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ブライアン・バターワース『魚は数をかぞえられるか? /生きものたちが教えてくれる「数学脳」の仕組みと進化』

☆mediopos2919  2022.11.14

数があるということは不思議だ
そして数えることができるというのも不思議

すべての生きものは数を数えている
というのが本書の基本的な観点である

チンパンジーや犬はもちろん
鳥も魚もネズミもライオンもイルカも数をかぞえ
アリもハチも計算し
セミは素数の周期を把握しているのだという

本書ではこんな興味深い例が紹介されている

・ヒヒは脳で計算し足で投票する
・ライオンは敵の数をかぞえて戦略を立てる
・クジラとイルカは高度な数的能力をもっている
・鳥はさえずりで数的能力を鍛えている
・オスガエルは5回鳴いて婚活に勝つ
・クモは獲物の数をかぞえる
・イカの数の感覚は人間の子どもと同程度

生きものたちは
数を数え記録記録する内蔵メカニズムを
祖先から受け継ぎその生存環境のなかで
それぞれに必要な能力を発達させ
人間はその「スターターキット」をベースに
数を数える能力を進化の過程でさらに発達させ
「数学」という抽象度の高い学問を構築してきた

そうして
ピタゴラスは「万物は数でできている」とし
アル=フワーリズミーは
「神は万物を数の中にはめ込んだ」とし
ガリレオは「宇宙は、数学という言語で書かれている」
というように「数」は
「万物」や「神」や「宇宙」にむすびつけて論じれらた

さて本書の論を超えた問題はここからである
なぜ人間をふくむ生きものたちは
数えることができるのだろう

もちろんそれぞれの環境における生存戦略として
脳もしくはそれにかわる神経組織において
数える能力を身につける必要性があるのだが
そもそも「数」「数えること」ということそのものが
どこからやってきたのかという問題である

おそらくだが
数というのは形そのものであり
形を認識することは
それそのものが数えるということでもあるのだろう

そしてそれは同時に幾何学的な認識にもリンクしてくる
自然はさまざまな美しい幾何学的パターンを描くが
それもまた自然そのものが「数」の展開だからだ
その幾何学的認識は空間的な響きにもつながり
時間軸にそって展開させると音楽が奏でられることになる

生きものたちが遺伝的に発達させてきた数える能力は
そんな「数」によって生成されてきた世界のなかで
必要に応じて生まれ育ったきたものなのだろう

人間はそんな数える能力を展開させることで
「万物」や「神」や「宇宙」そのものが
「数」であることを再認識しようとしている・・・・と

■ブライアン・バターワース (長澤あかね訳)
 『魚は数をかぞえられるか?
  生きものたちが教えてくれる「数学脳」の仕組みと進化』
 (講談社 2022/11)

(「第1章 数とは宇宙の言語である」より)

「ガリレオは言った「宇宙は、数学という言語で書かれている。だから、書かれた文字に親しむまで、読むことはできない。その800年前、ペルシアの偉大な数学者。アル=フワーリズミーは書いた。「神は万物を数の中にはめ込んだ」、1960年、ノーベル物理学賞受賞者のユージン・ウィグナーは、「自然科学における数学の不合理な有効性」という有名な記事を書いた。ウィグナーによると、「数学には、物理学の現象を説明したり予測したりする驚異的な能力がある」という。つまり、数学が世界を説明する道具であるだけでなく、世界には大いに数学的な何かがある、という意味だ。この考えは、アル=フワーリズミーよりさらに古いピタゴラスにまでさかのぼる。ピタゴラスは、「万物は数でできている」と語ったとされる。
 ある意味、明らかにナンセンスだが、おそらくここにはさらに深い真実がある。ピタゴラスは音程の数学的構造に気づいた、最初の人物だったのかもしれない。そして私たちは今なお、「調和平均」や「調和数列」といった言葉を使っている。ピタゴラスはまた、数字間の関係を形状で記録したが、私たちは今も2乗を「スクエア(正方形)」と、3乗を「キューブ(立方体)」と呼び、「三角数」「ピラミッド数」といった彼の言葉を使っている。ピタゴラス学派の心の中に入り込めば、世界は原子・分子的な意味で、数的に定義されたものでできている、と考えられるだろう。」

「人間の頭の中に計数機がそのまま入っているわけではないが、私たちの神経にはそれに相当するものが備わっているのではないだろうか? この計数機は、記憶機能付きの「アキュムレーター(蓄積器)」だ。つまり、アキュムレーターの中身は、計測した物の数に正確に比例する。
 人間の脳にはそんなメカニズムが備わっている、という考えは古くからあるが、実は動物の研究に由来している。アキュムレーターのメカニズムはまた、動物が出来事の発生率や発生頻度を計算しなくてはならないときに必要な、持続時間も測定できる。」

「宇宙の数的言語を読む力は、人間以外の動物にとっても欠かせないものだ。生も死も繁殖もすべて、この能力に左右されるからだ。そして、私たちも理解しておくことが大切だ。私たち自身の並外れた数的能力は、ある単純なメカニズムに基づいており、私たちはそのメカニズムをほかの多くの、いやおそらく、すべての生物と共有しているのだ、と。」

(「第2章 人間は数をかぞえられるか?」より)

「宇宙の言語は数学であり、この言語を読む力は、人間にも人間以外の生物にも役立つし、環境への順応を助けてくれる。わたしは先ほど、人間にもほかの生物にも「アキュムレーター」という極めてシンプルなメカニズムが備わっていて、そのメカニズムのおかげで物や出来事の集合を数えられる、と提言した。
 というわけで、この提言を前提とするなら、最初に問うべきは明らかに、「人間は数を数えられるか?」である。」

「第1章で、私は主張した。数を数えることが重要性を持ち、意味を成すのは、数えた結果を算術演算に相当する組み合わせ演算で活用できる場合だけだ、と。確かに私たち人間にとってはその通りだが、このあとお話しするように、それはほかの動物にも当てはまる。そういうわけで、「人間は数を数えられるか?」という問いには、「人間は数えた結果に対して何ができるのか?」という問いも含まれている。つまり、計算ができるか問うているのだ。」

「イタリアのピサで働くオーストラリア人の視覚科学者、デイヴィッド・バーによると、私たちには視覚的な数感覚が備わっている。つまり、色を見るように、世界の「数」を見ているのだ。それは無意識に行われ、自分が注意を払っていないときでさえ、自分の行動に影響を及ぼしている。
(・・・)
 わたしはさらにこうつけ加えたい。ほとんどの人は世界を色で見ているが、一部そうでない人もいる。「数」についても同様で、一部の人は世界を「数」で見ていないかもしれない。これは、数や算術を学ぶのに必要な「スターターキット」について考えるときに、とくに重要になる点だ。」

「人間は本当に数を数えられるし、数えた結果をさまざまに処理できる、という話をしてきた。そう、一部の人間はとてつもないレベルまで。そのレベルに到達するには訓練や努力が必要だが、その能力の基盤は学んで身につけるものではないこともお話しした。その基盤は数を数える慣行や数詞がない文化においても認められるし、乳幼児にさえ認められるからだ。人間の頭頂葉には、計数や計算を支える特殊な脳のネットワークが存在し、どうやらそこには1つ、いや、おそらく多くのアキュムレーターが収納されているようだ。私たちは生まれながらに数を数えられるが、それを受け継いだ遺伝的基盤はまだ明かされていない。色覚異常と同じように、どうやら生まれながらに、簡単な計算問題をこなすのにさえ大変な苦労をしている人たちもいるようなのだ。」

(「第10章 あらゆる生きものは数を数える」より)

「脳は、空白の石板として————白紙状態で————この世に出てくるわけではない。算数を学ぶスターターキットには、遠い祖先かそう遠くない祖先から受け継いだ、何らかの内蔵メカニズムが備わっているに違いないのだ。
 「数」を記録する内蔵メカニズムを動物が祖先から受け継いでいる、という考えは、実は自然界では当たり前のことの1つだ。生物が生まれながらに環境内の物や出来事を数という観点で認識しているということを、私たちは知っている。第2章では、生後間もない赤ん坊が「数」に反応するさまを紹介した。孵ったばかりの鳥のヒナ(第6章)やグッピー(第8章)も、何の訓練も大した経験もなしに、環境内の「数」に反応する。
 また、こうした内臓メカニズムが環境内のあらゆる物や出来事を識別し、認識するのに欠かせないとも、私たちは知っている。2つの物の色が同じなのか違っているのか判断するためには、祖先から受け継いだ内蔵型の色覚システムが稼働していなくてはならない。色覚異常の人は、その判断がつかないだろう。こうした目と脳にあるメカニズムは十分に解明されているし、色覚システムの構築に関わる遺伝子のことでさえ、十分の解明されている。」

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