞を受賞。晩年まで、ラジオ・テレビドラマなど数多く執筆
こんな人におすすめ
・忍耐タイプ
・長期投資家
・指値タイプ
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