ぼくのメジャースプーン 感想※ネタバレあり
ぼくのメジャースプーン、読み終わりました。
読み終わった直後に書いたメモ。
救えない物語に、微かに救いがあるぼくのメジャースプーン。
ふみちゃんが救われていればいい。
幸せな人生を歩んで欲しい。
※以下、『ぼくのメジャースプーン』、『子どもたちは夜と遊ぶ』のネタバレを含みます。
登場人物
主な登場人物は、4人です。
不思議な『力(条件ゲーム提示能力)』を持っている主人公、ぼく。
幼馴染で主人公の憧れである、ふみちゃん。
同じ力を持つ、秋山先生。
うさぎをバラバラにした、市川雄太。
ずっと『復讐とは何か』を考えさせられる物語でした。
秋山先生は自分とその周りだけ、救えるだけを救い他を容赦なく見捨てる。
そのような個性を持っていることは、『子どもたちは夜と遊ぶ』で知っていました。
だから、提示する『声』の内容も容赦ない。
白根真紀ちゃんに暴力を振るった彼に言った言葉は、ここで明かされました。
なるほど、だから彼は。
秋山先生らしいと思いました。
とてつもなく容赦ない。
『ぼく』はずっと、秋山先生の考えに対して厳しい、怖いという感想を持っていました。
そして市川雄太に使う声の内容は、
そしてこれは、本当の声のカモフラージュ。
見事に騙されてしまいました。
子供を、侮ってはいけない。
小学校4年生。10歳になる年。
20歳の半分、大人のような、子供のような、そんな年齢。
大人から見れば子供に違いなくても、それでも絶対に侮ってはいけないと思いました。
PTSD
11章で『ぼく』は、PTSDになっていたと明かされます。
味が分からない。何を食べても、甘い。
コーヒーの描写、チョコレートの描写、月子が作ったマドレーヌの描写。
所々に、ヒントは隠れていました。
おかしいなぁとは思ったんです。
月子は、料理ができない。それなのに『ぼく』のマドレーヌだけ上手くできていました。
ふぅん。偶然か。そう思っていました。
偶然なわけあるか!!と自分に教えたい。笑
『ぼく』も、うさぎを殺されたこと、それをぼくが熱を出したせいでふみちゃんが見つけたこと。
それによって『PTSD』になっていました。
うさぎの事件そのものより、そっちの方が大きかったのではないかと思うんです。
ふみちゃんの心が帰ってきた時、きっと『ぼく』の味覚も戻るのでしょう。
そして、その日はもう近い。
あの事件から、2年
『子どもたちは夜と遊ぶ』のあの事件から、2年経っているようです。
恭司が月子と会っていたこと。
月子が先生をやっていること。
恭司が仕事を始めていたこと。
確実に時が流れていました。
恭司はどうやったのでしょうか。
月子にとっての石澤恭司は、木村浅葱のはずです。
恭司のことだから、また上手くやったのでしょうか。
秋山先生も含めて、変わらず仲良さそうで良かったです。
出てこなかった登場人物達も、幸せになっていてほしいな。
1章のピアノの発表会で、ふみちゃんの前にピアノを弾いていたのは天才松永郁也です。
『ぼく』が初めて力を使ったとされていたふみちゃんは、自分の意思でピアノを弾きに戻ったことが分かりました。
『ぼく』は『力』を使わず、「ふみちゃんと仲がいいことが自慢」という言葉の力で、ふみちゃんを行動させました。
力を使わなくても。使えなくても。
だからあなたにも、きっとできる。
そう言われているように感じます。
読み始めて、ふみちゃんという名前にうっすら聞き覚えがありました。凍りのくじらでしたね。
高校生の時に読んだのが最後です。
一度読み直してみようと思います。
ぼくのメジャースプーン、とても素敵な物語でした。