【短編】深更の操り人形
「やっぱ金かかってる作品の方がおもしれーよ絶対」
「絶対とは言わないけど、まぁ大概そうだわな」
「そりゃそうだろうよ。いや、別に金無いことが悪いってわけじゃないけどさ、舞台挨拶とかで監督とか製作陣が“資金無いなりに、頭使って頑張りました!!役者の芝居も素晴らしい!!”みたいな事言い出すとめっちゃ冷めるんだよね。いやそれは周りがいうことであって自分から言うことじゃねーぞって」
「不景気だから」
「おー便利な時代になったな、なんかあれば“不景気”か“多様性”って言うんだろ。そうすればもう外野は何も言えなくなる。アーカワイソーって顔してはい終わり」
「疲れてんな相当」
「不景気だからさ」
「便利な時代だね」
カーラジオが、夜の一時を知らせる。平日の真夜中は随分と静かで、裏道を通ろうものなら人の影すら見当たらない。久しぶりに乗った嶋田のワゴン車は———正確には嶋田の実家の、だが———変わらず居心地が良く、学生時代をふと思い出すものだった。たまに連絡をとるが、以前のようにわざわざ会ってどこかに行ったり飲んだりすることはもうない。お互い社会人3年目。“長いものに巻かれろ”精神が気づかない間に身体中に染み込み、思ってもいない「大変申し訳ございませんでした」が板についてきた。今なら役者とかになれる気がする。
嶋田は半分リモート半分出社でスケジュールを組めるらしく、明日は家で出来るからと言って久しぶりに誘ってきた。てっきり飲むものかと思い、栄養ドリンクを体内に仕込んで行ったら酒ではなくドライブだった。酒は好んで飲まない。それでも、大人になって“久しぶりに会う”ということは、それはすなわち酒を飲むことなのだと勘違いしていた。
近くのコンビニに滑り込み、コーラとレモンティー、ガムを買う。変わらないラインナップに、少し笑えた。
「え、2023年って、今、令和何年だ」
「えーと。ちょい待ってググるわ。…令和、5年です」
「うわーまじか。平成はティーンエイジャーだったの信じらんねえ!」
「新元号までに彼女作らなきゃって話してたよね」
「がー、あったわそんなこと。結局俺は間に合わなかったけど」
「今いるからいいだろ。何年目だっけ、1年半くらい?」
「いやもう2年過ぎたよ、最近ようやく怒られること減ってきたわ」
「タバコやめさせられてたもんな、でもこういう時間が一番吸いたくなるんだよね」
「だからガム噛んでんだろーが。てかさ、ふと思ったんだけど、令和ってレ↑イワ?それともレ↓イワ?イントネーションいまだに定まってないの俺だけ?」
「どうでもよっ。うーん、俺はレ↑イワかも。だってほら、元号発表された時、あの令和おじさんがそう発音してたじゃん」
「あーなるほど、確かにソースとしては一番強いな」
久しぶりに会った人間とは、やはり懐かしい話がしたくなる。学生時代の部活、恋愛、笑える出来事。それで結局、「あの頃は良かった、今と違って」というクソみたいな結論と、でもなぜか感傷的な気持ちになる自分自身に落ち着くのだ。とはいえ、嶋田とは一緒に過ごした時間が長すぎて、もう過去は十二分に掘り返し終わっていた。今話すことは、同じ部活の同級生だった奴らの現在、後輩の就職先、給料、家賃、税金、投資等々、将来のこと。ある一定の年齢を超えた中高年が親の介護と墓守の話を始めるように、僕らもある一定の年齢になってしまったというわけだ。
「いやほんとに、最近暑すぎるって。俺ググったもん、『全裸からもう一枚脱ぐ方法』って」
「人類史に歯向かおうとするのやめとけよ」
「エアコン代が怖いっス」
「マジでそうだよね、電気代も右肩上がりですよ」
「給料もそうであってくれ、税金で吸われてばっかよ。いやそう考えるとさ、大学生の俺ってかなり愛国心強めだったわ。だってたばこと酒やりまくってたもん」
「ギャンブルまでやってたら国民栄誉賞とかもらえたかもな」
「50万も稼げる豪運はねぇから非課税です」
「そこ詳しいのキモいな。もーあれだな、インフルエンサーになって一発当てて、服のブランドやろうぜ」
「はは、ちょっと有名になったらすぐアパレル始めるのって、やっぱり回収率がいいからなんだろうなぁ。俺は無理だけど、正直あの承認欲求の強さを前面に出して財を成してるんだから普通にすげえや」
「意外と知ってるやつとかがやってるの見るから、インフルエンサーって少なく無いよね。」
「あれだな、心理学入門でやったマズローの三大欲求、どれかはぶって承認欲入れてやる必要があるな」
「お前ちゃんと講義受けてなかっただろ。マズローには欲求5段階説ってのがあって承認欲求はかなり高位に属するぞ」
「その知識が社会で何の役にも立たねえから、脳のデータ容量のために削除しただけです」
「SSD外付けしとけ」
*
法定速度スレスレで飛ばし、気がつくと、前よく来てた田舎町に着いた。都内からそんなに遠くなく、高速料金を払う余裕がなかった学生時代に好んでいた場所だ。周りは畑が広がっているが、いつも暗い時間に来ているから本当の面積はよく知らない。一つだけある風車。遊具のない公園。左右に広がる光景は田んぼではないので畦道と言っていいのかいまだにわからないが、とにかく、そこを星を見ながらただ歩く。夏の星空は綺麗だ。何か考え事をするのが失礼だと思うほどに、空いっぱいに煌めきがほとばしる。
「うわ、さっきの自販機でなんか買えば良かった」
「この先に多分あったはずよ」
「よう覚えてんな」
記憶通り、五分ほどいくと自販機が2つ並んでいた。その光源はあまりに強く、ちょっとは空気読めよと思うが暗闇を歩いてくると安堵するのもまた事実で、夜たまにうるさいけど普段めっちゃ優しい隣の部屋のおっさんみたいである。
160円。100円で買えた時代を知っているから、この自販機が吐き出す緑茶がかなり高価なものに感じる。財布からコインを3枚出すのもちょっと癪だった。
「最近さ、3年、いや4年前くらいの写真をチラッと見返したんよ」
「えーと、大学3年くらいか」
「そうそう、俺びっくりしちゃってよ。だって、4年前で大学3年って。てっきり高校生くらいの写真出てくんのかと思ったら缶ビール片手にヘラヘラしてんのばっか出てきてさ。あ、俺ってもうそんなに若くねえんだ、ってなったわ」
「なんか辛っ。昔の話は心の健康に良くないわ」
「はは。マジでそうだ。———みーんな言うけど、大人って思い描いてたほど良くねえわ」
「でも学生に戻りたいわけでもないんでしょ」
「当たり前だろ、2度とあんな狭い社会に戻るか」
「———大人のどんなところが嫌?」
「んー、嫌、って一概に言えないかな。でも、うーん、例えばだけど、ワインの味がわかるようになりたくなかったとか、偉い人間に対して、迷わず下がる自分の頭に呆れたりとか、歳いった時にめんどくさいことになりたくないから、脂っこいものは避けようと思うこととかさ。あるじゃん。たまに考えるのさ、これが大人ってことなのかよって」
「そうか」
「くだらないことって、笑えたじゃん。だってくだらないから。でもさ、最近くだらないことってつまんねぇって思うようになっちゃった。だって———」
嶋田が、おもむろに空を見上げる。変わらないように見える夜半の光景が、ぼんやりとこちらと目を合わせる。
「くだらないから?」
黙ったまま、嶋田はこっちを向いた。
「そろそろ帰るか。明日もあるし」