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田中史生『渡来人と帰化人』

☆mediopos3211  2023.9.2

かつて歴史の教科書では
「帰化人」と表現されていたものが
いつのまにか「渡来人」と
言い換えられるようになっている

それは一九七〇年代のことで
主に文献学における議論からだというが
著者はその二つの用語は
「それぞれ異なる意味を持つ歴史用語として、
使い分けるべきだ」という

「帰化人」という用語は
その背景に中華思想があり
古代における政治的価値・思想を帯びた漢字語であり
古代の日本もこの思想を取り入れたもの

それに対して「渡来人」という用語は
古代「日本」への移住者・定住者
として説明されているが

「古代の移住者について考えたいのに、
「帰化人」にも「渡来人」にも
用語上の問題があるというのならば、
いっそのこと「移住民」としてはどうか」といい

そうすることで国際社会と密接に結びついて動く
古代の「倭」「日本」の姿を浮き彫りにしようとする

さて私たちの喫緊の問題は
古代がどうだったかということよりも
古代の「帰化」「渡来」をどうとらえるかということが
近代以降の「日本」「日本人」を考えるうえで
重要な示唆を伴っているということである

つまり「日本」「日本人」の
〈内〉と〈外〉の関係をどうとらえるか

本書での示唆は大きく逸脱するだろうが
まさに現代日本において
「日本」「日本人」の〈内〉と〈外〉は
主に政治的な主導で大きく変化しようとしている

現政権は「日本人」を減らし
海外からの「渡来」を
強力に推進しようとしている
そして日本人には多大な課税を行い負荷を高め
海外への援助や「渡来人」を優遇しているのである

その背景にあるのは
現在の自民党政権の主要な政治家の多く
いうまでもなく数人を除く戦後の総理大臣が
(その本来の出自は公にはされていないようだが)
もともと朝鮮半島からの「渡来人」である
ということも大きく働いているのかもしれない
統一教会との癒着問題が解決されない理由でもある

日本を〈外〉へむけて
大きく開いていくということは
決してネガティブなことだけではないのだが

古代において「帰化人」「渡来人」が
「倭」「日本」を変えていったようなエポックが
これから訪れようとしているのかもしれない
そんなことをここ数年考えるようになった

「日本」「日本人」とはなにかという問いには
さまざまな視点を取り得るだろうが
たとえば五〇年・一〇〇年後といった
比較的近い未来において
現在「日本」「日本人」とされている存在が
そして「日本」という「国土」が
どのような姿となっているのか
現在日本人として生きている者として楽観はできない

■田中史生『渡来人と帰化人』
 (角川選書 KADOKAWA 2019/2)

(「プロローグ————渡来人・帰化人・日本人」より)

「渡来人はかつて帰化人と呼ばれていた。(・・・)帰化人をやめて渡来人の語を用いるべきだという見解は、一九七〇年代に急速に広まった。」

「戦後、帰化人と渡来人のどちらを用いるべきかを盛んに議論したのは、主に文献学の方であった。(・・・)私自身、帰化人をただ渡来人の語に置き換えるだけでは、古代社会の実相がかえって見えなくなってしまうと思っている。だからといって渡来人よりもむしろ帰化人を使うべきだとも考えていない。両者はそれぞれ異なる意味を持つ歴史用語として、使い分けるべきだと考えている。」

「ふりかえるにこの論争は、その背後に日本とは何か、日本人とな何かという問いが絶えず意識された論争であった。」

「現代の日本では、外国人が国籍を取得し国民となることを「帰化」という。(・・・)
 つまり現代の「帰化」は、国民があって初めて成り立つ概念である。けれども古代には、(・・・)近代的な意味の国民が存在しない。古代に生み出された漢字語の「帰化」は、もともと今とは異なる政治的意味を持っていた。国民ではなく、王を中心とした中華思想、王化思想と密接な関係があったのである。
 中国において春秋戦国時代頃から形成される中華思想は、自国の王・民族・文化に優越性を見いだし、これらを中心に世界が成り立っているとする思想である。一方、周辺の民族は文化レベルの低い夷狄と蔑んだことから、これを華夷思想ともいう。ここでは、中華の王の支配・教化が直接及ぶ文明世界を「化内」、その外側の未開世界を「化外」と呼んで国の内と外を分けた。(・・・)化外人が中華の王の民となることを自ら望むと、これを「帰化」と呼んだ。(・・・)
 このように古代において「帰化」は、明確な政治的価値・思想を帯びた漢字語としてある。そして古代の日本も、この中国の思想、考え方を取り入れた。」

「一方、一般に「渡来」というと、「南蛮渡来」のように、海外からの移動を指すイメージが強い。(・・・)
「渡来」は、人やモノが外から渡って来たことを示す一般的な語で、それ自体は「帰化」のような政治的価値・思想を含まない。どこを〈内〉とするかによって様々な意味を持ちうる語でもある。
(・・・)
 古代には、「倭」「日本」にとっての〈外来者〉を「帰化」人とか、「渡来」人とする考え方が確かにあった。だから、古代の帰化人や渡来人について考えることは、その背後にある〈内〉なる「倭」「日本」について考えること、つまりは古代の「倭」「日本」の枠組みについて考えることにもつながる。」

「古代の移住者について考えたいのに、「帰化人」にも「渡来人」にも用語上の問題があるというのならば、いっそのこと「移住民」としてはどうかと思う。実際、そうすべきだという意見もある。「渡来系移住民」とすれば、その意図はよりはっきりとするだろう。あるいは、翻訳語でよく使われる「移民」を用いる方法もあると思う。」

(「エピローグ————「渡来」と「帰化」と「日本人」」より)

「本書では、渡来人を古代の「倭」「日本」への移動者と定義し、古代の渡来人や帰化人の実態や変遷を追った。またここでは、従来混同して論じられがちであった渡来人、帰化人、渡来文化、渡来系氏族を、それぞれ区別して捉えた。こうすることで、私たちが辞書や教科書などでなじんできた帰化人像、渡来人像の課題や問題点が、よりはっきり見えてきたと思う。
 まず、明確に言えることは、渡来人にしても帰化人にしても、これを辞書や教科書の説明のように、中国大陸や朝鮮半島から「日本」への移住・定住した人と限定的に捉えると、古代の実態と大きくかけ離れたものとなるということである。」

「日本の古代王権を渡来人・帰化人の問題からざっくり捉えると、大きな転換は七世紀後半と九世紀に起こっている。
 七世紀前半までは、多様な渡来人のあった倭国の時代である。この時代の渡来人への主な関心は、政治的な交渉を主とする外交使節を除けば、渡来の技能や文物にあった。」

「百済・高句麗が消滅した八世紀以降、「帰化」といえばそのほとんどが新羅人であったから、新羅からの「帰化」の停止は、七世紀後半に導入した、化外から集う「帰化」を化内に編入する膨脹型の中華モデルを放棄したに等しい。」

「グローバリズムの波に飲まれ、国民の存在を必須とした近代「日本」にとって、古代の帰化人をどう捉えるかは「日本」と「日本人」を考える重要なテーマとなった。これを渡来人に書き換えた戦後の動きも、近代「日本」と古代史の関係性を問題とし、「日本」と「日本人」をどう捉えるべきかという議論とともに起こった、それぞれの国境で切り取った「歴史」を総動員し、ナショナリズムとナショナリズムが互いにぶつかり合う今のアジアでは、この問いもますます重たいものとなる気配である。「日本」の〈内〉と〈外〉との関係を、「国」ではなく「人」のレベルで歴史的に捉える帰化人・渡来人研究が、この問題と無関係でいられることはないだろう。現在の歴史研究には、一国史の文脈を超えて歴史を読み込む視点が求められている。本書が〈移動〉をキーワードに「渡来」を捉え直し、その終点だけでなく始点にも目配りをしたのは、こうした問題意識による。渡来人・帰化人研究は、古代史で終わらないし、終わらせるべきではない。歴史との対話から現代的課題をもう一度見つめ直しつつ、その研究を再構築しなければならないと考えるのである。」

○田中 史生
1967年福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了、博士(歴史学)。島根県教育庁文化財課(埋蔵文化財調査センター)主事、関東学院大学経済学部教授を経て早稲田大学文学学術院教授。著書に『日本古代国家の民族支配と渡来人』(校倉書房)、『倭国と渡来人』(歴史文化ライブラリー)、『国際交易と古代日本』(吉川弘文館)、『国際交易の古代列島』(角川選書・第4回古代歴史文化賞大賞)、『越境の古代史』(角川ソフィア文庫)など。

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