石川 九楊『石川九楊作品集/俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』/『河東碧梧桐―表現の永続革命』
☆mediopos2821 2022.8.8
河東碧梧桐の存在が忘れられている
近代・現代の俳壇によって
その存在を消し去られているかに見える
近代俳句の道を切り拓いた正岡子規や
高浜虚子の名はそれなりに知られているが
子規亡き後に近代俳壇を引き継ぎ
全国を行脚してそれをひろめていった碧梧桐の知名度は
生誕地である松山でも高いとはいえない
また自由律俳人である放哉と山頭火は知られていても
その祖である河東碧梧桐は
その祖であることさえ知られてはいない
碧梧桐は登山家でもあり書家でもあったが
そのことも知られてはいない
石川九楊の語るごとく
俵万智の歌集『サラダ記念日』(一九八七年)の表現は
すでにその半世紀以上前に
河東碧梧桐の「新傾向句」によって
試みられてもいたといえる
石川九楊は
俳句・書・小説・評論から日記まで多くを残した碧梧桐は
「単なる俳人でなく、近代の大文学者」であるとし
その復権のために
『河東碧梧桐―表現の永続革命』(2019)という評伝で
その俳人の営為を詳細に追っていたが
それにつづき
碧梧桐の一句と短い解説を右に置き
その句を自らの筆で書として左に掲載した「完結編」として
『俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』を刊行している
「作品に仕立てることによって」
「「碧梧桐論」の決着をつけるため」だという
碧梧桐の俳句と石川九楊の書の
一〇九回にわたる真剣そのもののコラボである
この試みが碧梧桐の真の復権のための
契機となることを願うばかりである
ちなみに石川九楊はこの後
「近代では別格」の書を残したにもかかわらず
忘れられた存在となっている副島種臣の復権もめざすというが
どんな試みになるか楽しみである
■石川 九楊
『石川九楊作品集/俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』
(左右社 2022/3)
■石川 九楊『河東碧梧桐―表現の永続革命』
(文藝春秋 2019/9)
(石川 九楊『石川九楊作品集/俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』より)
「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
一九八七年、俵万智の歌集『サラダ記念日』は文芸ファンに衝撃的に受けとめられ、一大ベストセラーとなった。
この歌が話題になったとき、私は即座に、河東碧梧桐の
そのやうなこといふて二日灸せずよ
朝からの酒の炉辺の二人捨てゝ置け
林檎をつまみ云い尽くしてもくりかへさねばならぬ
一杯(ヒトツ)飲んで阿爺サ何さいふの夕日が斑雪(ハダレ)
等の俳句を想起し、現代日本短詩の道は碧梧桐が切り拓いたこと、その掌中にあることを確信した。
赤い椿白い椿と落ちにけり
曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ
など一、二の句と「自由律俳句の祖」という受験生時代の知識はあっても、碧梧桐の全貌を知る人も知ろうとする人も驚くほど少ない。師・碧梧桐の活動を伝えつづけた瀧井孝作すでになく、曲がりなりにも『河東碧梧桐全集』を編んだ短詩人連盟の來空も近頃逝った。今では『碧梧桐全句集』を編んだ研究者・粟田靖を除けば関心を寄せるのは詩人・正津勉くらいしか思い出せない。
近年、ラジオに自由律俳句のコーナーが出来たが、その愛称は「放哉と山頭火と」。二人の師・荻原井泉水も、ましてやその師・碧梧桐の名もすっかり忘れ去られている。
近代俳句の道は正岡子規が切り拓いた。子規の後継者指名を固辞した高浜虚子に代わって、河東碧梧桐は、子規亡き後、近代俳壇を引き継ぎ、その『写生論』を徹底し、近代俳句(新傾向句)を北海道から鹿児島まで全国へ歩き回って布教し、ファンと作家の拡大と組織化に努めた。その旅程実に三千里。優に芭蕉の旅程を凌ぐ。
たとえば、現在、東京上野のどら焼きで有名な「うさぎや」の主人・谷口喜作、九段の筆匠「平安堂」主人・岡田平安堂、三輪の梅林寺住職・喜谷六花、さらには東本願寺第二十三代法主大谷光演(句仏)も碧梧桐のごく身近に結集した俳人であった。
碧梧桐は近代登山家の草分けの一面ももち、多くの紀行文を残している。黒部猫又谷かた白馬岳に初登頂。針ノ木峠から槍ヶ岳縦走は榎谷徹蔵についで二番目。
その革新に革新をとげていく俳句と連動して展開していく書は近代の書として副島種臣に次ぐ。
また、災害の町の風景と人々の人事を活写する「大震災日記」の筆は、記録映像でもあるかのように冴えわたる随一の関東大震災の記録である。
近代の大文豪、大文学者として知られるべき河東碧梧桐が、せいぜい俳人、否、自由律俳人の祖という肩書程度しか知られていないのは、「写生」を徹底し、俳句を近代的表現に引き上げんとつきつめて行った碧梧桐の仕事に目を蔽う定型俳人たちの敬遠と無視、作品はもとより存在すら触れないでおこうとする俳壇の営為にある。碧梧桐は近代・現代の俳壇によって、消しゴムでゴシゴシと消されていったのだ。
だが残された俳句は、現在においてもまだ活き活きとした力を伝えている。碧梧桐が何者であったかは残された俳句が何よりも雄弁に物語る。河東碧梧桐の俳句の中から一〇九句を選び、短い注釈を加え、さらにこれを書に認めてみた。作品に仕立てることによって、『河東碧梧桐―表現の永続革命』これにつづく「碧梧桐一〇九句選」に至った私の「碧梧桐論」の決着をつけるためである。これらの句から碧梧桐の俳句を楽しみ、その実力のほどを感じとってほしいと切に願う。」
《『石川九楊作品集/俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』目次》
はじめに
河東碧梧桐一〇九句選
出発
新傾向
八年間
碧三昧昭和
俳句の臨界
河東碧梧桐・石川九楊略年譜