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『朝鮮工芸』を守った日本人のこと

先日、子ども文庫の仲間から本2冊とDVDを一つ、押し付けられたのです😆
何がなんやらわからないまま・・・「読みなさい!」って有無を言わさず。
それがコレでした。

聞けば、これは山梨県北杜市(八ヶ岳山麓)で生まれ、育ち、やがて日本が併合した朝鮮で働いた兄弟の話。戦前の朝鮮にて、庶民が使う白磁の美しさを発見。
日本民藝館を作った柳宗悦にその日常の美しさを伝え、やがては柳宗悦の大事な仕事の土台を作った兄弟の話でした。

rosieさんは柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寛次郎などの活躍は知っていたので、関連あるところは訪れたり、また娘は河井寛次郎宅の近くに住んでいたこともあり、懐かしくもあります。
でも、その前に日本が併合した朝鮮において、こんなにきちんと朝鮮の文化や人と向き合った人たちがいたとは・・・びっくりしました。

実はずいぶん昔、初めて韓国を訪れた旅の最後にパゴダ公園(今はタプコル公園)へ行きました。(表紙写真)
そこは、1919年3月1日、朝鮮の人たちによる独立運動の発祥地でした。
そこには壁画が残されていて、教会に多くの朝鮮の人たちを閉じ込め、日本人が火を放つ様子も・・・
当時のことをなにも知らなかったrosieさんはすごくショックを受けました。
そんな時代の中にありながら、浅川伯教・巧兄弟は朝鮮の文化を高く評価し集め、消えないようにと柳宗悦とともに『朝鮮民族美術館』を京城に作ったのでした。

林業の専門でもあった弟・浅川巧は朝鮮の山々を緑にし、やがては朝鮮の土となりました。今も韓国の方々がきちんとお墓を守って下さっているそうです。
そんな日本人がいたことに胸が熱くなりました。

歳をとると、昔のことが今になってつながることがよくあります。
無理やり押し付けられた本たちでしたが、読ませてもらってよかったなあと。ありがとう、強引なMさん(笑)

山梨県北杜市へ行けば「浅川伯教・巧兄弟資料館」があるそうです。いつか訪れたいと思います。

では みなさま ごきげんよう。

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