【エッセイ】世界は「完璧」で出来ていない
この記事の結論から言うと、
「まあいいや」と思う事について
・あまりしない方がいい、という自分への戒め
・甘い言葉に流されないでちゃんとやる
それを頭の整理のためにまとめたモノ
*****
私は数年前にこの一文を読んで、
とても感化された。
そして今、あらゆる物事についても思う。
「完璧」というものは存在しない、と。
*****
なぜ、この世には「完璧」なものが無いのか。
そもそも「完璧」とはなんなのか。
段階を踏みながら、
ChatGPT先生に聞いていこう。
◆「完璧」とはなに?
・一般的な「完璧」とは
#プロンプト
完璧とはなんですか?
一般的に「完璧」とは、
・理想的な状態である
・主観的なもの
これなら「完璧」という事がある気がする。
・主観を除いた「完璧」とは
では「主観」を除いて「完璧」というものは存在するのか。
プロンプト
#主観を除いて完璧というものはありますか?
数学的な証明は「完璧」と言えるように見える。
しかし、これは本当に「完璧」なのか。
・数学的な「完璧」とは
#プロンプト
数学や論理の世界では完璧な証明があるように思えます。
例えば1+1=2
本当にこれは完璧なのでしょうか?
条件付きで「完璧」であり、
絶対的な「完璧」さではない、
ということがわかる。
ではここから。
絶対的な「完璧」というものを探る。
◆絶対的な「完璧」とはなに?
プロンプト
#絶対的な完璧はこの世に存在しますか
絶対的な「完璧」は、ほぼ無い事が分かる。
では、さらに掘って確認する。
◆人工物で「完璧」はあるのか
#プロンプト
人工物で完璧はありますか?
結論にも書いてある通り
>実質的な「完璧」に近づけることができます
ということは「完璧」ではない。
◆自然に「完璧」はあるのか
プロンプト
#自然発生的に「完璧」ということはあるのでしょうか
どれも主観的な評価での「完璧」
◆物事は「完璧」から削られる
物事の理想が「完璧」
それを100%とする。
これは「現実」では不可能。
どの物事も最大99%
そして私たちは、あらゆる物事に対し取り組もうとすると、絶対的に「完璧」な「作業」をする事はできない。
どの作業も最大99%
さらに人間が手を入れる人工物であれば、
人間の精神が介在する。
それは人間の「余裕」という事。
気持ちを「完璧」に、
その作業に向けることはできない。
余裕(バッファ)を持ちながら行っている。
その余裕という気持ちが、完成品を少なからず「完璧」から遠ざけるものとなる。
これは人間がやるのだから当然の事であり、
ネガティブなものではない。
◆全てに「まあいいや」
ここまで見てきたように、
「物事」は、あらゆる事で削られる。
最後に、削られるであろう「まあいいや」という人間の精神について。
何かを行う上で「まあいいや」と思う事がある。
これにより、その物事が削られるどころか「完成しない」可能性もある。
「まあいいや」という言葉の意味には、
少なくとも二つあると思っている。
*****
・ひとつ目の「まあいいや」
私は勉強をしているときに「まあいいや」と飛ばすことがある。
それは今、理解できず後から分かる事。
その時点で飛ばしたほうが効率がいい。
バイトにおいても同じ事を感じる。
今の作業が手順だけしかわからなくても、
やっていくうちに全体がわかるようになる。
バイトをいくつかやる中で同じような感じ方をしたので、あらゆる仕事においても同じことが言えるのかもしれない。
・ふたつ目の「まあいいや」
「まあいいや」と手抜きをすることがある。
今日「まあいいや」と思い、やらない事もある。
私たちは「まあいいや」という概念を持っている。
あらゆる物事に「まあいいや」が介在している。
このふたつ目の「まあいいや」が多くなるほど、
「完璧」には程遠くなる。
しかしそれが、逆に良いと思われることもある。
それは、文芸や芸術の分野では特にあるのかもしれない。
◆まとめ
・物事には「完璧」はない
・物事は人の手が加わることで「完璧」からどんどん遠ざかる。
・「完璧」から遠ざかる事で、逆に評価されるものもある。
◆あとがき
私がこの記事を書こうと思ったのは、
ふたつ目の「まあいいや」という感情。
そこからこの記事は派生した。
表に出ている色々な物事は、
「完璧」なものは無く、
あらゆる事で削られて不完全。
それは形あるものではなく、
形のないものでも同様と思う。
それをさらに「まあいいや」で削ってしまうと、ある一種の分野ではウケるかもしれないが、基本的には「まあいいや」は少しでも無いほうがいいと思っている。
この「まあいいや」という部分はやはり誰が何といおうと、頑張るべきなのだと感じる。
・無理しなくていいよ
・そんなに頑張らなくていいよ
・休みながらやろう
・明日で良いよ
そのような甘い言葉は、あくまでもこの場面では私は一切聞きたくはない。
これを「頑張る」と表現して良いのか分からないが、とにかくやらなければならない事だと思う。
この「まあいいや」は癖になるのだと感じる。
そしてその癖を治すのはとても難しい。
「まあいいや」と思う事を0%は無理でも、
1%でも下げたい。
世の中に最初から「完璧」はなくとも、
せめてこの「まあいいや」という気持ちは減らしたい。
つづく。
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