【短編】いつも通りの弁当に
すっかり真っ暗になった街は、短い間隔で設置された街灯と面白みのないラインナップの自販機によって照らされている。家まであと5分。いつもは疲れた体を半自動的に動かして無意識で玄関を上がっているが、今日は心も体もいつも通りではなかった。普段寄ることのないコンビニに無性に入りたくなり、この後夕飯があるのはわかっているのにカップ麺を買った。
外に出て、駐車場のブロックに腰掛ける。2分待って、もう開ける。シーフード味のスープは、どうして僕の目頭を熱くさせた。いつもより、しょっぱい。いつもより、しょっぱい。
我慢しても、涙は止まらなかった。
僕は、高校生活最後の大会でメンバーに入れなかった。
*
小学校から始めたバスケットボール。中学では弱小だったこともあり、一年生から試合に出てそれなりに活躍した。その時は、まぁ、調子に乗っていた。だから地区大会3回戦止まりのくせに、井の中の蛙だった僕は強豪校を進学先に選びそこでもプレーできると考えていた。当然その思いは甘く、受験は成功したものの部活に入ってからは屈辱の連続だった。部員数は100人を超え、AチームはおろかBチームにも入れず最下層のCチームで練習をした。
死に物狂いで練習し、2年生になりなんとかAチームの底辺になった。そこからもより強度の高い競争を強いられたが、ベンチ入りメンバーに選ばれた。試合に出て活躍は、一回もしていない。もう勝敗が決してる最後の時間にちょろっとだけ出て、汗もかかないうちに試合が終わる。高校生活を全て注いで、僕が到達できたのはそこまでだった。試合に出たかったけど、スタメンや控えから出ていく奴らと確かな“差”があるのは、自分自身が一番よくわかっていた。だから、だからというのも変なのかもしれないけど僕にとっては“ベンチ入りしている”という事実がギリギリ自分のプライドを保てる唯一のことで、それを失うわけにはいかないと思っていた。
3年になって、夏前に最後の大会が始まる。今日はその大会2日前。いつもこのタイミングでユニフォームが配られる。先生から、背番号と名前を言われる。固定のメンバーが呼ばれ、そろそろ自分かと思った。
「…以上、今回はこのメンバーでいくから」
*
「おかえり、今日はちょっと遅かったね」
いつもと変わらない母の声。雑に脱ぎ捨てたローファーは、朝学校に行くときにはいつの間にかまっすぐ整えられている。それを母は僕には言わない。
「先にお風呂入っちゃいなさいよ、汗ベタベタなんだしその間にご飯用意しとくから」
母は毎朝弁当を作ってくれる。それは1年の頃から変わらず、僕が6時前に家を出たかったから母は5時には起きていた。ギリギリまで寝ている僕を起こして、テーブルについたらもうパンとヨーグルトが並んでる。毎日、毎日、毎日。
「何突っ立ってんの、さっさと行きなさいよ」
なんて言おう。言いたくないけど、これは結果で事実だから。自分の情けなさも不甲斐なさも、たくさん尽くしてくれた母への申し訳なさも、言葉にするには感情がぐちゃぐちゃで整理がつかない。
母はどんな顔をするだろう。さっき散々ぶちまけたはずなのに、まだまだ溢れてくる思いでぼやけてよく見えない。僕の顔が酷いことだけはわかった。
「お母さん。ベンチに入れなかった」
*
一段目に、ぎっしりの白米とふりかけ。好きじゃないのは知ってるけど健康面を考えて梅干しとたくあん。二段目に唐揚げと卵焼き、小松菜の煮浸しと冷凍のミートボール。きゅうりとプチトマト。昨日買っておいた菓子パンと一緒に弁当袋に入れて完成。おかずを何にしようか散々迷った挙句、結局いつも通りのメンツになった。
今日は最後の大会の日。と言っても私ができることはいつもと変わらず、ギリギリまで寝かせ朝ごはんの用意を済ませ、弁当を渡すことだけだ。本当にあっという間に大きくなって、あっという間に生意気言うようになって、でも最近、時々凛々しい顔をするようになった。あんなにちっちゃかったのにと言う年齢はもう過ぎたのかもしれない。私も鏡を見ると、時の経過を確かに感じる。だけど、あの子を見ると不意によちよち歩きをしていた頃を思い出し、よくぞここまで育ったなと感じ、まあまあ頑張ったね私、と自分を褒めたくなるのだ。
2日前、あの子から言われた言葉より、その時の表情がずっと頭に残っている。見たこともない涙と鼻水をポタポタと音がするんじゃと思うくらい垂らして悔しそうに泣いていた。私は何も言えなかった。その後お風呂から出てきてあっためたご飯を食べていたけれど、そっとしておいた方がいいかと黙って離れていた。
何かかけてあげる言葉があったのだろうか。嫌がっただろうけど、それでもぎゅっと抱きしめてあげればよかっただろうか。私にとって、一生懸命生きてるあなたが一番大切で、試合に出たりベンチに入らなくても、それでも頑張ってるあなたがかっこよくて大好きなのだから。でもそれを、あの子に伝えてもなんの慰めにもならない。今私がしてあげられることはなんだろうか———。
ピピピ。セットしたタイマーが音を立てる。そろそろ起こしに行かなくては、と我に帰った時、もうテーブルにその姿があったことに気づいた。
「あら、起きてたのね。おはよう」
返事は無い。もそもそと食パンを食べ、ブルーベリージャムの入ったヨーグルトを流し込んでいる。ぴょんと跳ねた右後ろの寝癖は、小さい頃から変わらない。
食べ終わると、歯磨きと着替えにいく。それが終わったらもう家を出る時間だ。
*
シューズに足を入れ、紐を結ぶ。いつもと変わらない重さのリュック。だけど今日はいつもより少しだけ肩にズシっとする。立ち上がって小さく深呼吸。無理やり口角をあげ、振り向くと母がいた。いつもと変わらない笑顔。だけど今日はいつもより優しく見えた。僕は今、笑えてるだろうか。やっぱり何も言わずドアを開ける。
「いってらっしゃい!気をつけて」
いつもと変わらない母の声が、背中を包む。僕は黙って歩き出した。
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