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金田一 京助『日本の敬語』

☆mediopos2678  2022.3.17

本書『日本の敬語』は
言語学者の金田一京助が
「国語審議会」の敬語部会の会長としてまとめた
建議「これからの敬語」(一九五二年)の経験から
一九五九年(昭和三四年)に刊行されたもの

建議の趣旨はというと
旧来の敬語は「必要以上に煩雑な点があった」から
これからの敬語は「できるだけ平明・簡素」なものでありたい
という大方針のもとに

旧来の敬語は主に上下関係に立って発達してきた」のに対し
新時代の敬語は「各人の基本的人格を尊重する
相互尊敬の上に立」つものであることが説かれる

そしてそのためにはその基本を錯誤して
「不当に高い尊敬語や、不当に低い謙そん語を使う」ことは
排すべきであるとしている

世界のさまざまな言語のなかで
敬語がもっとも「やかましい」ことで有名なのは
社会的階級もまた「やかましい」
ジャヴァ島の「ジャヴァ語」だそうだ

そのことから敬語の起源を階級意識に結びつけて
そこから生まれたとすることが多いが
金田一京助はその起源をもっとも古い原始社会において
「神をたたえるほめ詞」からのものではないかという
その神へのほめ詞が人間関係のなかに反映され
敬語となってきたものだろう

まったく敬語をもたない言語は少ないだろうが
日本語は英語などにくらべてずいぶん敬語にうるさい
その敬語を「日本語の美しさである」ととらえることも
また煩雑で面倒だととらえることもできる

「序説」のはじめのところで
英語に対比して紹介されているように
日本語でのあいさつひとつとっても
「皆さん、今日は!」とか
「お元気ですか?」
「お変わりありませんか?」とかいうように
日本語では自然に
「さん」でよびかけたり
言葉の最初に「お」をつけたりする

過剰なまでに「お」をつけたりするのは
むしろ敬語をはきちがえた使用法だろうが
こうした「さん」や「お」のない
日本語は想像できないように
日本語を使う以上
敬語表現は欠かすことができない

平成二五年の文化庁の調査でも
「今後とも敬語は必要だと思いますか」の問いに
約85%の人が「必要」と答えているという

金田一京助が建議で意図したのも
敬語を現代に適した「平明・簡素」で
「相互尊敬の上に立」つものにということで
建議の70年後の現代的な意識においても
それと大きく隔たってはいないともいえるのだが

解説の滝浦真人が示唆しているように
現代では「他者への表敬より
自己の呈示を指向する傾きが明瞭に見られる」という
それを象徴しているのが
「させていただく」という表現である

「他者主語の「くださる」が忌避され
自己主語の「いただく」が選好され」
それが変化したものである

この「させていただく」という表現は
表向きは丁寧な表現ともされているのだが
どこか自分中心の押しつけがましいイメージが否めない

滝浦真人によれば
現代人の多くが必要としているのは
かつての「固定的な関係性」を外れたところで
じぶんが「判断」しなくてもすむような
いわば短絡的ともいえる「敬語」であり
その典型的なものが「させていただく」なのだろう

それは「平明・簡素」ではあるが
「相互尊敬の上に立」つものだとは言いがたい

昨日とりあげた「悪口」のような
「不平等なランキングを作り出す」ことは
避けられるだろうが
「させていただく」の氾濫する場での言葉は
つまるところ「他者」不在なのだ

■金田一 京助『日本の敬語』
 (講談社学術文庫 講談社 2022/3)
 ※底本:『日本の敬語』角川新書、1959年
  
(「第一章 序説」より)

「ラジオの放送で、聞いていると英会話の先生が、いつでもまず、“Now,boys and girlsmhow do you do?”
と口を切られる。
 日本語でもその様に「やあ、男の子たち、女の子たち、今日は。」と言って言えなくはないけれど、誰ひとりそうは言わない。
 何と言うか?
 「皆さん、今日は!」
と、「さん」を付けたり、
 「皆さん、お元気?」
と、「お」を付けたり、
 「お元気ですか? お変わりありませんか?」など、「です」「ます」を添えたりして、
 「元気かい? 変わりがないかい?」
などは初めての人に対して言わない。これが「日本の敬語」である。B・H・チェインバリンがhonourificと呼んで説いて著名になった日本の敬語である。」

「いわば、「日本の敬語」は、古代の素朴な迷信が、高い美しい面へ順応、深化したものであり、またそれは社交的に向上した日本の民衆が力をあわせ、国語を精練して造り挙げた言語芸術の愛すべき名品なのである。
 名品といっても、特定の人の床の間の飾りにおく名品とはちがい、誰でもいつでも自由に使える実用の名品である。」

(「第四章 現代の敬語」より)

「日本語の会話の美しさが、よく調和した、過不足のない、適正な敬語の運用にきわまる。ただし、技巧だけでも底を突くし、巧みが見えすくと、不快にさえもなる。むずかしいかなだ。」

「ホントウに、人をうやまう心と、謙譲な心から出るまことの言葉−−−−巧まざる最良の敬語はそこに生まれるものである。要はめいめいの心の問題に帰する。むずかしいようで、その実「易い」とも言えよう。
 人間の誠心・誠意。敬語のむずかしさも、そこにあり、敬語の易さもまた、そこにある。」

(滝浦真人「解説 七〇年後の敬語」より)

「旧版『日本の敬語』が刊行されたのは一九五九年で、その前年まで金田一京助は第1期(改組後)「国語審議会」の委員を務めた。そこでの彼の仕事は、敬語部会長としてまとめた建議「これからの敬語」(一九五二年)に代表され、そのことが本書の附録として「これからの敬語」が収録されている所以である。
(・・・)
 この建議の趣旨を確認しておくと、まず「これまでの敬語は、旧時代に発達したままで、必要以上に煩雑な点があった」から、これからの敬語は「できるだけ平明・簡素にありたい」という大方針が宣言される。そしてそれを支える考え方として、「主として上下関係に立って発達してきた」旧来の敬語に対して、「各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立」つのが新時代の敬語であることが説かれ、そのためには、「奉仕の精神を取り違えて、不当に高い尊敬語や、不当に低い謙そん語を使う」商業的な過剰敬語を排すべきことが述べられる。」

「「これからの敬語」が世に出てから七〇年の時が経過しようとしている。日本語の敬語とそれを話す人の心持ちはどうなっているだろうか。筆者の見るところ、注目すべき点が二つある。一つは、人々が規範としての敬語を欲しがっているように見えることである。(・・・)

 もう一つは、敬語の使用における変化として、他者への表敬より自己の呈示を指向する傾きが明瞭に見られることである。象徴的なのは、「させていただく」への停まらないシフトで、背景のは、他者主語の「くださる」が忌避され自己主語の「いただく」が選好される変化に表れるように、丁寧さは保持したいが他者に言及する(触れる)ことには躊躇いがあるとの心持ちが見える。古典的な二分類に名前のある「尊敬語/謙譲語/丁寧語」は他者への表敬を受け持つが、「これからの敬語」から半世紀少しを経て出された文化審議会答申「敬語の指針」(二〇〇七年)で加えられた類型「丁重語/美化語」(それぞれ「謙譲語/丁寧語」からの〝分離独立〟)は、指向する他者が直接的には表されず、へりくだる/上品に言うことのできる自分を見せるという意味において自己呈示的である。その自己呈示も話し手として対面する聞き手に対する意識の反映には違いないので、機能としては(間接的に)丁寧語的であると言える。だとすると、金田一の思い描いた日本語像と大きく隔たってはいないことになる。

 尤も、規範はほしいが他者に触れるのは避けたいという心持ちはなかなかわかりにくい。どこかねじれて見えるこの現象は、金田一が思い寄らなかった何かを示しているように思われる。

 上下の秩序から対等な関係での相互尊重へと金田一は願った。ところが、そこには一つ、皮肉な面があった。身分社会における上下の秩序は、流動性が低く個々人の裁量範囲も小さい反面、固定的な関係性を導きやすい点で、話し手にとってはそのつど考えなくて済む面がある。他方、対等な関係(少なくとも上下よりも親疎の関係が顕著になりつつある社会)では、誰をどう待遇するかを各自が自分で決めなければならない度合いが増すことになる。現在に至る上述のような変化を見ていると、このことが人々の重荷になっているという要因があるのではないかと思えてくる。

 「規範」は、確固としたものがあるかぎり、各自が判断しなければならない部分は少なくて済む。そうした意味では、85%もの人が「必要」と思っている「敬語」とは、考えなくて済むためのガイドラインなのかもしれない。これが、身分社会でなくなって七五年が経過した日本社会の現実だとすれば、金田一は少々がっかりするだろうか。」

【目次】

第一章 序説
一 英語と日本語
二 日本の敬語は文法的
三 日本の敬語は相対性敬語
四 敬語の起原と階級
五 敬語の起原とタブー
六 アイヌの妻女
七 アイヌの婦人語と敬語
八 アイヌ代名詞の構造
九 日本代名詞の構造
一〇 名詞の敬称
一一 結 論

第二章 起原:どうして日本の敬語が起ったか
一 原日本語と敬語法
二 上代日本語の敬語法1 「ます」考
三 上代日本語の敬語法2 「せす・けす・めす・をす・なす・こやす」考
四 上代日本語の敬語法3 「たまふ」考
五 上代日本語の謙称動詞1 「たぶ・たばる・まつる」考
六 上代日本語の謙称動詞2 「まをす(申)」考

第三章 変遷:奈良から平安への敬語のずれ
一 上代敬語と古代敬語の対比
二 平安時代の敬語助動詞の起原
三 奈良・平安の相違
四 万葉語における「頂戴す」について
五 「見(め)す」の忘却
六 「せす」のまちがい
七 御立為之の誤訓
八 物語文学と敬語
九 後代の敬語

第四章 現代の敬語:どうあり、どうなるべきものか
一 序 論
二 名詞・代名詞
三 動詞
四 地方別
五 現代敬語の無軌道さについて

第五章 結論
一 敬語のとどかない名歌
二 歌から見た敬語の本質
三 結びの言葉

付録 これからの敬語

解説 滝浦真人

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