『東方』と『二次創作』と『楽しむ』こと
はじめまして、ozと申します。note初投稿です。ネットの海を漂流していた時に、『第一印象至上主義』みたいな言説をフラリと聞いて「ヒェ~…」となったので、今回はそれと逆行して『東方』と『二次創作』を通して『楽しみ』というものについて自分で考えたことをまとめました。
【①はじめに】
『創作』と聞いて「どうゆう印象を持つか?」と言われればそこそこ十人十色な回答が得られそうなものですが、「楽しい」という感想を抱く者も少なくはないでしょう。では『二次創作』はどうか?二次創作といえば『東方』は外せない。私は『東方』が好きな人間です。勿論『東方二次創作』も好きです。そもそも楽しいと思う人間がいなければ博麗神社例大祭など開催されようはずもないでしょう。昨秋の例大祭にサークル参加した数を数えてみようと思ったがあまりにも多いのでやめました。パッと見で1000は超えるのでしょうか?とにかく、『東方二次創作』をどうゆう形であれ楽しいと思う人間は多い、という事です。今回は「『楽しむ』とは『自発的』な行為である」という視点を挿入し、『東方二次創作』ないしは広く『創作』というものの一つの楽しみ方を考えてみます。…ということを少しソフトな文章で伝えられたらと思います。
※基本的に個人の感覚をベースに記述しています。そして私は特に何かの専門家という訳でもなく、即ち以下の文章はただの私の思考の垂れ流しです。科学的・歴史的に誤った部分があるかもしれませんが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。
【②そもそも東方の楽しみって?】
②ー1『東方』概論
『東方』とはそもそも何でしょうか?一般的な回答としては上海アリス幻樂団、即ちZUNさんの作成した弾幕シューティング(東方萃夢想などの黄昏フロンティアとの共同制作による作品も合わせて)、及び幻想郷を舞台としてZUNさんが監修した漫画・小説・その他文章作品、この総称、という事になるでしょう。しかし、東方は数多に点在する二次創作群と切り離すことが既に難しく、『東方』の構成要素としてそれら二次創作を含んでもなんら問題はないと思います。原作という一本の筋から、各製作者により枝分かれさせられた世界線、これこそが『二次創作』に当たるものと思われます。例えば同人誌では原作とは違った世界観の霊夢や魔理沙が描かれることが多々あります。彼女たちは現代風の服を着ていたり、キャラ崩壊もザラにあり、時には百合百合しい展開が描かれたりしますよね(自分は今ヤマパル、こいここが熱いです)。これらはいずれも原作では見られない光景ですが、「東方か?」と問われたら、まあ「東方だろう」と答えられるでしょう。このように、東方は既に二次創作と切り離せなくなった世界(コンテンツ)となっています。
②ー2『東方』の『楽しみ』
東方二次創作の楽しみ方については次項で簡単に述べるとして、一旦『東方』の広い楽しみ方を見てみましょう。皆さんは東方、どこから入りましたか?東方人気投票2024において「東方Projectを知ったきっかけ」についてのアンケートが成されていたので見てみます(※1)。
この中で目立っているのはYouTube・ニコニコ動画などのインターネットメディアを通じて、或いは友人や家族など他人から教えてもらって、と言ったところでしょうか。私に関していえば、音楽ゲームにそんな感じの曲があり(当時maimaiやってました)、ニコニコ動画でそんな感じの動画があり(ニコニコ動画龍星群とかパワプロクンポケット幻想郷編なる動画とかを見てました)、Youtubeにそんな感じの動画があり(ポケモンやマリオカートのゆっくり実況見てました)、それら複数の情報が合わさった結果、「どうやらこれは『東方』と呼ばれるものらしい」となった具合ですね。
では『東方』というコンテンツを微分してみましょう。「弾幕シューティングゲームをプレイする」「黄昏格闘ゲーム(東方心綺楼など)をプレイする」「公式漫画・文章作品(東方茨歌仙、東方文花帖など)を読む」「同人誌を買う・読む・制作する」「二次創作ゲームを買う・プレイする・制作する」「Youtube・ニコニコ動画などの東方関連動画(東方MMD作品、東方紙芝居劇場、ゆっくり実況など)を見る・制作する」「東方アレンジ楽曲を聞く・そのCDを買う・制作する」「各キャラ・世界観の元ネタを調べてみる」「独自の非公式イベント(博麗神社うた祭・東方人気投票など)に参加する・主催する」他にも独自の活動があるかもしれないですがこの辺にしておきます。「東方の楽しみ方は人それぞれ」と言いますが、これだけあればそれも当然でしょう。もっと言うと、「作品を見る」を一口に言っても、その作品は多種多様ですべて異なります。原作作品はある程度有限ですが(といっても東方靈異伝~東方獣王園のコンプリートには時間もお金も大量にかかりますが…)、二次創作となると最早人間から見たら無限といって差し支えありません。Xで例大祭の戦利品を写真で投稿してる方がいらっしゃいますが、一人としてそれが完全一致することがあるでしょうか?一口に『東方』と言っても、各個人が見てきた『東方』の世界はまるで異なるのです。東方、及び社会全体を害する行為をしない範囲で、各々自分の楽しみ方をしてよいのが『東方』なのです。前述のように、東方の楽しみは余りにも多種多様であり選択肢が多いです。これと言って決まった楽しみがあるわけではありません。なのでまずはとにかく何かに触れてみる事、触れてみたモノの中で楽しさ・面白さ・味わい深さを『自発的』に見つける事、これが東方を楽しむという事に繋がります。また、例えば「原作をしなきゃダメ」といった、言うなれば強制的なことは特にありません(精々"ルールは守ろう"ってくらいですね)。原作にせよ創作にせよ"やってみたくなったらやればいい"のです。多くは話しませんが『義務感』は苦しいので、自らの中の『真の義務』を見つめなおしておくことに損はありません。自分の時間と体力の範囲内で何かをすることが大切です(たまには限界を超えてもいいかもしれませんけどね)。
②ー3『一時的に方向性を絞る』
さて、「楽しみ方が多すぎる!なにすればいいですか!?」と言う方の為に少し選択肢を絞ってみましょう。物事を楽しむコツの一つは『一時的に方向性を絞る』ことです。あれもこれもとやると『疲れ』てしまいますからね。また、積みタスクが溜まるとどうしようもない圧迫感が出てくるという話もあります。人間にとっては時間も体力も有限なのです。
まず「入口として取り敢えず」と言うならば「原作漫画」「例大祭での同人作品購入」「ゆっくり実況・茶番劇」辺りが入りやすいと思います。ゲームがやってみたくなったら「原作弾幕シューティング」を楽しめるでしょう。原作はZUNさん本人も言及していますが、結構難しいので慣れないうちはeasyモードで十分楽しめると思われます。長い文章を読む体力があるならば「文章作品(東方香霖堂・東方文果真報など)」を楽しめるでしょう。教養を求めるなら元ネタを調べてみたり、いわゆる聖地巡礼をしてみるのもいいでしょう。「みんなで楽しみたい」というならば、各地の様々な非公式イベントに参加してみましょう。そしてある程度『東方』という世界が手に馴染んできたら『二次創作』として『創作』をしてみるとよいでしょう(或いは元々絵描きの方なら各キャラの絵を描いたりするのが先ですし、音楽プロデューサーの方なら東方アレンジ曲の制作が先になるのかもしれませんね)。そして方向性を絞るのはあくまで『一時的に』です。同じことばっかりやってるとどうしても『飽き』ますからね。何かをやってみて、一通り満足したら少しやることをズラしてみる、ズレる前と後を連結させてみる、というのが『東方』を楽しむ上で重要なのかな、と個人的には考えています。
②ー4『楽しむ』ということ
以上、ここまで『東方』という世界の楽しみ方について概略のみ紹介してみましたが、ここで少し『楽しむ』とはなにか、ってのを考えてみます。特に長い目で見るときの話をしていこうと思います。『楽しむ』と言いますが、東方を楽しめるか、或いは東方に限らず何かを楽しめるかどうかは『自発的』に楽しめるかに懸かってきます。少し抽象的な話になりますが、実際にその場に飛び込んでみて、その場の中に自分で何か『楽しみ』を見出すこと、それこそが何かを『楽しむ』ということです。例えば「この弾幕が避けてて気持ちいい!」「このイラストレーターさんの絵はおめめパッチリでカワイイ!」と言う具合です。楽しさというのは外から降ってくるものではなく、『自発的』に世界に飛び込み『楽しみ』を見つけようとすることで、ようやく『楽しみ』を『楽しむ』ことができるのです(※2:間接的にですが考え方のベースとして参照しています)。
尤も、言葉にはしていなくても自然に何かに飛び込んでいるような方も多いと思いますが、なにか閉塞的にある世界で生きていると感じたら、時には別の世界に飛び込むって感じで十分だと思います。是非色々なコンテンツの中に飛び込み、自分なりの楽しさ・面白さを見つけてみてください。そして『東方』には幅広い楽しみがあるため、自分なりの楽しさ・面白さを見つける為の土壌が非常によく整えられています。それこそが『東方』という世界を素晴らしいものにしている一つの要素と言えるでしょう。
さて、『楽しむ』とは自発的・能動的な行為ですが、その自発的な行為の中には『創作』(制作・表現)が含まれます。『創作』と言う行為は東方に限らず、他人の世界に様々な彩りを与えるという意味で重要な行為です。そしてまた、その自発性から自分自身の楽しさにも繋がる、まさに一石二鳥の行為と言えるでしょう。ここからは『東方』の中での『二次創作』の楽しみについて紹介します。また『東方二次創作』に限らず、より普遍的に『楽しむ』ということについて考えてみます。次項ではまず創作物を購入・閲覧して楽しむことについて見ていきます。その次の項では何か創作物を『創作』して楽しむことについて見ていきます。
【③東方二次創作の楽しみって?-創作物を楽しむ-】
③ー1『東方二次創作』の形
『二次創作』は前項でも述べましたが「原作という一本の筋から、各製作者により枝分かれさせられた世界線」を制作することと考えてよいでしょう。そして私たちは『東方』と言う世界の中で、無数の『二次創作』を楽しむことが出来ます。では『二次創作』の作品は何が面白いのでしょうか?そのような作品を作るとはどうゆうことなのでしょうか?そして『二次創作』ひいては『創作』自体の楽しみとはなんなのでしょうか?そこら辺を簡単に考えてみましょう。本項では創作物のさらなる楽しみ方、と言う観点で話してみます。
まずは『東方二次創作』を微分してみましょう。「同人誌(イラスト・漫画・小説など)」「ゆっくり実況・解説・茶番劇」「東方MMD」「東方アレンジ楽曲」「生配信(二軒目ラジオ・ビートまりお氏配信など)」「二次創作ゲーム(東方幻想麻雀・クビナシリコレクション・東方ダンマクカグラなど)」「非公式イベント(博麗神社うた祭・東方人気投票など)」まだあると思いますがこの辺にしておきましょう。今まで発刊された同人誌、Youtubeやニコニコ動画で投稿された動画、二次創作ゲーム、東方に関して配信する人間も数多くいるため、創作物の形ですら多数存在し、そのすべてを体験できるような時間を人間は持ち合わせていません。さらにキャラ数でという観点で見ると、東方人気投票2024では217キャラが投票の対象となっています。勿論「小鈴の両親」やら「毘沙門天」など「推しに投票…?」というキャラも含まれますが、現実的な範囲でも旧作キャラ含めて150キャラ以上が対象に成り得ます。これだけキャラ数がいれば、やはり『二次創作』での組み合わせも個人の赴くままに、という事になるでしょう。創作の形式も数多く、キャラも多い、それゆえ創作物も多様とならざるを得ません。
私自身を例にすると、現在は細々とYoutubeで「ゆっくり実況」や「ゆっくり茶番劇」を投稿している次第です。2025年4月で五年目に突入し、昔はマリオカートの実況をよく作ってましたが(2025年1月、Nintendo switch2の発表に伴い新作マリオカートらしき映像が紹介されましたね!)、最近は『おさかなじんろう』(さかな氏主宰)や『ガチ狼』(高田健志氏主宰)、『ゆっくりできない人狼』(ぺニスズメ氏作)などに影響を受け、自分でやってるわけでもないのに人狼の動画を創ってみたり、野球が好きなので『パワプロ』と言う形で幻想少女たちに野球をさせてみたり、物語を作ってみたくなったのでこいフラ、ヤマパルの『ゆっくり茶番劇』を制作してみたりしました。登録者は900人付近と実績としてはカスみたいな数字しか持っておりません。なので流石にもう少し数は欲しいなぁと思いつつ、別にウケようと思って作ってるわけでもないので、自分のペースでそこそこ楽しく活動を続けられている次第です。しかしたまに面白いと言って感想くれる方の存在はやはり嬉しいものですね、本当にありがとうございます。いずれ例大祭のサークル参加もしてみたいとかは考えていますが、何時になることやら…という具合です。
③ー2『具体化』を楽しむこと
さて創作物を楽しむ、といっても作品の種類によって異なりますね。例えば幻想少女達のイラスト集の場合は、その中に彼女達の様々な姿・振る舞いが描かれており、「カワイイ!」とか「カッコイイ!」とか「この表情がいい!」とか「この服装はこのキャラに合ってるっぽい!」あたりが感想となるでしょう。この時、その内容をより『具体化』できると感想としての質は上がります。私がよく例大祭などで同人誌を買いに行くイラストレーター:ののこ氏の直近(博麗神社秋季例大祭2024)の学園風幻想少女の作品があるので、誠に僭越ながらその表紙の妖夢を例にさせていただきます(※4)。
まあ絵が整っているので直感的に可愛いとすぐにわかるのですが、「何処が?」と言われたら個人的には「口をキリっとさせてちょっと真面目な雰囲気を出してるんだけど、根本的になにかあどけなさが残っててそのギャップがカワイイ」のかなぁと思いました。後、「剣道部部員で、後ろに刀(現代風なので模擬刀みたいな感じでしょうか)を携えているのは原作の妖夢らしさを残してていい」ですよね。さらに「白い制服の上に黒(灰?)のジャージを着ているのは、彼女の白い髪とも合わさって対比があってバランス取れてていいなぁ」と思います。最後、細かいところで言えば「ネクタイの半霊マークにちょっとしたズレ(普通のネクタイにはこのマークはないですよね)があってそれもまたよし」そんな具合でしょうか。長い時間マジマジ眺めればもっと出てきそうですが、一先ずこんな所にしましょう。
さて、こうゆうイラスト集はまず基本的には直観的にいいものを見つけることになると思われます。第一印象と言っても差し支えないでしょうか。この時点でも十分楽しめるのですが、そこから一歩踏み込んで、「その直感に隠された『具体性』を紐解く」ということをすると、よりその作品を深く楽しむことができるようになります。ここで言う『具体化』とは、一つの創作物から様々な諸要素を分解して一つ一つ言葉にする行為のことを指します。言葉遊びのような感覚ですね。僕の場合は「リズムの反復とズレを言葉で表す」と言っています(※3:この本の中の言葉を一部参考にしてます)。
上記の妖夢であれば、そもそも「制服を着ている」というのは一般的な妖夢とは異なります。即ちズレです。「口を閉じて少し真面目な感じ」というのは普段から真面目な妖夢に触れている人間で在ればそれを「妖夢らしい」(反復的ですね)と捉えるでしょうし、もっとポンコツな妖夢をイメージしている場合は私が思ったような「真面目っぽいけどちょっとポンコツさも隠れてそう」みたいな捉え方をするかもしれません。もっと別の視点で絵を見れる方もいるでしょう。普段見ている風景のとの差で反復かズレかは異なり、それによって感想も十人十色に成り得るという事です。あるイラストの色々な要素を色々な視点で見ることで、色々な発見が得られます。後に説明しますがこれは『気づき』の一種と言えるでしょう。この『気づき』を『具体化』することがイラストを楽しむ一つの楽しさなのかな、と個人的には思っています。
これは漫画や動画、楽曲でも同じことが言えると思います。漫画であれば色々な場面、色々なキャラのテイスト、色々なストーリー、色々な想いを見ることが出来ます。場面が多いので、直感的にいいなと思った部分をピックアップして『具体化』してみるといいと思います。「このキャラがこの発言をするのは"らしさ"があっていい」(反復的ですね)という具合ですね。動画については、種類は様々ですが「このアクションのこの部分、この赤いオーラが出ているのがカッコイイ」(ズレ的ですね)のようなことはあるでしょうし、ストーリーがあれば漫画と同じような楽しみが出来るでしょう。東方アレンジは原曲との比較してズレを中心に聴いてもいいですし、「雰囲気、歌詞がキャラとマッチしている」のような視点で聴いてもいいでしょう。「どの部分がどうゆう意味でマッチしているか」を言葉に出来ればより具体化出来ていると言っていいですね。或いは別に『二次創作』に限らず、原作もそのような視点で楽しむこともできると思います。その際は原作の中の他の作品や『東方』の外の世界(ボカロでもアニメでも、なんならもっと広い世界でもいいです)との反復とズレを見てみるといいと思われます。
一つ参考になりそうないい動画があったので僭越ながら紹介させていただきます。ゆっくりむちゃたぬき氏のゆっくり実況動画「200回くらいひけええええええええ!!!【ポケポケ】【ゆっくり実況】」です(※5)。
【ポケポケ】は「ポケモンカードをスマホでできる」というゲームです。この動画でガチャを引いてゲームで使うポケモンカードを集めるという動画ですが、その中でひたすらポケモンカードのイラストを紹介し、その様々なポジティブ要素を抽出して『具体化』しています。カードのイラストのより細かい部分まで視野を広げて、さらにはカードやゲーム自体の外部の知識も含めて『具体化』しています。あの勢いは本気でポケモンが好きじゃないと中々出来なさそうなものです。ゆっくりむちゃたぬき氏の動画はラディカルに動くエフェクトや霊夢・魔理沙・妖夢・さとりの4視点実況、ワクワク感を増長させる会話の間、ちょっとズレのある言葉のイントネーションなどが面白いのですが、この動画を見ていると独特な『具体化』の視点もその面白さの一要素なんじゃないかと感じました。
さて『具体化』ですが、初めは難しいかもしれません。しかし、例えばノートやPCのメモ帳で思ったことを書いてみる、という事をすれば徐々に慣れてくる場合が多いです。その意味では『楽しむ』ための一つのトレーニングとも言えるでしょうか。直感の先にある楽しさを見つける一つの手段としてこの『具体化』の能力を少しでも磨いておくとよいと思います。或いは『具体化』が苦手という方もいらっしゃるとおもわれます。そんな方は寧ろより『直感』を洗練するといいかもしれないですね。ここで多くは述べませんが『直感』を磨くことも作品を楽しむための能力と言えるでしょう。一目見て「これはいい!」と気づければいいものに出会う確率が上がることが予想できます。『具体化』『直感』その両面から創作物を楽しんでみてください。貴方の世界はより彩りを増すことになります。
③ー3『体力』をつけること
一方で特に『具体化』は脳を使う行為なので『疲れ』ます。しばしば「考えるのがそもそも好きじゃない」という方がいらっしゃいますが、これは脳が『疲れ』るのを回避しているのが原因の一つ(全てではないです)でしょう。自然科学の知見として、脳は身体全体の4分の1程のエネルギーを使用すると言われています(※6)。
従って『具体化』しまくっていると『疲れ』ます。因みに『直感』を磨くとは即ち「視野・アンテナの拡張」ということであり、こちらも脳を使う必要があるので『疲れ』ます。この『疲れ』は脳・身体を休ませる合図となるため、ここで「楽しいハズの世界が楽しくなくなる」という現象が発生します。これは非常に危険な状態です。ところが『楽しむ』というのが『自発的』な行動である以上、それにはエネルギーを使用します。弾幕ゲームをする、漫画・小説を読む、例大祭に行く、聖地巡礼をする、いずれにおいてもエネルギーを使います。この視点を挿入すると、物事を楽しむより普遍的な条件は「『体力』を身に着ける」というところに帰結します。ここで言う『
体力』は身体的体力・思考体力の両方を含みます(区別すべきものなのかはわかりませんが)。本文章のケースでは思考体力という意味合いの方が強いですが、『具体化』はこの思考体力を伸長させます(読書とかもいいんですけどね)。なので「適度に『具体化』をしつつ適度に『休憩』する」というのを繰り返すことが、楽しみながら体力をつけるという一石二鳥の行為と言えるのではないでしょうか。
③ー4『具体化』のメリット
『具体化』のいい点は感想を書けるようになることです。特にポジティブな感想を貰えれば作者というのは嬉しくなるものです(あんまり大量かつ頻繁に送り付けられると迷惑に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが)。 私も人狼動画を視聴していただいた数少ない視聴者から、よく『具体化』されたコメントを頂きました。製作者視点では「創作物の中をよく見てくれている」という感覚が嬉しかったりします。
感想を書いたら是非公開してみましょう。初めのうちはTwitterやインスタグラム、BlueskyなどのSNSで短い文章を書くといいかなと。Youtubeやニコニコ動画であれば直接コメントを打ち込めばいいですね。『具体化』に慣れてきたら、このnoteであれば長めの文章を書けますし、或いは「~を読む」みたいな感じで本一冊書いてしまってもいいかもしれません。そして作者は感想から得られた活力を基に次の創作活動に取り組めるようになります。これは好循環的、SDGsチックですね。『具体化』して『感想』を書くことで創作者に一つの嬉しさを与える、という視点を持つとさらに『具体化』がはかどるかもしれませんね。
という事で、ここまでは東方二次創作の創作物を受け取って楽しむ、ということについて話してきましたが、色々な創作物を見る中で自分が「創作する側に回りたい!」と刺激を受ける、即ち『触発』される方も多くいらっしゃると思われます。では最後に『創作』及び『東方二次創作』における制作側の楽しみについて考えてみたいと思います。
【④東方二次創作の楽しみって?-創作を楽しむ-】
④ー1『創作』概要
『東方二次創作』の制作物については前項で示したように色々あります。もう一度列挙すると「同人誌」「ゆっくり実況・解説・茶番劇」「東方MMD」「東方アレンジ楽曲」「生配信」「二次創作ゲーム」「非公式イベント」などなど。それで生計を立てているならともかく、趣味でやっている場合は色々種類がありすぎるので、あれもこれもとやるといくら時間があっても足りません。自分の時間やモチベーションに応じて創作の形式はある程度絞ったほうがよさそうですね。『疲れ』ますので。
しかし、そもそも何故『創作』行為はしばしば「楽しい・面白い」と言われるのでしょうか?言い換えましょう『創作』から私たちが見出す『楽しみ』はどうゆうものなのでしょうか?私も慎ましくゆっくり動画を作っていますが「楽しい」と感じることは多いです。ここでもまずは私自身の話を例にします。私が『創作』を楽しいと感じる場面は色々ありますが、実は「構想を練っている段階」が一番楽しいなぁ、とか思ってます。今現在、秦こころちゃんがメインのゆっくり茶番劇を鋭利制作中なのですが、「こうゆう会話してるのかな」とか「こうゆう考え方もってたらいいなぁ」とか、そうゆうことを考える段階が個人的には楽しいです。私はそもそも考えること自体が割と好きなので、創作をする上でもこの考える時間を楽しんでいます。そして寧ろ製作段階はちょっとキツいです。『手札』が少ない上、『圧縮』も少々不得意というところがありまして…
少し『創作』とその過程について触れておきましょう。「知らぬ間に作品が出来ている」?私の知らない世界ですねぇ…。閑話休題、人や創作の種類によって変わると言うことも出来ますが、基本的には「触発→方針設定(→詳細考察)→手段選択・開拓→圧縮→公開」って感じになるでしょうか。「創作をしたい」とそもそも意識するときは、その前に何か外界から刺激を受けるようなことがなければその意欲は湧きません。即ち『触発』です。そして「創作をしたい」と思ったら、ある程度創作物の完成形をイメージすると思います。「あの人みたいな動画を創りたい!」とか「こんなカワイイ絵を描きたい!」とか「こんなカッコいいアクション作ってみたい!」とか、コレが『方針設定』となります。この時点でより『具体化』されたイメージを持っているのが優秀なクリエイターの一要素なのかな思います。その場合は『詳細考察』を出来ていると言えるでしょうか。そうして方針が決まったら創作し始める訳ですが、動画を制作するにも絵を描くにも小説を書くにも何か物体を象るにも、いずれにせよ適切なツールの確保とその使い方の学習が必要になります。『手段選択・開拓』です。ある程度手段が整ったら手を動かす段階になりますが、『創作』というのは自分の頭の中にフワフワと漂っている諸要素を、一つの形に纏める行為です。即ち『圧縮(抽象化・表現)』です。
④ー2『触発』されて何かをする
一つずつ要素を見ていきましょう。まずは『触発』。外界からの刺激がないと、いきなり「『創作』をしよう」とはなりません。「『東方二次創作』をしよう」という意識が生じる条件は、まず『東方』という世界、そして「『東方』は『二次創作』が盛んにおこなわれている」という事実、これを知っておかなければ「『東方二次創作』をしよう」とはなりません。僕も音楽ゲームで東方アレンジ楽曲をプレイしていなかったり、YouTubeでゆっくり実況を見たりしてなければ、今『東方二次創作』をやってるはずがありません。むしろ『創作』をこれから始めよう、という方は既に誰か・何かによって『触発』された後だと思います。
問題になるのは一度以上創作物を完成した方が、最初の『触発』の効果時間が切れることで『飽き』を体感することでしょうか。『飽き』たうえに『数字』が出なければ『創作』は少々苦しいです。『数字』についてはここでは多くを語りませんが、如何に『創作』そのものの『楽しみ』を見つけられるか・如何に自分の中で一つ一つの高評価の価値を大切に出来るかの2点だと思います。自分の作品に目を向けてくれた方に是非感謝をお伝えください。『飽き』については後述します。
④ー3『方針』を『具体化』する
次は『方針設定』、それにプラスして『詳細考察』について。これは文字通り、考えて方向性を決める段階です。先述しましたが、私はまずこの考える段階が好きですね。自分の新名の中にある何かポワポワした制作物のイメージ、これを紐解いて一旦『具体化』します。『具体化』は創作でも使うんですよね。ゆっくり実況を例えに出すと「ゲームを実況する」「ゲームはマリオカートにする」「オンライン対戦をやるシーンを実況する」「出すキャラは霊夢と魔理沙と鈴仙にする」「2レース実況する」「レースの内容を話しつつ、2ラップ目くらいで雑談を入れる」「やるコースはDLC第5弾の新コースにする」…などなど、色々と盛り込みたい要素を一つ一つ挙げていく感じになります。これは『具体化』という言葉を知っているかの如何に関わらず『創作』してる方なら無意識のうちに考えていると思いますが、『具体化』した内容を文章化してみると頭の中がより整理されて方向性が解りやすくなり、盛り込みたい要素と必要な要素を照合することが出来ます。そしてより優秀なクリエイターはより詳細な『具体化』が出来ており、またよくつかう要素に関しては無意識でも引っぱり出せるようにしているのでしょう。彼らがそれを言葉に変換しているかは不明ですが、より詳細なイメージが頭の中に浮かんでいるのは間違いないと思われます。私も最近ようやく『創作』自体の『楽しみ』が見えてきたのですが、何かを考察して『具体化』するという段階で、外界との相互作用により様々な『気づき』が得られるようになったからかなって思ってます。『気づき』についても後述します。
④ー4『手札を増やす』こと
『手段選択・開拓』とは自分の設定した方向に進むための手段を選択することです。『創作』が初めての方は特にここでその手段を勉強することになります。例えばゆっくり実況・茶番劇であればYMM4というツールを使うことになるし、イラストであれば液タブ、音楽であればDTMなんかが必要になります。また動画でアクションを付けたいならばその技法を調べる必要があります(レーザーの撃ち方とか爆発のさせ方などなどですね)し、漫画ならば漫画用の描画の仕方(純粋なイラストと漫画では絵の描き方のコツが異なるようで)があります。次の『圧縮』の過程の中で「この手段が必要だった」と後戻りしてくるパターンもあるでしょう。
少し脱線を、「手段の勉強」というと敬遠しそうになりそうなものですが、自身の『手札を増やす』ことに楽しさを見出だす、というのは全然楽しめると思いますし、いいことでもありますよね。何より本来勉強、ないしは広く『学び』、即ち新しい視点を得るのは『楽しい』行為のはずなんですが、現代的なメリトクラシーの中での敗北に『楽しみ』を焼かれてしまった方も多いかもしれません。負けちゃうとつまらないですよね、わかりますよ、私も割と負けてきたので。或いは、覚える量が多すぎて『疲れ』てしまった方も多いでしょう。そうゆう方は一つ『忘れる勉強』という視点を持つともっと気楽に勉強、ないしは『学び』を楽しめるのかなと思います。昨今の大AI時代における『学び』では、何かの内容を丸暗記することではなく、ふとした拍子に「なんかそんな話聞いたことあるなぁ…」といえるものを増やしておくことが重要だと思っています。それくらいでふとした拍子に思い出すには十分ですし、いざとなればスマートフォンとで検索したりAIに尋ねることが出来ますからね。
④ー5『圧縮』すること
さて、ここまでで『具体化』によって様々な要素を引っ張り出し、多様な手段を学習してきたわけですが、それらを連結して一つの創作物にまで『圧縮』しなければなりません。私の場合は「他人にも解るように『圧縮』すること」がどうにも苦手なもので、一つ課題になってます。丁度この部分を書いているときにとんでもなく面白い動画に出会ったので軽く紹介しましょう。妖点チャンネル【跡瑞亭咲花】氏「妖点 #1【東方笑点】」になります(※7)。
この動画は【東方笑点】とあるように日本テレビの人気番組"笑点"を東方のキャラで、東方のネタを織り込みつつ仕上げた動画になっていす。笑点といえばあるお題が各回答者に課せられて、回答者は手を挙げて比較的簡素に『笑い』に向かってにまとめ上げる、という形式のお笑いです。ところどころに『教養』が散りばめられているのもまた面白い要素ですね。
さて、笑点はその仕組み上、1回答に30秒も掛けることなく、なにか面白いことを言葉で『圧縮』して『笑い』にします(旧レギュラーの林家木久扇氏などはちょいちょい歌ったりして回答時間が長くなったこともありましたが…)。一つ一つが短いので気軽に聞けるというのがいいですね。そして本動画『妖点』でもより一つ一つの内容が『圧縮』され、その分多種多様な回答を聴くことが出来るという仕組みを踏襲していますが、その内容は『東方』ファン向けとなっており、『東方』を知っていれば知っているほどその楽しさ・面白さを感じやすくなります。また『東方』の知識をそこまで広く持っていない方も、社会共通の内容が多く含まれているので十分に楽しめると思います。簡素化して一個だけ取り出してみますと「お題(アリス):世の中の色々な『陰と陽』を妖点流に考えてください」(43:33~)、「回答(パルスィ):主人公が『陽』 主人公に対して、色でマウントを取り始めるのが『陰』」(座布団2枚没収)(49:05~)。自分は聞いた瞬間に笑ってぶったまげました。簡単に『具体化』すると、東方妖々夢において主人公で紅白の巫女(2色)霊夢(陽)に対して、七色の魔法使い(7色)のアリス(陰)が色の数の割合でマウントをとったセリフ「その力は私の二割八分六厘にも満たない」を揶揄したネタです。本動画はアリスが司会進行なので、あろうことか本人を目の前にしてネタにしたところが面白さに拍車をかけている一要素になっています。このように、様々な面白い要素を僅か10秒程度の発言に『圧縮』して次々と流していくのが本動画、ないしは『笑点』の強みであると言えましょう。(※因みに今回は『圧縮』に焦点を置きましたが、本動画の真髄はその『圧縮』された回答を自分で『解凍』(=『具体化』)しているところにもあります。『圧縮』と『解凍』の両方を楽しめるのが見ごたえある内容になっている一つの要素です。もっと言うとこの動画一本で仰々しい量の感想が出力できそうですが、本文章ではここまでにしておきます。)
④ー6『気づき』こそ本質
『圧縮』を楽しめるかどうかは、本当に広い範囲で見れば『学び』による『知』の総量に懸かってると言えるでしょうか。『知』を多く持つという事は『手札が多い』という状態、即ち様々な言葉を使いこなし(「妖点」は様々な言葉の応酬です)、技法を使いこなし(集中線の書き方、レーザーの出し方、3Dモデルの動かし方)、広範な視座(…の立場で見ると…的な)を持つことです。何故『楽しむ』上で『知』が大切か?それは『飽き』の回避に繋がる為です。『飽き』(派生して『退屈』)は同じ様なことを続けてると訪れる、『楽しみ』ないしは『自発性』そのものを吸い尽くす魔物です。何かに『飽き』たら、その何かをしたくも見たくも無くなりますよね。しかし『知』を備えているとき、視座を多く持つ人間はその何かを少し別の視座から見てみることで、この二つを上手く連結させられるかもしれません。技法を多く持つ人間は同じ何かに向かうとしても別の技法を使う、或いは組み合わせを変えることも出来るでしょう。言葉を多く持っていれば世界の多様な物事を見たときに、それをトリガーとして言葉を思い出して、その言葉で自分の見たことを『圧縮』して残せるでしょう。これらをひっくるめて圧縮すると『気づき』という言葉になります。『気づき』とは「点と点を繋げること」と言われています(※8:因みに先述の『忘れる勉強』という言葉はこの本のタイトルを派生させたものです)。
「これを使えばもっとカワイイ感じになるんじゃないか?」「これとこれって同じことじゃね?」といった偶発的な頭の中での概念の連結、それらの『気づき』を一旦『解凍』して熟考・洗練し、『創作』という一つの形にまで『圧縮』する。個人的にはこれこそが『創作』の真髄であり、その『楽しみ』なのではないかと考えています。『学び』により得られた『知』は、『気づき』の可能性を上げて幅広い『圧縮』を可能にする、これはまさに『飽き』に対する一つの回答となります。広く遍く世界を学習・経験して自らの世界を彩ること、即ち『学び』によって『知』を蓄えること、個人的にはこれこそが『創作』そのものを楽しむ一番のコツだと考えています。
④ー7『東方二次創作』の『楽しみ』
最後に『東方二次創作』(創作行為)と『楽しみ』を連結させて締めることにします。まず『二次創作』というものには『創作(一次創作)』と違い共有された世界(原作)が一つあります。『一次創作』では舞台・世界観・キャラ設定などを0から作ります。一方で『二次創作』特に『東方二次創作』では、例えば幻想郷・地獄・月という舞台、「妖怪・幽霊・神などの超常的存在がたくさんいる」「幻想郷は全てを受け入れる」といった世界観、博麗霊夢・霧雨魔理沙・東風谷早苗というキャラクター、この辺があらかじめ用意されています。製作者はその中からいくつか部分的に要素を切り抜いて、それを『原作』とは異なる方向へ(或いは原作の幕間を埋めるような方向性もありますね)自分なりに『圧縮』することで一つの創作物とします。
私は『二次創作』の楽しさについて一つ、キャラクターとの『同化』があると感じています。推し活も似たようなものですが、別に推しに限る必要もないので単に『同化』と言いました。一次創作でキャラクターを描いて「うちの子が推し!」という事も出来ますが大半の人間にそれは難しいので、一人誰かキャラクターが与えられた状態の方が『同化』しやすいと思われます。私の場合「推しは?」と尋ねられたら今は「水橋パルスィ」と答えます。
これは元々そうだったわけではなく(ヴィジュアルは好み寄りでしたが)、『東方二次創作』を制作するために色々なキャラクターを見る中で、試しに彼女について考え・解釈してみたら「あれ?この子メッチャ良くね?」となった感じです。水橋パルスィの構成要素である「嫉妬」「下から目線」「優しい(古明地さとり談)」「なんだかんだ仲間想い」などなど、この辺をアレコレ考える中で「強者にあしらわれて嫉妬する」部分に『共感』したり、「怨霊カウンセラー」は(半分くらいは自分の為なんだと思いますが)彼女なりに出来る事を考えて地下社会での共生の望んだのかなと解釈するとこれはいい在り方だなぁと感じました。そんなことを考えてたら彼女がメインの一本動画を創ってました。結果8割くらい自分向けの作品になってしまい、また冒頭が長い・ロクな宣伝をしていない等の理由で再生数という意味ではまたしてもカスみたいな数字ですが、彼女について色々考えることが出来ましたし、その過程で多少なりとも『学び』の過程が入りました。そうゆう意味ではこの動画は制作してよかったなあと思いますし、自分の在り方を考える一つの材料になったかなって感じてます。『創作』の中でキャラクターと『同化』する、キャラ設定があらかじめ用意されている分『二次創作』はそれがしやすいと思われます。
『東方二次創作』の場合は『東方』の知名度が比較的高く創作の幅も広いうえ、ZUNさんの寛容により規制も緩めなのでガイドライン(東方Projectの二次創作ガイドライン | 東方Projectよもやまニュース)を正しく守れば色んなことがしやすいです(これは断じて「ルール守り"さえすれば"何をしてもいい」というニュアンスではない)。キャラクターも多いので単一キャラでも出来る事は多いですし、組み合わせの数は無限に存在します。各キャラクターのヴィジュアル、行動特性、性格的内面考察、元ネタと相互作用させた解釈。どこを切り取ってもいいですが、それら色々なことを考えて自分の『知』と混ぜ合わせることでより深い『同化』となるでしょう。ともすれば、それこそが『愛』の一要素…だったりするのかもしれませんね。
【⑤まとめ】
元々は「東方二次創作の楽しみ」と銘打った文章にするつもりでしたが、書いてるうちに「東方二次創作を通じて『楽しむ』ことについて考える」みたいな感じになってしまいました。やはり僕にソフトな文章は無理なのか…。ですます口調にすればソフトってわけじゃないんですけどね。なにはともあれ、簡単に今回の結論を箇条書きで纏めます(順番は入れ替えてます)。
『楽しむ』とはある世界に『自発的』に飛び込み、その世界の中で自分で『楽しみ』を見つけるものである
『具体化』は創作物の中の『リズムの反復とズレ』を言葉にする行為であり、これは『楽しみ』の一つである
『楽しむ』のは『自発的』な行動なので、適度な『休憩』をとり『一時的に方向性を絞る』ことで『疲れ』を和らげる
『体力』が多いほど疲れるまでの間隔が長くなるため、『楽しむ』時間が増える
『創作』とは『学び』によって『知』を広げ、『気づき』の可能性を上げ、それを『解凍(具体化)』し、それを一つの創作物に『圧縮』する行為である
『圧縮』の幅を広げることで『飽き』を回避できるため、『創作』を続けやすくなる
『東方』は『楽しみ』の幅が広いため、自分の『楽しみ』を見つけやすい
各キャラクターについて様々な角度から考察し、キャラクターと自分とを『同化』すること、これが『二次創作』の『楽しみ』の一つである
『東方』はキャラ数や場が多く他にやってる人間も多い上、ZUNさんの寛容により『二次創作』が非常にしやすい
今回は『創作』そのものを個人で楽しむ、という方向に話を伸ばしてみましたが、個人の範囲の外にも「色んな創作物を他人と共有する『楽しみ』・『嬉しみ』」や「高評価・ポジティブ感想を貰う『嬉しみ』」など、他者との交流の中で『創作』を楽しむこともできます。博麗神社例大祭や博麗神社うた祭(Live)などはそのような場の典型例です。『楽しみ』を個人の範疇に収める必要も無い訳です。今いる枠から飛び出して、別の枠の中に飛び込む、『楽しみ』はこの繰り返しの中で自分で見つけるものですが、勿論自分一人で楽しむことは出来ません。『楽しむ』ための土壌には無数の人間の血が浸み込んでいます。また、そのサイクルの中に飛び込ませてくれたのは大抵の場合は他の誰か、或いは何かです。『楽しみ』には他人の援助もまた必要なのです。
私は怠惰な人間なので何をするにも腰が重いのですが、一先ずは出来る事の中で『東方』という土壌を大切にし、『東方二次創作』の適切な発展に貢献できればいいなぁと考えています。この文章はそんな想いから書き始めたのですが、どうにも長くなり過ぎました。今回はこのまま出しますが、いつか上手く『圧縮』しようかなと思います。皆さんももし、これまで『東方』という場で『楽しむ』ことが出来ているのであれば、『楽しむ』場としての『東方』及び『東方二次創作』、この場に血を通わせること。誰かの『楽しみ』を援助すること。この視点を持って『東方』という場を創り、自分自身もその場に『同化』していく。そのような『楽しみ』もまた乙でしょう。是非、読者の皆様も今自分に出来る事から何かを始めてください。