見出し画像

末永蒼生・江崎泰子『色から読みとく絵画──画家たちのアートセラピー』

☆mediopos3204  2023.8.26

もう三十年ほど経つだろうか
記憶が間違っていなければ
「色彩学校」で知られている
末永蒼生の主催するワークショップに
イルカ学で知られるジョン・C・リリー博士の
お話を聞きにでかけたことがある

その頃から
「色彩学校」に関する末永蒼生の著書を
読むようになったが
久々その著書を見つけたので読んでみた

本書は江崎泰子との共著によるもので
それぞれがとりあげた画家たちの
絵画との深い対話がなされている

本書は興味深い構成となっていて
「桃山時代の絵師・長谷川等伯と
二〇世紀パリの芸術家ユトリロに共通点を見出し、
現代美術家のニキ・ド・サンファルと
日本画家・上村松園、
それぞれに色違いの相違」について述べるなど

全九章にわたり各章ごとに
「一見対極にあるような表現者どうしを
並べてみることによって、
初めて浮かび上がってくる〝何か〟」から
「画家の人生であり、心の深層」を
浮かびあがらせてゆく

ここでとりあげたのは最終章で
末永蒼生がとりあげた
イブ・クラインと仙厓という意外な組み合わせである

イブ・クラインは「青のアーティスト」であり
「精神的、物質的な重力からの解放を目指し」
禅僧の仙厓は「禅の教えを超え」て
「洒脱かつユーモラス」な禅画を描いた

両者に共通すると思われるのは
「自由への希求と囚われからの解放」である

イブ・クラインは初期の個展に
「青の時代」というタイトルをつけているが
「青の時代」といえばピカソを思い出す

しかし同じ「青」でも
ピカソは「眼に見える〝存在〟」を
イブ・クラインは〝非・存在〟を表した

その後のイブ・クラインは短い生涯のなかに
それをさらに展開させ
〝非・存在〟である
「空虚の中、つまり何もないことこそ
豊かなリアリティ」をもつことを表現し

さまざまなものに刷り込まれてしまい
「情動的な死の方へと」追いやられる自己に
〝純粋な生〟をとりもどそうとする

あの〝非・存在の「青」に
深い安らぎを感じるのも
その「虚」ゆえなのだろう

その意味では
禅の世界の「無」もそれに通じている

仙厓は幼い頃極貧のため親に間引きされ
捨てられそうになったところを助けられ
寺で禅の修行をはじめ頭角を現すようになるが
みずからの煩悩の強さを思い詰め行脚の旅に出る
そしてやがて絶望の果てに自死を選ぶが
奇跡的に助かり「新しい世界」に目覚める・・・

夥しい書画を残しているが
それらは「子どもの落書きのような筆遣いで
「戯れ絵」とも称されている

そんな仙厓に「円相図」ならぬ
「○△□」だけが描かれた禅画がある
その意味は不明だが
それは「宇宙や悟りは円だけは表せないぞ」と
「円相図」の世界からさえ
自由になろうとした表現なのかもしれない

仙厓には
「来る時来る処を知り、去る時去る処を知る
 懸崖に手を徹せず、雪深くして処を知らず」
という遺偈があるそうだが

「生」は○なのか△なのか□なのか
「わからない」とばかりに
その「わからなさ」こそを生きることに
徹したということなのかもしれない

おそらく「自由」というのは
「これが自由だ」といえるようなものではなく
その「わからなさ」を生きることでしか
得られないのではないか・・・

■末永蒼生・江崎泰子
 『色から読みとく絵画──画家たちのアートセラピー』
 (亜紀書房 2023/8)

(末永蒼生「9.囚われを超えて、空を描く[イブ・クラインと仙厓]」より)

「精神的、物質的な重力からの解放を目指したイブ・クラインは、絵画、彫刻、即興パフォーマンスなど多彩な表現で知られる。中でももっともスピリチュアルな色だとしたブルーの作品を通して、物質世界を超えた精神性を追求した。
 その精神にどこか通じるのは、江戸時代の禅僧、仙厓。四〇歳を過ぎて描き始めた彼の禅画は、禅の教えを超えて洒脱かつユーモラス。
 そんな二人の作品からは、自由への希求と囚われからの解放が伝わってくる。」

(末永蒼生「9.囚われを超えて、空を描く[イブ・クラインと仙厓]」〜
 「自我の枠を超え、 無限の精神空間を生きた〝青のアーティスト〟──イブ・クライン」より)

「イブ・クラインは、一九五〇年代後半、フランスの現代アーティストとして活躍した画家だ。その作品はパリのポンピドゥー・センターを始め、世界各地の美術館で展示されている。しかし活動した期間は短く一九六二年に三四歳で夭折している。
 イブ・クラインがどんな画家かと問われれば、単色だけを使う〝モノクロームの画家〟、さらには〝青のアーティストということになるだろう〟。

「イブは短い画家人生の中でひたすら青の世界に自らを捧げている。実際、フランスで注目されることになった初期の個展では「青の時代」というタイトルを掲げている。
 ちなみに「青の時代」といえば、二〇世紀の美術においてピカソの「青の時代」シリーズが思い出される。ピカソは親友の自殺にショックを受け、それからの約五年にわたり青を基調にしたさまざまな人物がを描いた。そこに人生の悲劇や鎮魂のイメージを託し、孤独に耐えて生きる人びとの存在を青で語らせたと言われている。
 一方、イブの青はなんだったのだろうか。同じ青であってもピカソとはまったく対極の世界のように思える。つまり画家としての個性や感情などが何も読み取れない、そもそもモチーフらしいものが何も描かれていない。イブの青は何も語っていないのだ。私が思うにピカソが眼に見える〝存在〟を青で表したのだとしたら、イブが表現したのは、〝非・存在〟だったように感じる。」

「青という色を通して響いてくるイブの声が私たちの今に静かな内省を促してくる気がする。
 イブが「空虚の部屋」に象徴させた引き算のアートは、単に表現上の比喩に留まらず、私の暮らし、人生のあり方に問いかけてくる。想像してみよう。美術館の作品が次々に取り外された後の何もない空間に立ってみたらどんな気分になるだろうか。たとえば引っ越しですべてを撤去した空っぽの空間に立ったときの、一抹の寂しさと共に訪れる、日常から抜け出した安らかな解放感に近いのではないだろうか。
 どうだろう、私たちは自らもモノの一部と化してしまったような日常にあって、そこから脱出したいという密かな欲求を抱え常に揺れ動いているのではないだろうか。
 イブ自身もその心理的な葛藤について述べれている。

   私の根本をなす自分自身は、私の多様な心理学的個性と闘っている。私は自分の中にあって自分に属していないもののすべて、つまり私の生が好きだ。そして私は自分に属するものはすべて嫌いだ。それは私の教育、心理学的遺伝、しつけられた伝統的な見方、私の悪癖、欠点、偏執、ひとことでいえば、毎日毎日、物理的、心情的、情動的な死の方へとどうしようもなく私を導いていくもののすべてだ。(ピエール・レスタニー「モダンとポスト=モダンの間のイブ・クライン」『イブ・クライン展図録』

 そう、私たちは子ども時代から家庭で、学校で、社会でさまざまな刷り込みを受けながら「自己形成」されていく。そしてどこまでが外部から形成された自分なのか、もともと生きたかった純粋な自分なのかの区別もつかなくなってしまう。そうやって、〝純粋な生〟は受けのいい見せかけの役割や能力を持てと強迫され〝加工された自己〟になってしまう。しかし知らず知らず紛いものの生活に埋もれているうちに、人は鬱々とし自己肯定感が薄れていく。イブが言うところの「情動的な死の方へと」追いやられる。
 私がイブの青に清廉な安らぎを感じるのも、その青に込められた「私の生が好きだ」という彼の魂を感じるからだ。
 イブは空虚の中、つまり何もないことこそ豊かなリアリティだと感じていた。」



(末永蒼生「9.囚われを超えて、空を描く[イブ・クラインと仙厓]」〜
 「放浪と禅修行から生まれた 洒脱でユーモラスな画はまるで現代アート?──禅僧・仙厓」より)

「禅の世界では師弟の間で言葉による丁々発止の謎かけのような問答。「公案」が交わされる。全問だ追うという言葉があるが。禅の指導者は言葉だけでなく、時には禅画でもさまざまな問いかけをしてくる。
 有名な一服の禅画がある。それは一筆書きでただ「○△□」が横に右から左へと並んでいるだけの絵。
 何の言葉もなく円と三角と四角が描かれている。まるで子どもの落書きか抽象画と言っていいような墨絵で、初めて見た人は一瞬ぽかんとしてしまいそうだ。ほとんどの禅画には「画賛」といって絵の余白に詩歌が書かれ、いわば絵の意味や禅の教えが一筆添えられていたりする。ところがこの絵には「画賛」がない。それだけに、後世さまざまな解釈がなされている曰く付きの一作だ。実はこの絵を描いたのが禅僧の仙厓だ。」

「伝記小説『死にとうない————仙厓和尚伝』(堀和久著)によれば。その一生は苛烈にして波瀾万丈である。仏門に入ったのは宝暦一〇(一七六〇(年、一一歳の頃に美濃国(岐阜県)の禅寺清泰寺で得度し僧名を仙厓義梵と名付けられる。しかしそれ以前、生まれそものもが悲惨だったようだ。貧農の三男として出生したが極貧ゆえに山に捨てられる。当時は珍しくない間引きだ。偶然、木こりに助けられ親元に引き戻され命をつないだという。
 親からも捨てられて拠り所をなくしていた少年を助けたのが清泰寺の空印和尚だった。そこで仙厓義梵という僧名を受け、生涯かけての禅修行が始まった。
 仙厓の修行遍歴を見ると、どこまでも激しく厳しい修行をとことん求めていく姿がある。」

「先述の『死にとうない』の中で著者堀和久は苦悩する仙厓の心情を次のように描き出している。

   義梵は、自分の世俗欲のあまりの強さ、妄執の醜さに気が狂いそうであった。〔・・・・・・〕おれの正体はこうなのだ。煩悩のかたまりだ。偽善の衣を着た似非坊主だ。何という醜さだ。

 自虐的ともいえるほどの思い詰め方は、それまでの年月において蓄積した仏教の経本や帳面すべてを自ら焼いてしまうという奇行に走らせ周囲を驚愕させる。自分の存在が受け容れられない以上、すべてぶん投げてしまえ! そんな投げやりな気分だったのか。

 しかし、むしろここから人間仙厓の泥まみれの苦悩との闘いが始まることになる。やがて逃げるようにして東輝庵を去り行脚の度に出ていく。」

「時は天明の大飢饉。飢えに苦しむ人びとが餓死したばかりの遺体を奪い合うようにして貪り喰うという生き地獄。仙厓は空腹のあまりその浅ましさが自らの中にも潜んでいることに怯えながら逃げるように旅を続ける。
 絶望に次ぐ絶望の旅の果て、仙厓はついに川に身を投げ自死を選ぶ。しかし奇跡的に命拾いをする。失神がら目覚めたとき、仙厓の目に映ったのは新しい世界だった。

   目を上げた。太陽は山脈を赭(しゃ)に染めて昇っており、あざやかな青色の大空に、一片の雲が輝いていた。
   〔・・・・・・〕
   「ああ、きれいだなァ」
   〔・・・・・・〕
   「美しいなァ・・・・・・美しいなァ・・・・・・」
    (『死にとうない』)

 一度死の闇にジャンプして甦った眼に、あたかも生まれたばかりの赤子が眺めるような世界が映し出されたのだろうか。」

「死の淵から甦った直後の仙厓は雲水といってもボロボロの乞食坊主の姿のまま先輩和尚たちを尋ねた。そんな邂逅を果たした後、やがて福岡の禅寺、聖福寺の住職に推挙されることになる。」

「やがて年老いてからの仙厓はあるがままに心を遊ばせたような夥しい書画を遺している。六〇代になってからは本堂の裏手の庵、虚白院に隠居し、求められれば誰にでも気軽に墨画の筆をとったという。それがまた人々と分け隔てなく心通わせる遊びだったのかもしれない。
 その絵はあたかも子どもの落書きのような筆遣いで「戯れ絵」とも称され、「僧衣をまとった否か絵師」や「博多の一休さん」などと親しみを込めて呼ばれていた。
 そこにはよく知られた、たとえば「指月布袋」シリーズなどがある。飄々とした筆遣いで描かれた布袋さん。傍らの幼い童子が空の月を指さす布袋さんの指先の方に目を向けている。画賛には「を月様幾ツ、十三七ツ」という言葉がある。」

「仙厓の一筆書き、「○△□」に戻ってみよう。禅画でよく見かけるのは墨の一筆書きで一気に円を描いた「円相図」だ。宇宙が円のように繋がっているという意味合いもありそうだし、般若心経にあるようにすべては「空」だということの象徴的な表現だとしたら、なるほどと頷ける。
 しかし、仙厓の絵は「円」だけでは終わっていない。三角や四角が加わっている。「宇宙や悟りは円だけは表せないぞ」と謎かけをされたような気分にもなる。
 言葉による説明が一切ないだけに、どこまでも観る者の想像を喚起せずにはおかない。安易な解釈すた追いつけないような限りなさがある。「答え」など分からない。

 『死にとうない』の終盤、仙厓が遺偈を遺す場面がある。遺偈とは禅僧が死に臨んで、弟子や後世に残す辞世の言葉のこと。

   来る時来る処を知り、去る時去る処を知る
   懸崖に手を徹せず、雪深くして処を知らず

 う〜んと唸ってしまうが、人の生もこの世界も生きてみなければ何も分かたない。いや生きてみても死んでみても何一つ分からない。まさに雪深くして自分が何処にいるのかさえ分からないということなのか・・・・・・。」

「禅の修行にかぎらず言葉を超えた解放感といったものは、人が稀に体験することがあるのではないかと感じることがある。
 それは私がアートセラピーを実施する場で実感してきたことでもある。ひたすら絵を描くという心理療法を続けている中で、参加者の中からそれまでの自分では思いもしなかたt色や形が思わず溢れてくることがある。自分であって自分ではないといったらいいか、日常の自我が崩れ去るといったらいいか。この瞬間に解放感が訪れ、それまで抱えていた悩みが霧が晴れるように消えていくことがあるのだ。」


【目次】

 ■はじめに

1.色彩に見る心の変遷[ニキ・ド・サンファルと上村松園]
 ■怒りから生きる喜びへ、色が物語る心の救済──ニキ・ド・サンファル
 ■母から娘へと受け継がれてきた色──上村松園

2.色が消えるとき[長谷川等伯とモーリス・ユトリロ]
 ■『松林図屛風』は、なぜモノトーンで描かれたのか──長谷川等伯
 ■画家がこだわり続けたタッチの謎──ユトリロ

3.水彩で心安らいだ文豪たち[夏目漱石とヘルマン・ヘッセ]
 ■「私は不愉快だから絵をかく」 ──夏目漱石
 ■「筆や刷毛を使っての創造は私にとってワインなのです」──ヘルマン・ヘッセ

4.陰影表現に見る、人生の光と影[葛飾応為とエドヴァルド・ムンク]
 ■偉大な父をもった幸と不幸が生んだ、美しき陰影──葛飾応為
 ■ユング心理学と『ゲド戦記』から探るムンクの〝影〟──エドヴァルト ・ムンク

5.自画像ー画家の深層を映す鏡ー[フリーダ・カーロと石田徹也]
 ■自画像に映し出された身体の痛みと生きる情熱──フリーダ・カーロ
 ■私であり、あなたでもある自画像──石田徹也

6.怖いけど見たい、ダークサイドの美[月岡芳年とフランシス・ベイコン]
 ■闇に生きた、最後の浮世絵師──月岡芳年
 ■身体感覚に溢れた叫び、死、セクシュアリティ──フランシス・ベイコン

7.病から生まれた新たな手法[高村智恵子とアンリ・マティス]
 ■精神病院の一室で密かに作られた美しき切り紙絵──高村智恵子
 ■老いと病がもたらした〝色と形のダンス〟──アンリ・マティス

8.孤独に支えられた独創性[田中一村とジョージア・オキーフ]
 ■最果ての島で孤高の人生を送った画家の、 究極の幸せとは──田中一村
 ■ニューヨークから砂漠の荒野へ。 自立の精神を生きた九八年の人生──ジョージア・オキーフ

9.囚われを超えて、空を描く[イブ・クラインと仙厓]
 ■自我の枠を超え、 無限の精神空間を生きた〝青のアーティスト〟──イブ・クライン
 ■放浪と禅修行から生まれた 洒脱でユーモラスな画はまるで現代アート?──禅僧・仙厓

〈 COLUMN 〉
 ■心の歴史を色彩で振り返る「カラーヒストリー」
 ■絵と長寿の関係、あるいは高齢者のためのアートセラピー
 ■ストレスフルな現代にこそ必要な、絵による気分転換
 ■内なる〝光と影〟を映し出すぬり絵セラピー
 ■子どもの絵から大人のセラピー表現まで、自画像いろいろ
 ■トラウマを吐き出すセカンドステップセラピー
 ■精神疾患の治療の一環として始まった芸術療法
 ■環境の色彩とアートセラピー 子どもたちの自由な創造力はアートの原点

■おわりに
■参考文献

◎末永 蒼生(すえなが・たみお)
1960年代より美術活動の傍らアートの原点でもある児童美術の心理的調査に関わり、色彩心理の研究を行う。同時期より、年齢性別、障害の有無を越えた自由表現の場「子どものアトリエ・アートランド」を主宰し、主旨に賛同したアトリエが全国に広がる。1989年、色彩心理とアートセラピーの専門講座「色彩学校」を江崎と共に開講。多摩美術大学を始め内外の大学で講義を行う。主な著書に『色彩自由自在』(晶文社)、『青の時代へ』(ブロンズ新社)、『チャイルド・スピリット』(河出書房新社)、『答えは子どもの絵の中に』(講談社)、『色彩心理の世界』(PHP研究所)などがある。

◎江崎 泰子(えざき・やすこ)
編集者として雑誌や本を手がける傍ら、ギャラリー運営の経験をもつ。1988年、末永とともに(株)ハート&カラーを設立。「色彩学校」の運営や講師を行う傍ら、高齢者ケアを中心としたアートセラピー活動を実践。色彩関係の出版企画、カラーデザインの仕事なども手がける。また、日本の伝統色に関する関心が高く、『源氏物語』の色から江戸の流行色まで、日本独自の色彩文化を研究し、今に伝えている。末永との共著に『色彩学校へようこそ』(晶文社)、『色彩記憶』(PHP研究所)、編著に『事典・色彩自由自在』(晶文社)等。

いいなと思ったら応援しよう!