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沼田和也「いのり、いのち 東京牧師日記」/沼田 和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』

☆mediopos-2573  2021.12.2

『牧師、閉鎖病棟に入る。』という著書のある
沼田和也という牧師がいる
プロフィールはこうだ(本から抜粋)

「高校を中退、引きこもる。
かろうじて入った大学も中退、再び引きこもるなどの
紆余曲折を経た1998年、関西学院大学神学部に入学。
2004年、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。
そして伝道者の道へ。
しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、
精神科病院の閉鎖病棟に入院する。
現在は東京都の小さな教会で再び牧師をしている」

著書はその閉鎖病棟に入院したときの話
その閉鎖病棟は著者が牧師として
見舞いに行っていた病院でもある

その沼田牧師のWeb連載がある
今回とりあげるのは主にその第4回
「第4回 わたしは償ったのか?」

教会の牧師をしていた沼田牧師は
主に幼稚園の理事長および園長として働いていた
「連日の過酷な職務」とその「重圧」とからあるとき
「副園長に対して怒りを制御できなくなり、瞬間的に激昂」
「副園長を大声で罵ったあと、職員室から飛び出し、
牧師館にひきこも」り「自殺をほのめか」す
そして「閉鎖病棟2か月、開放病棟1か月の入院」

主治医の言葉にも激昂するなか
主治医は静かにこう言ったという

「あなたはそうやって、まわりの人たちに
言うことをきかせてきたんですね。
だだをこねれば要求を聞いてもらえたわけだ。
そういう成功体験を、あなたは積み重ねてきてしまった」

その後「主治医との対話を重ね、
退院後は牧師として復職」している

「赦しとはなんだろうか」と
沼田牧師はいう
「副園長から赦され、妻からも赦されて、
今こうして生きている。」

牧師ゆえにでもあるだろうが
そんなみずからをペテロとパウロに重ね
どんなに悔いても悔い足りないことへの
「赦し」について問いながら
牧師として黙ってひとの話に耳を傾ける

聖書にはこんな一言があるという

 あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ
 渇いているなら水を飲ませよ
 こうしてあなたは彼の頭に炭火を積み
 主はあなたに報いてくださる

魂が激しく灼かれゆさぶられるような言葉だ
炭火を積まれるような「赦し」が
頭の上で燃え続ける…
「赦し」とはそれほどまでに激しいのだ
ペテロもパウロも
そして沼田牧師もまた
そんな「赦し」とそれへの問いとともに生きている

■沼田和也「いのり、いのち 東京牧師日記」
 (Webページ「晶文社 スクラップブック」より)
■沼田 和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』
 (実業之日本社  2021/5)

(沼田和也「いのり、いのち 東京牧師日記」
 第4回 わたしは償ったのか?: 2021-11-30 より)

「わたしは2015年の6月に、精神科病院の閉鎖病棟に入院した。当時わたしは教会の牧師としてよりもむしろ幼稚園の理事長および園長として働くことが日常の大半をしめていた。サービス残業をはじめとした連日の過酷な職務内容と、幼稚園から認定こども園への登録変更の責任を負う重圧とに、わたしは次第に圧し潰されていった。ある日、そのきっかけがなんであったのかもはや思い出せないほどのささいなことで、わたしは副園長に対して怒りを制御できなくなり、瞬間的に激昂した。わたしは副園長を大声で罵ったあと、職員室から飛び出し、牧師館にひきこもった。とっさに自殺をほのめかしたわたしを、妻は泣きながら精神科病院へ入院するよう説得したのである。葛藤ののち、わたしは彼女の言葉を呑んだ。閉鎖病棟2か月、開放病棟1か月の入院。わたしはその教会と幼稚園を辞し、妻と故郷へ帰った。
 それからおよそ2年後、わたしとほぼ同世代の国会議員が、激昂して秘書を怒鳴り散らしている音声がスクープされた。秘書が被害届を警察に出したことで、議員は書類送検されたという。わたしはこの出来事を他人事とは思えず、強い不安や恐怖、それに罪の意識を覚えた。話題の渦中にある議員の映像を見ながら、わたしは自身に問うていた──わたしは償ったのか?
 わたしは子どもの頃から、しばしば癇癪を起した。いちど癇癪を起すと、それは自分でも分かるのだが、癇癪のきっかけとなった出来事それ自体は影をひそめてしまう。もはや怒りの感情それ自体が不愉快になってしまい、ますます癇癪がひどくなるのである。けっきょく疲れ果てるまでわたしは怒鳴り散らしたり、おもちゃを壊したりし続けた。とうぜん親に叱られたりもしたのだとは思うが、それがあまり記憶に残っていないのは、殴られることがなかったからだろう。少なくとも、叱られてすぐにおとなしくなることはなかったと思う。」

「あの議員の場合もおそらくそうだったのだと思うが、激昂して暴言を吐く際には、反射的に相手を選んでいる。わたしは卑劣にも、自分が勝てそうな相手を選んでキレていたわけである。子どもの頃からのことを想いだしても、それは当てはまる。自分が癇癪を起こせば言うことを聞いてくれそうな相手に対して、わたしは癇癪を起してきた。こうしたことの積み重ねのうえに、わたしの閉鎖病棟への入院もあったわけである。そこでの診察においても、主治医の言葉に神経を逆なでされるたび、わたしは激昂して大声を出した。彼はそんなわたしに動揺一つせず、静かにこう言ったのであった。

「あなたはそうやって、まわりの人たちに言うことをきかせてきたんですね。だだをこねれば要求を聞いてもらえたわけだ。そういう成功体験を、あなたは積み重ねてきてしまった」

 わたしは精神科病院での入院生活において主治医との対話を重ね、退院後は牧師として復職し、現在に至っている。そのことは拙著『牧師、閉鎖病棟に入る。』にも書いた。だが、本の感想を受け取るたびに、わたしは読者への感謝の思いとともに、うしろめたさを覚える。成功秘話を誇っているような恥ずかしさを感じるのである。というのも、同じように職場でキレてしまい、そのまま失職した牧師が何人もいることを、わたしは知っているのだ。そう、あの議員のように。わたしだけが、ここにいていいのか? 本を出してもよかったのか?」

「わたしは副園長から赦され、妻からも赦されて、今こうして生きている。また、駅でぶつかった女性からも──彼女にしてみればさぞかし不愉快であったはずだが──駅員を呼ばれたり、訴えられたりしなかったという意味において、わたしは赦されて今を生きている。
 赦しとはなんだろうか。わたしは赦されてラッキーなので、今こうしてこんな文章を書いていられるのか。わたしと、スキャンダルを起こして業界から干されてしまう人々との、その紙一重の違いはなにか。考えれば考えるほど、その紙一重のなにかの重さに、わたしは背中を焼かれる思いがする。聖書にはこんな一言がある。

 あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ
 渇いているなら水を飲ませよ。
 こうしてあなたは彼の頭に炭火を積み
 主はあなたに報いてくださる。(箴言25章21-22節 聖書協会共同訳)

 頭に炭火を積まれるとはどういうことだろう。日本風の言い方をするなら、顔から火が出るほど恥ずかしいということになるだろうか。怒りに駆られたわたしが激昂する。それも一度だけではなく、繰り返し過ちを犯す。そのたびごとに相手の人々は、わたしを赦してきた。わたしにパンを食べさせ、水を飲ませてくれたのである。わたしはパンや水を、すなわちその赦しを、とうぜんのごとく受け取ってよいのか。
 わたしはそれらの赦しを、顔から火が出るような恥ずかしさとともに受け取るのであり、その恥ずかしさの炭火は、じりじりと頭の上で燃え続けているのである。炭火の存在をふだんは忘れていても、記憶の風が吹きこめば熾り、わたしを焼くのである。
 ペトロはイエスが逮捕された土壇場で、他人のフリをして逃げようとした。そのとき彼はイエスの、

「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」

という予言を想いだし、泣き崩れた(マルコ14:72ほか)。彼は十字架に磔となったイエスを、自分だけ助かろうとしたという自責の念とともに想起したかもしれない。復活したイエス・キリストは、その件についてペトロになにも言わなかった。結果的にペトロはイエスから赦されたといえる。だが、黙って受け入れられ、赦されるということ。このことはペトロをしてラッキーと思わしめただろうか。彼はむしろ、イエスから呪われるよりも熱い炭火を、その頭に積まれたのではなかったか。
 赦しの炭火はパウロにおいて、さらに熱かったと思われる。パウロは最初、キリスト教徒を迫害する側であった。彼自身が証言している。

「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて牢に送り、殺すことさえしたのです」(使徒言行録22章4節 同訳)

 パウロはキリスト教徒を殺した。しかし、彼はキリスト教徒になった。ところで、彼を受け入れる側の教会の人々は、そう簡単に彼を赦すことができただろうか。教会のなかには、他ならぬパウロによって家族を殺害された者さえいたかもしれない。殺人の被害者遺族のところに、殺人の容疑者が入ってくる。古代人はそういうことが平気だったとでもいうのだろうか。パウロは教会員たちからの刺すような視線にさらされたはずである。黙って彼を赦す、しかし決して彼のしたことを忘れない人々の、沈黙の眼差しに。」

「パウロは回心体験をした。しかし、それと過去を水に流すことができたかどうかとはまったくの別問題である。パウロは自分が殺した命の重さを、焼けて炎を上げる炭として頭に積まれたのだ。」

「牧師の仕事をしていると、重い話を打ち明けてくださった方ご自身がわたしに気遣いをしてくださることがある。

「こんなしんどい話ばかり聞いておられるのですか。なぜ、そんないやな仕事ができるのですか」

だが、わたしはいやな仕事だとは思っていない。わたしは何人もの人々から赦されて、今ここにいる。ペトロやパウロがもはや直接、赦し主であるキリストや、自分が殺した人に償いをすることができなかったように、わたしも、わたしが激昂して暴言を吐いてしまった、しかもそれを赦し不問に付してくれた人々の多くに対して、いくら謝っても謝り足りない。ならばせめて他の人に、なにか喜びを伝えたい。直接キリスト教の話でなくてもよい。苦しんでいる人、泣いている人の話に、ただ黙って耳を傾けたい。わたしは赦しをとおして自分の頭に置かれた炭火が燃え尽きるまで、目の前の誰かとともに足掻き続けたいと思っている。」

◎沼田和也「いのり、いのち 東京牧師日記」
 第4回 わたしは償ったのか?: 2021-11-30
http://s-scrap.com/7025

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