*** ――目が覚めたら、そこは不思議な国でした。 ファンタジー要素を伴なう童話によくありがちな、物語の始まり方。 何度も何度も読み触れて来た決まり文句ながら、見知らぬ土地に立った主人公の身に何が起こるのだろうと、早くページを捲りたいという衝動に駆られるものだ。 古今東西ありとあらゆるファンタジーに触れ、そのことを嬉々と語る私は、「清美って、ほんと本好きだよね」と周りから言われることが多い。実際その通りだと思っている。自分でも度が付くほどの本好きだと認めている
1 いつも満たされない感覚が、私の胸を覆っていた。 たとえば、近くに親しい人がいるのに、世界で一人ぼっちになっているような感覚。 たとえば、声を張り上げて自分を主張しても、誰にも気付かれずに無視されるような感覚。 たとえば、自分の嫌なところによって空いた心の穴から、私を形成する何かが零れていくような感覚。 生きていて物足りない感覚が、私の胸には常に付き纏っている。 だから私は求めていた。 降りしきる雨が溜まって、やがて海になるように。 そんな風に
*** ――どうしてこうなったんだろう。 高校の校庭にある小さな水道に潜み隠れるように、大きな体をぎゅっと縮こまらせながら、僕は一人考えていた。 水道の反対側にいるのは、僕と同じサッカー部に所属するチームメイト数人。 「体だけしか能がないんだから、雑用くらいしっかり手伝えよな」 「プレーもびくびくしてばっかで、ディフェンスの意味なくね?」 「本当に風太って、でくの坊」 かろうじて彼らの声が聞こえる。話している内容は、僕についてだった。 周りの高校生よりも
*** 今やこの日本で当たり前になったアプリ、『EDEN』。 EDENは『株式会社クリエート』によって二十五年前に登場すると、瞬く間に人々の間で話題になった。アカウントを知っている人同士でのコミュニケーションツールはもちろん、グルメやエンタメ、最新の流行を知るために欠かせないアプリにもなっている。 ただし、それだけだったら、普通のSNSと変わらない。 EDENの最大の特徴は、アプリ内の至るところで現れるマスコットキャラクターの『エンゼルくん』だ。 このエン
*** 都会の町並みから少しだけ離れた閑静な住宅街の、とある家。 その家は一見すると、普通の一軒家だ。広めの庭があることから子供が自由に遊び、たまの休日にはその庭でBBQを行なって、家の中でも常に談笑が絶えず、優雅な音楽を空間に響かせながら一日を過ごすような、そんな絵に描いたような幸せそうな家族が暮らしている――、この家の外観を見ると誰もがそう連想するだろう。 だけど、実際は違う。 ――この家には幽霊が住んでいる。 そう噂されることが多かった。 その理
*** 『小さき場所から平和への兆しが出づる。 兆しは光、光は闇のしがらみを解き放つ。 しかし、その光は当の光さえも分からず。 もたらされる災禍を贖うは、三回りした後。 その後、針が動くよりも遅き速さで、世界に光がもたらされる』 それが、関心を抱かなければ誰からも存在を認知されないほど小さき国である、チナエルに三百年伝わる伝説だ。 チナエルは、人口も少なく、物資も少なく、領土も一望できる範囲だけと狭く、それ故に貧困が蔓延している国だった。 しかし、それで
*** 「ねぇ、あの噂知ってる?」 「あー、あれな! あれ絶対嘘だろ」 「え、何? 噂って?」 「もしかして知らないの? ネット発の噂だけど、今巷で話題だよ」 「胡散臭くて、信憑性ないけどな」 「もったいぶらずに早く教えてよぉ」 「満月の夜、空を見上げて夢を描きながら眠るとね、夢が叶うんだって」 「ん、どういうこと?」 「なんかその想いに導かれた鉄道がやって来るらしんだけど、その鉄道に乗れば夢が叶えられるらしいんだよ。その名も――、満月鉄道。安直過ぎて笑っちゃうだろ?」
*** 「なに、これ」 届くはずのない手紙が、私がいる家に届いた。宛先も差出人も不明で、この手紙に関する情報は一切分からなかった。 「おばさんさん宛、なのかな……」 小さな田舎町の外れにあるこの家は、元々おばさんのものだ。だから、順当に考えればおばさん宛の手紙だろう。 しかし、おばさんが最後にここを利用していたのは、半年ほど前。病気を発症してしまったため、都内の病院に入院しているところだ。入院してから一週間とか一か月ならまだ分かるけれど、半年経った
*** その噂は突然やってきた。 「――この部活、もしかしたら潰れるかもしれない」 「は?」 部室に入るや否やタカオが放った言葉に、『総合文化部』のメンバー四人――、二年女子のメグミ、一年男子のシロウ、一年女子のカナエ、そして俺ことジンは混乱に陥ってしまう。 暦の上では秋なのに、残暑がまだまだ厳しいような九月半ばのことだった。 「おい、潰れるってどういうことだ。おい、タカオ。ちゃんと説明しろ!」 中でも一番動揺していたのは、最年長兼部長でもある俺だろう。腐
〈挨拶! ことよろです!〉 あけましておめでとうございます! 新年が始まりましたね! 本当は元旦と同時に投稿したかったのですが、まぁまだ三が日の内なのでセーフということで笑 さて、今年はどんな年になるか、すごいワクワクです! 去年は今まで出来なかったことを、たくさんやることが出来ました。 勉強もたくさんして、色んなところに旅行に出掛けたり、たくさん本も読んだし、友達ともめっちゃ美味いものも食いました! お気に入りのお洒落なカフェも出来ましたね! 自己啓発、っ
A案 ――虎の子も、また虎だ。 彼以上にこの言葉が相応しい人を、知らない。 誰もが知るような有名企業を最前線で率いていた社長が、ある日辞任した。その後を引き継いだのは、彼の息子だった。 初めての経験というものは、誰だって四苦八苦するものだ。特に大企業の社長という立場になって、多くの従業員の人生を背負うことを考えれば、常人であれば気が触れてもおかしくはない。しかし、彼はまるで日常の延長線かの如く、難なく社長業をこなした。しかも、特筆すべきは、就任一年目から業績
*** 一枚の写真を見ると、否が応でも思い出される過去がある。 それは想い出と呼ぶには甘くもなく、胸中に痛みと切なさを過らせるほど苦々しいもので、もう一年ほど前だというのに刻銘に記憶を辿ることが出来る。 あの日の私は、バドミントンクラブに所属していて、物心ついた時から知っている美月と一緒にダブルスを組んでいた。美月と涼花の名前から一文字ずつ取って、『涼月ペア』とよく称されて、世間の一部からも認識されるくらいには少しだけ名が知れ渡っていた。他を圧倒する実力から、周
*** 滝のように降り注ぐ雨に打たれながら、自分の行動に対して後悔を抱いていた。 僕が暮らす場所は田舎と呼ぶに相応しい場所で、どこへ行くにも時間と体力と根気が必要だった。毎日通わなければいけない高校でさえも、修練かと間違うくらいに歩かされてしまう。普段であれば近所の幼馴染と一緒に帰るのに、僕は今、遠い道のりをたった一人で帰っていた。 そして、いつもよりどこか寂しい想いを抱えながら一人で歩いていたところ――、これだ。 最近は暑く晴れ渡った日が続いていたから、夕立
*** 「どこか旅行へ出掛けてみないかい?」 ベッドに座りながら問いかけられた主治医の先生の言葉に、「は?」と僕は思わず間の抜けた声を漏らした。 先生は口ひげに触れながら、僕のことを眺めていた。 「君はずっとこのベッドの上で時間を過ごしているだろう? ここでない場所に出掛けてみれば、きっといい気分転換になると思うんだ」 病気のせいで、僕は昔から体が弱かった。物心ついた時から、僕の居場所はずっと病院のベッドだった。 代わり映えすることのない、無機質で白い部屋。
――Menu1―― 東京のビル街から外れた細道にひっそりと佇み、ほんのりと淡い照明でもって客を出迎えてくれる、創作料理店『えん』。 ビル街や駅前に行けば、多くの仕事終わりの会社員たちによって賑わっているけれど、『えん』はそういうチェーン店のような場所とは違って、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。なんと言えばいいのだろう、実家に帰った時の安心感と言えば伝わるだろうか。店内に足を踏み入れた瞬間、都会の喧騒とは異なる空気感を敏感に察した。 この独特な雰囲気は、恐らく立地
*** 過ぎ去ったはずの、あの日のことを思い出した。 電車の中で、私が手離した物と似た物を持っていた女性をふと目にした時だ。 もう七年近くも前の出来事だというのに、よくも憶えていたものだと我ながら関心する。そして、同時に当たり前のようになりつつあったことに、自分自身で気付く。 あの日がなければ、心の中がこんなにも満たされることを知らないまま生きていた。 「――侑希ちゃん、ありがとう」 彼女のこと――帆波先輩のことを思い出す時に浮かぶのは、どんなことにも感