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─無は有を願い、有は無となりて─ 終のステラ 長文感想

皆さんは、Keyと言うブランドに何を思い浮かべますか?私はSummer Pocketsの印象が強かったのでそれが思い浮かびましたね。
と、冒頭からこの書き方になりますが、何ヶ月か前に「初KeyがCLANNADやリトルバスターズ、AIRやSummer Pockets以外って方どのくらいいるんだろうか」とポストを投稿したのですが、Kanonと答えた方が大半を示した中で終のステラを挙げた方がいたのを思い出しました。
今のKeyさんはplanetarianをはじめ、LOOPERSからロープライス作品をメインに制作している気がするのでそちらの印象が強いとも感じられますね。
今年の夏にNintendo Switch版を購入したので、どこかのタイミングでそのKanonもやれたらなと思っています。

前置きはこのくらいにして、今回はロープライス枠の名作である本作「終のステラ」について解説していきましょう。
今作に興味をもったきっかけは2つあります。
1つ目は萌えゲーアワード2022のシナリオ賞を受賞した事。
私はあまりシナリオライターにはあまり拘らない人ですが、Xで感想を書く際は殆どシナリオ部分について触れています。
その中では厳しい評価をしている事が多く、18禁の作品で楽しめていないのかな...と思い始めていたんですね。
そこで出会ったのが「終のステラ」、今までは全年齢版ということもあってノーマークだったのですが、シナリオ賞を受賞した際に目をつけたという訳です。
2つ目は世界観とOP曲の圧倒的な魅力。

・機械によって迫害され、肩身の狭い生き方を余儀なくされているというSFチックな世界であること

・メインとなる登場人物は人間とアンドロイドで、その2人の心理描写を巧みに描きつつお涙頂戴な展開もしっかりと搭載していること

・OPテーマ曲である「breath of stella」が本作の全てを表していて、読み終えた後に聴くと更に深みを感じられること

この3点に興味を引かれ、DL版を買うまでに至りました。
値段も2000円と破格であり、短めながらも中身はしっかりとしてるという素晴らしいお買い物だったと今でも思います。

そんな今作ですが、あらすじから興味を惹くことに成功していると感じました。
引用になりますが下記の通りです。

──────────
地球が、すでに人類の世界ではなくなってから久しい。
世界はシンギュラリティを起こした機械群に支配され、人々はその片隅で、息を潜めて生き長らえていた。

運び屋‘‘ジュード’’の元に、依頼が舞い込む。
それはシンギュラリティ機械群の影響を受けない、 少女型アンドロイド‘‘フィリア’’を輸送して欲しいというものだった。

世間知らずなフィリアの行動に嫌気がさしながらも、ジュードは旅を始める。
時には略奪を繰り返す人間から逃げ、時には機械群が闊歩する危険地帯を通り抜け、輸送依頼を果たそうとする。

少女は何度も人間になりたいと口にする。
遥か空の先に辿り着けば、アンドロイドは人間になれると言うのだが……?
──────────

簡潔に言うと、運び屋のジュードがフィリアを依頼主に届けるというお話です。
その傍らで、ジュードとフィリアの成長と愛をしっかりと描写していく訳ですね。
アンドロイドの身でありながら「人間になりたい」と願うフィリアと、感情を閉ざし依頼の達成だけをこなすジュード。
真反対の考えを持つ2人の凸凹コンビのお話となるのですが、この作品をやる前に思いついた言葉があります。
それは「"無"は"有"を願い、"有"は"無"となりて──。」、ちょっと何言ってるか分かりませんね。
何故この言葉を思いついたのかの説明も、下記の欄で自分なりの解説で書いていきます。

○読み終えて思ったこと

・舞台となる世界観


この世界は機械元いAIに支配され、人間は息を潜めて生きている事が書かれていますが、そこで思い出したのが"ブルブルスター"の存在です。
ここからはゲームがガラリと変わるので星のカービィ64の話をします。

星のカービィ64はカービィシリーズ6作目にあたる2000年に発売されたNINTENDO64専用のソフトで、ミックスコピー能力という斬新な要素が特徴のアドベンチャーゲームです。
ストーリーとしては、「妖精の1人"リボン"がクリスタルを狙ってやってきた黒い雲に襲われ落下し、偶然夜空を見上げていたカービィに出会いクリスタルを探すために旅立つ」というものになっています。
その傍らでワールド5となるブルブルスターにも足を踏み入れるのですが、ここでとある考察が生まれています。
それは下記の通りになっています。

・ワールド選択時の星と衛星が月と地球に酷似している(そもそもブルブルスターは雪と氷に覆われているため、氷河期に入ったのではないかと推測されている)

・ステージ後半にある無人のデパートは敵キャラの住処となっている

・工場のステージは培養液のようなものにつけられた生き物がいる(ブタやトリ、人の形をした何か)

・ステージ終盤にガードロボが厳重な警備態勢で立ちはだかり、くぐり抜けた先には巨大コンピュータらしき存在が見られる

・ボスは巨大ロボのHR-Hであり、その背景には高層ビルが立ち並んでいるが、建物内の明かりはひとつもない

と工場や街を作った生命体は行方が書かれていないのです。
ここで生まれた考察は何かと言うと

・地球に氷河期が訪れて機械と魔物のみが生き残った世界説

・HR-Hたち機械の人工知能が暴走し、機械を作った存在が機械によって滅ぼされた説

の2つが挙げられています。

ではこれらの何が終のステラを思わせたのかと言うと、後者の考察です。
"機械元い人工知能などを使って繁栄を望んだ文明が、逆に機械によって支配されてしまった"という点が本作に類似していますよね。

終のステラに話を戻しまして高度な文明を活かした結果、人間が住みづらくなって国という概念すらも崩壊してしまった...というのが世界観なのだと感じています。

・ジュードとフィリアの心理描写


フィリアは「人間になりたい」と主張するアンドロイドであり、ジュードは情や義理で動くことがない現実主義者の運び屋であることが分かります。
出会ったばかりのジュードはフィリアを鬱陶しいだけのお荷物だと思っていましたが、2人での長旅をえてだんだんと情が芽生えていきます。
人間に近い何かを感じ取ったのか、だんだんと娘のように思えてきましたからね。
何故そう思うようになったのか、それはフィリアがノリのつもりだったのかジュードの事を「お父さん」と呼んだから。
これは作中の後半にジュードの口からも明かされるのですが、その内容は下記の通りになっています。

・ジュード自身も昔は娘がいたが、村八分に遭ってしまい家族を置いて仕事のために出ていった。

・運び屋という仕事を生業としていたが、仕事を終えて帰ってきたら娘どころか嫁も餓死していた。

仕事を優先するあまり娘に愛情を抱けなかった...と言うよりは愛情表現の仕方が分からなかったのでしょう。
お父さんと呼ばれた際の2人の会話も個人的には好きなシーンの1つです。

──────────
ジュード「なぜ親は子供を命より大事にするんだと思う?」

フィリア「愛しているから?」

ジュード「なぜ愛する?」

フィリア「自分の子供だから?」

ジュード「つまり、生まれた瞬間から愛しているわけだ。
それは本当に愛か?」

フィリア「どういうこと?」

ジュード「その赤子がどんな人間かも分からないのに、我が子というだけで愛している。普通、人が人を愛する時は、そいつがどんな人間か知ってからだ。だが子供に対してはそうではない。無条件かつ自動的だ。なぜか。遺伝子が子孫を保てと本能に刻んでいるからだ。俺はそれが必ずしも気高いとは感じない。単に本能だ。」

フィリア「じゃあ親が子供のために命を捨てるのは......」

ジュード「遺伝子がそう命じるからだ。夢を壊すようで悪いがな、あまり人間を高潔だと考えていると、いつかおまえ自身を傷つけることになるぞ。子を愛せない親だってごまんといる。」

フィリア「......でもちょっとは、本物もあるんだよね?」

ジュード「それもある。何年もいっしょに暮らせば、本能由来じゃない愛も混ざってくる。そういう愛情なら、俺も理解せんでもない。」
──────────

このお話をきっかけに、ジュードはだんだんと人間味のある感情を取り戻していく流れになるのですが、ここの描写は丁寧でしたね。
フィリアもアンドロイドとして色々な感情をインプットし、恐怖や仲間の死を得て自我を成形していく様も見れるので本作の肝となる心理描写がお勧めされるのも理解できるものになっています。

・有と無の定義

"無"は"有"を願い、"有"は"無"となりて─。
自分が思いついたこの言葉ですが、本作における有無というのは、「自我や情」のことではないかなと思っています。
「無は有を願い」というのは出会ったばかりのフィリアの事を指しています。
「人間になりたい」と主張する、とありますがこの時点で自身の願いが決まっている、つまり自我が芽生えているのでしょう。
だが所詮はアンドロイドという作られた存在、生命が宿っている訳ではないので事実上の無としての誕生と言っても過言ではありません。
無として生まれた彼女は知らないことだらけですから、興味津々になって周りを省みずに首を突っ込んでしまうのは仕方がないですもんね。
そんな彼女がジュードとの長旅をえて有になっていく...という形で感情を芽生えさせ"有"として成長するというのがフィリア視点での考えです。

逆にジュードはウィレムの依頼という名目で指示を受けてフィリアを運ぶのですが、彼からしたらあくまでも届けるだけのお仕事であり、フィリアは物としか見てなかったんですよ。
ここが「有は無となりて─」の部分であり、彼は自分の考えを持てる有の存在でありながら依頼だからとあえて無を演じていたという訳です。
これは表面上の書き方であり、彼が無の生き方を余儀なくされた真実を語るまでを「無となりて」という言葉で表しました。
そんな彼も、フィリアが娘のように思え始めてきた時から"有"としての感情を取り戻していく展開になっていくのです。

あと本格的な無として書かれていたのが、ウィレムのところのアンドロイド。
ガブリエル(フィリア命名)然り、ただ指示に従い、ただ指示を待つだけの存在として形成されてしまったのは有としての情報を得られなかったのでしょう。
2人の成長物語を表向きに、登場人物の自我をここまで細かく描かれていたのは人間に近い何かという境界線に沿っているのでは無いかなと思っています。

・離れたくない気持ちと悲しい嘘

デリラが死に、ウィレムの所まであと少しという所、ジュードが自分の感情を押し殺して依頼を完了させようとしていたのをフィリアは感じ取ってしまいます。
もし依頼通りに進めばジュードと離れ離れになってしまうのではないか、そのような事を危惧したフィリアは「行きたくない」と口にするのです。
勿論その気持ちはジュードも同じであり、それを分かった上で仕事をしています。
だがフィリアのわがままに頭を悩ませてしまったジュードは、2人の関係を無かったことにするかのように最悪の決断を取ってしまいます。

「おまえと旅などするんじゃなかった。機能を停止させたまま、単なるモノとして運んでくるんだったよ」

「おまえなんかに名前をつけてやるんじゃなかった」

それは、自分の気持ちと逆の行動をするというもの。
その後にフィリアは泣き叫び、赤い目に殺意を込め、ジュード目掛けて銃を撃とうとする...というのが喧騒の流れになります。

ここのシーンを挿入歌が流れるのですが...その演出は普通にズルいと言いますか、タイミングが完璧ですね。
読み終えてから改めてFullver.を聴きましたが、ジュードの葛藤などが表れていてより悲しい気持ちにさせられました。

・デリラの死が描く謎

一時期ジュードとフィリアの仲間になりますが、ならず者との死闘後に退場してしまう...と活躍する場面はとにかく短い彼女ですが、公式のCGで死ぬことが明言されています。
離れ離れになってしまった父に会いたいと願う彼女ですが、結果的には色々な意味で会えて幸せだったと言った方が近いでしょうか。
というのもデリラの父(とされる人物)は既に白骨化していたのです。
ジュードがデリラの父について聞いた時、"デリラにとっての父はすべてを教えてくれた人であり、科学の信奉者でこの地に再び叡智の花を咲かせるために活動していた"ということがデリラの口から発せられています。
デリラの父もジュードと同じように大事に扱っていたんだな、と視聴者を納得させられていましたね...ウィレムの話を聞くまでは。
しかし、ウィレムから発せられた事は下記の通りになっていました。

・デリラは自我のない無であり、教育不足のせいでコミュニケーションが全く取れなかった為ウィレムの計画の基準に適合しなかった。

・デリラの運び屋(父とされる人物)は物の扱いがなってない野蛮な男であり、単なる荷物や機械として彼女を引きずってきただけ。検品では銃撃戦の盾にしていた事実もあるという

これは結局どっちの言い分が正しいのでしょうか?ウィレムが事実を言うのであれば男は相当な外道であることが確定するし、デリラは男の非道な扱いを愛と曲解してしまったのかもしれないと私は思いました。
デリラは頭部の損傷が激しく、銃撃戦で頭を撃たれた際に記憶ごと削れてしまったと言っていましたし...出番の少なさも相まってモヤモヤが残ってしまうキャラクターでした。

・ヴィレム・グロウナーについて

サイボーグ化を得て生き長らえており、そんな彼が望んでいるのは、シンギュラリティマシンに追いやられた人類の救済とされています。
ではそんな彼はヴィランだったのか?結論を言うと、彼はヴィランではありません。
そう思った理由は「公爵もフィリアを生贄にすることに罪悪感を感じているのかもしれない」の一文にあります。
ウィレム自身もサイボーグ化してもなお人類をAIの支配から救済しようと、フィリアやデリラのようなAe型アンドロイドを使用したトライアンドエラーを繰り返していたのでしょう。
アンドロイドを作るも壊すも全ては人類の救済の為と言っていましたしね。
とはいえあくまでもこの作品はジュードとフィリアの物語として書かれているので、ヴィランとして書かれるのも無理はないのかな?と思っています。
この話を踏まえてウィレムは、フィリアの人間にするという話を無しにしてジュードにフィリアを小型衛星にしてその姿のまま生き永らえる事を迫らせます。
ざっくり纏めると、娘としてずっと傍にいたいと思うジュードと、人類の救済のための礎が欲しいウィレムの直接対決という認識で良いでしょう。
最終的にウィレムはジュードの体内に仕組んだ装置で致命傷を追わせますが、命を賭けたジュードによって撃たれ死亡します。
お父さんのくだりでフィリアと話したシーンがあったからこその行動、フィリアをモノから娘として見ていた父としての愛情がジュードを駆り立てたからこその結末でした。
ウィレムは死ぬ間際に「フィリアはどれほどの知性を宿そうが、人もマシンも惑わすエワルドのためのハダリーなのだ」とジュードに言葉を投げかけます。
調べてみたら、某SF小説による引用をそのままにしたみたいですね。
きらびやかに現れて人を魅了するが、最後は失意に沈める存在、不幸だけを残していく女。

結果的に良い結末になったかと言われると、首を縦に振ることは出来ませんね。
ウィレムはヴィランではない行動を取っていたし、ジュードの娘を取られたくないという気持ちで撃ったのも悪く言えばそれはエゴ、個人の我儘な訳ですから。
最期にもうひとつ口にした「これで人の時代は流れ去るな」という台詞はウィレムの無念が表れたと思う反面、生涯の夢と言ってた割にはあっさりと死を受け入れてた事が気になりました。
彼もまた心の底では少しだけ、すこぉしだけ人類の救済とかいう大それた事は出来ないと諦めていたところがあるのでしょう。
本当に生涯の夢にするのであれば後継者に託すか、「まだ、諦めたわけではない...!」と多少なりとも抵抗する様子を見せても良かったはずです。
やはりデリラ同様表面上でしか描写されなかったので、もうちょっとそこは見てみたかったなと感じました。

・ジュードが生きた世界、フィリアが紡ぐ未来

ウィレムを斃したのは良いものの、ジュードはウィレムに仕込まれた装置によって致命傷を負ってしまいます。
この時点でなんとなく予想ができる方も多いと思いますが...そうです、余命が決まった主人公への死のカウントダウンなのです。
満身創痍となった体ではもうフィリアと一緒にいることは叶わない、ならばその前に大事なことを教えなければならない、フィリアが1人で生きていけるようにしなくてはならない、とジュードは思うようになります。
その後の展開はエピローグ形式で進むことになりますが、このシーンはちょっと駆け足気味ながらも2人のやるせなさと愛が混ざってて描き方が本当に上手いと感じました。
ジュードの死は避けられず、フィリアはジュードの為に色々頑張るも叶わず...切なさ全開のシーンを感動路線に変える、というのがKey名物ですが本作も健在です。
それが分かる2人のやり取りが全て持っていったので、ここも書き込みます。

──────────
ジュード「ただ勘違いしないで欲しいんだが、死んだ子供の身代わりになって欲しいわけじゃないんだ。おまえはおまえなんだ」

(中略)

ジュード「なあ、フィリア、やっぱり......おまえのこと、娘って思っちゃだめか?」

フィリア「ずっと、そう思ってほしかったよ。ジュードが親になってくれなかったら、私にずっと親なしのまま生きることになるから......良かった」

(中略)

ジュード「......おまえはすごい運び屋になる。おまえはもうじき、救いたい相手を自由に救えるだけの力を身につける。余裕のない俺は、人を見捨てることをよくしてきた。それでおまえをさんざん悲しませたな。でももう、我慢することはないからな。俺にあったのは正しさだけで、力がなかった。でも、おまえは正しさを越えていく。その日はきっと近い。」

ジュード「おまえはとっくの昔に人間になってる。体はアンドロイドだが、心は人だ。俺が保証する。夢を叶えたな、フィリア」
──────────

一度は言い訳をするも命の炎が消えるからこそ、「娘のように思いかけている」と自分のため込んでいた気持ちをさらけ出そうとしたジュードは、フィリア同様"有"としての人間になれたんだなと分かりますね。
目もかすみ、目の前にフィリアがいることも分からない状態で「俺は大事なものを守り届けることができたのか...運び屋としての仕事はできたのか...」というセリフに、「大丈夫だよ、あなたはできたよ...」というこの返し、流石と言わざるを得ないでしょう。
ジュードとは一体誰なのか?それは1人の運び屋であり、フィリアの娘でもある最高の父親である─。

ちなみにED曲が流れるシーンで声の出演欄にキャラ名が乗るのですが、フィリアのところにジュードの姓が追加され「フィリア・グレイ」と表記されていたのです。
ここはカタルシス全開すぎて鳥肌立ちましたね、何せ「運び屋とモノ」だった関係が「父と娘」に変わったのだから。
これも読み終えてから改めてFullver.を聴きましたが、フィリアの覚悟の表れもあってか演出共々トップクラスに好きな曲になりました。
特に最後の歌詞である「この身体の心はここ あなたのものと同じよね 確かめなくても分かる理由 わたしの名前の通りだから 初めての「さよなら」も言えたよ そしてまた朝日になって」が顕著でした。

ED後のエピローグでは、何者かが逃げており暴漢に襲われていたところ、誰かが助けるのを知らせる銃声から始まります。
ここで一度は「これフィリア?」と疑問を抱いたと思うでしょう。
ところが先を進めると...銃を撃ったのはなんと成長したフィリアだったのです。
いやこれミスリードだったんかーい!
なんと背も高くなってハキハキと喋り、逞しく頼もしくもフレンドリーな一面は変わらない...と、あどけなさをそのままに立派な運び屋になっていたのです。
それに"何者か"の正体もまだ無としてのアンドロイドであり、彼女の視点でお話が進んでいたことが判明しますが、まさかそのような書き方になるとは...。
あれだけ銃を撃うのを嫌がってたフィリアがあっさりと暴漢を撃つのも、父がいない中でも相当な修羅場をVer君と乗り越えてきたのでしょう。
物語としては父親譲りに逞しくなったフィリアが無としてのアンドロイドを見つけ、今でも生きている人間を探す旅に出た...という形で幕を閉じます。
一応豪華限定版のアフターストーリーでフィリアと人とのふれあいが書かれているようですが、これはまた再走する際に購入してから見ようと思います。

ジュードが生きた世界:それはフィリアという娘に出会い、心を教えた事。
フィリアが紡ぐ未来:それは父から授かった名前と心と有を胸に、遺志を継いで運ぶ事。
なんだと感じています。

・OP曲から読み取れる作品の全貌

breath of stellaの歌詞は結末から言うと、この作品全体をざっくりながらも表現しています。
「滅びていくこのステラ」の部分は恐らく、フィリアというアンドロイドを生み出した制作陣の心境なのか、それとも本作による制作陣のキャッチフレーズとして出されたものかの2択だと思っています。
その後にくる1番の歌詞はフィリアの目覚め、2番は喧騒とデリラの死を書いたものだと推測します。
特に後者の「消える火の前でただ 立ち尽くして煙る灰」の部分が分かりやすいですね。
間奏終わり後の「引き金にかけた指先が 示す未来を 祈るだろう」の部分でウィレムを斃す前を描き、転調してラストサビにてジュードの死を描くという切ないものになっています。
が、「あなたが生き抜いた世界は まだ わたしの中で息をする」というフィリアにとっても希望でもあるというのも表現出来ています。
Fullver.で4分という妥当な長さの中でここまで全貌を歌詞に込めており、BPM176(減速あり)というそれなりの速さで転調するという良いところをふんだんに詰め込んだ素晴らしい曲となっています。
読み終えてからまた聴くと、最後の歌詞で込み上げてくるというのも粋だと思いました。

・全年齢版としての強み、一貫性の無さと観点の違い


本作は全年齢版であり、幼稚園児でもプレイできるのが特徴的です。
まぁ、幼稚園児に見せるには相当キツイ場面があるので勧められるかと言われたら早急過ぎるまであるかもしれません。
18禁作品というのは言葉の通りで、18歳未満の方には見せられないという前提でお話が作られています。
これによって作品が見向きされないというケースは、制作陣からしたらかなり頭を悩ませる要因になったのではないかと思っています。
Keyというゲームブランドも元々は18禁の作品を出していましたが、やはり例の前提が大きく影響してきたからなのか全年齢版作品をメインに制作するようになりましたし、そういう思惑があるのかなと思っています。

話を終のステラに戻しまして、本作の強みは視点が変わってくるという点にあります。
純粋無垢故に子供っぽく、だから大人を困らせることもしばしばという意味では、視聴者が子供の場合だとなんとなくフィリアに同情を誘われるんじゃないかなと感じています。
逆にジュードに同情を誘われるというのも理解ができますね。
というのも現実的に物事を捉えているキャラクターなので、私もそうですが大人の視聴者は自然とジュード方面に気持ちが移っていくのですよ。
とこのようにお互いに主枠があることにより、どちらの行動も本能故のものだから否定できるのもでは無い、という描写が特徴となっているわけですね。

本作の物語はウィレムにフィリアを届け、フィリアは人間になれるのか?という展開となっています。
が、主人公がそれらの展開をぶち壊しにするので「やってる事全然違う!一貫性がないじゃないか」と声があがるのも気持ちは分からんでもないですね。
確かに表面上はそうかもしれない、でもフィリアとジュードの物語である...という観点で見れればそれは違和感のないもの、切なくとも深い愛のお話なんだと思えるようになれるかもしれませんね。
展開よりも登場人物の内面をしっかり見て欲しい、というメッセージを制作者様から受け取ったような、そんな気がします。

○最後に


本作はユーザーの殆どから高い評価をされており、その理由はボーカル曲、ロープライスにしては膨大な量のグラフィック、キャラを取り巻く描写の数々が全体的に噛み合っているからなのだと感じました。
特に上記のbreath of stellaの他にもジュードの視点を書いたであろう挿入歌の「終の祈り」、フィリアの心理を描いたED曲の「Ortus」はトップクラスの出来だと思っています。
ただウィレムとデリラの出番が少なく、主要人物が死んではい感動〜な路線であることは否定出来ないので、多少の疑問点が生まれるのは避けられないかもしれません。
とはいえ、SFチックな世界観で展開される2人の愛の形を描いたお話は本当に良く、フィリアの視点で見てもジュードの視点で見ても「分かるわぁ」という気持ちにさせられるのは約束できます。
フィリアの純粋無垢な所は、殺伐としたお話としては良い緩和剤になれたと思っています。
特に珍しい服に目を輝かせたり、海で駆ける所はグラフィックの細さも相まって可愛かったですね。
初のKey作品攻略でしたが、短めながらも大変満足させられました。
素敵な作品を提供してくれた製作者様と、ここまで読んでくれた皆様に感謝を述べて締めくくらせていただきます。

ありがとうございました。

P.S. ブルブルスターの考察のくだりですが"寒すぎて星から旅立った"という話が公式で名言されているので、色々と考えすぎた結果が小ネタとして出たのではないかと思っています。

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