死が遠い時代と神
現代人の宗教離れが進んでいる。
それについて私は
科学技術が発達して
昔は謎だった色んな事象が
理論的に説明されるように
なったからだと思っていた。
しかし、ふと思った。
昔、今よりもずっとずっと
人が簡単に死んだ時代があった。
人々は家で家族に囲まれて死んだりした。
その時代
人の死は今よりずっと
リアルで生々しいものだっただろう。
昔の人は、
今より回数が多いからと言って
死に慣れたりはしなかっただろう。
何度経験しても慣れることのない死に対峙するとき
人は神を求めるんじゃないだろうか。
現在、この国では、
人は少なく生まれ、
少なく死ぬ。
また、死は
病院などの施設の中に
囲われていることも多い。
そんな中、生身の死を経験する機会が
ぐんと減っている。
メメント・モリというゲームがあるけど
ゲームにその名前をつけるのは
いかにも現代的だと思う。
とはいえ、現代人から
死がなくなったわけじゃない。
自分も必ず死ぬ、
自分が愛している人も必ず死ぬ。
昔よりは目立たなくなったにせよ
厳然と死はある。
その死に、
現代人はどんなふうに耐えてるんだろう。
父の死に耐えられなかった私の口で
そんなことを言うのはおかしいかも。
「死があるから美が輝く」、
それがこのnoteの仮説かもしれないので
私は考えることをやめたくない。
ところで。
これもフランス古典のトンボーで
La Sylvaという曲。
フォルクレというヴィオール奏者が作曲しました。
Sylvaというのは医者だったんだそう。
ヴィオール奏者というだけあって、
曲は低音が効いていますし、
弦楽器っぽい演奏が似合います。
フォルクレが
かなりの曲者だったと言う話は有名。
悪魔とか言われてた。
演奏が悪魔的、行動も悪魔的。
私も、演奏はともかく
それなりに曲者なので
ちょっと仲間意識。
フォルクレも、Sylvaという人の死を
深く悼んだのだろう、
たとえ悪魔であっても。
その証拠がこの曲。