バランス感覚
普段の「気づき」を自分の考えと答え合わせしながら文章を書く。
ひとまずこのスタイルが自分にとって一番継続できそう。
思いをさらけ出す行為がまだまだ気恥ずかしさありますが
新しい自分探し含め、次へのきっかけになるはず。
という訳で、掲題「バランス感覚」のnoteです。
ここでいうバランスはコミュニケーションのバランス、
という意味合いで記載しています。
【バランス感覚は養える。】
なかなか身に付けるのが難しいものでもありますが、
養い、身に付けることができる。(と、信じてる。)
ただ、バランス感覚を身に付けるのは
人によっては不自由かもしれない。と考えた。
理由は、バランスを取る・取れるイメージは
精神的にも人間的にも「球体」に近い感覚になること
と捉えているからで、「バランスを養う」行為は、
人によっては「角を取って丸くなる」ことに近い行為だから。
その意味で、人によっては不自由かもしれない。
「角」がその人の特徴であることも多々あり、
それを自分の強みとしている人にとっては
決してバランスを取ることが正解では無いのでは、と。
それでもちょっと待てよ、と思い直す自分がいて。
時と場合や相手に応じて
その「角を取った自分」になれたり
「角を取っていない自分」になれる、使い分けができるのも
一つのバランス感覚を持っているからこそかも。
【結局バランス感覚って何か?養い方は?】
前段では自分が持ってるイメージでの
バランス感覚を書きましたが、結局バランス感覚って
なんなのか。
対人や対物事に対してバランス感覚の取れている人は
自分の得手不得手を理解している(しようとしている)人
じゃないかな、と思います。
これが「バランス感覚を養っている」ことにも
繋がっている気がしています。
自分を知っているからこそ、得意な領域と苦手な領域で
引き出しを出し分けて周りと「調和」に入ることができる。
周囲から見ると「バランス感覚あるね」って見える。
※得意では主張するけど不得意で主張しなければ
単純に「できない・失敗」もなかなか出てこない。
自分自身、まだ自分を理解しようとしていない時期には
なんでもかんでもやってみる(今もそうです)が
とにかく先に立っていたので、不得手が出てくると
限界(というか「壁」)にぶつかった。
年齢と共に、壁の超え方(避け方?クリアの仕方?)は
引き出しが増えてきたと感じるけども、これって
自分と向き合ったからかなぁ、と。
【意識的に継続すること】
バランス感覚は時代や周囲の環境によって
「変えていかなくてはならないもの」と見ています。
でなければ、すぐ感覚が古くなる。
そのために
できることはやるけど、
できないことはできないって言う。
を意識的に継続します。
「できないを言う」は、いろんなポジションやしがらみで
言えない人(業種問わず・特に社会人)多いなぁ、と思います。
時代も切り替わったので、こういったところが
変わっていけば、もっと新しいものや関係が作れそうな気がする。
新しいモノゴトにもついていける自分が準備できる。
また、「できない」が自分以外の人に言える自分って
かなり勇気のいるアクションだと思ってます。
でもその一言が言えると、他に後ろめたさを感じる
必要がなくなるので、集中力が高まり、結果的に
良質なパフォーマンスが発揮できる、と感じています。
そういった意味では、「できない」を発するのは
自分を解き放つ魔法の言葉かもしれません。
もちろん他に「こうじゃない?」ってご意見あれば
ぜひコメントいただきたいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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