☆ボブ・ディラン『ソングの哲学』シリーズ 41 キー・トゥ・ザ・ハイウェイ──リトル・ウォルタール

☆ボブ・ディラン『ソングの哲学』シリーズ 41 キー・トゥ・ザ・ハイウェイ──リトル・ウォルタール

◎キー・トゥ・ザ・ハイウェイ──リトル・ウォルタール
Key to the Highway
Little Walter

https://www.youtube.com/watch?v=Xc-wdIdg5BA

●佐藤良明 Webサイトでの補注/より

「デレク&ザ・ドミノスのバージョンでロックファンにも知られるが、曲自体はビッグ・ビル・ブルーンジーの作とも言われ、それ以前にチャールズ・シーガー(ピアノ弾きのブルースマン)が歌っていた、とも言われる。いずれにせよ、ブルースの元型マテリアルのひとつだったのだろう。
 「ハイウェイへの関門」という邦題からはイメージが摑みにくかったが、「ハイウェイへの鍵」を持つ者は、好きなだけ放浪の権利を有するという意味だろう。テーマは束縛からの自由。都市の暮らしからの自由。ママ(恋人)を捨てて、大陸を疾走する自由。
 ディランの文章に依れば、このフレーズは“key to the city”をもじったものとなる。こちらの表現は、中世の城壁都市の時代に由来し、それを持つ者は、その扉を自由に開け閉めできる権力を有した。(現代に翻訳すれば、シティへのカギを持つ市民は、有力者らの密室市政を監視できるという話になるのかもしれない。)
 その都市とは、このうたに関してはシカゴである。ブルーンジーが深南部の農園からシカゴに流れ着いたのは1920年。シカゴでプレイし、やがて録音してシカゴ・ブルースの礎を築いた。だが彼も結局、シカゴを離れる。
 ルイジアナ出身のリトル・ウォルターがシカゴに来たのは1946年。チェス・レコード(「チェッカー」のレーベルを含む)に属し、マディ・ウォーターズのレコードにハーモニカを添えることもした。〈キー・トゥ・ザ・ハイウェイ〉の録音は1958年で、これは同年亡くなったビル・ブルーンジーの追悼の意味があったと言われる。
 1958年のシカゴにシアーズタワーはなかったが、ディランが語っているシカゴは神話の世界だから、あってよいのである。
 リトル・ウォーターは1968年、37年の短い生涯を閉じた。
 シカゴのブルースメンは、チェス・レコードを主な発信源に、60年代イギリスのブルース・リバイバルに決定的な影響を与え、ローリング・ストーンズやヤードバーズやクリームやレッド・ツェッペリンを生み出す母体となったことは誰でも知っている。その数多くのアーティストの中で、〈裏口の男 / Back Door Man〉におけるハウリン・ウルフのように劇画的演出をする者を退け、リトル・ウォルター(と、後に出てくるジミー・リード)にスポットを当てた本書の演出は、いかがだったろう。この本にはロバート・ジョンソンもマディー・ウォーターズも出てこない。」

〈Key to the Highway〉

I've got the key to the highway
Billed out and bound to go
I'm gonna leave here running because
Walkin' is 'most too slow

I'm goin' back to the border
Where I'm better known
Because, you haven't done nothin'
But, drove a good man away from home

Give me one more kiss, mama
Just before I move
I'm gonna leave this town
Girl, I won't be back no more

When the moon peep over the mountain
Honey, I'll be on my way
I'm gonna roam this highway
Until the break of day

Well, it's so long, so long babe
I'm gonna say goodbye
I'm gonna roam this highway
Until the day I die

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